今夜、ホールの片隅で

今夜、ホールの片隅で

東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

■東京交響楽団 特別演奏会「第九」2025(25/12/29サントリーホール)

 

ベートーヴェン/交響曲第9番 ニ短調「合唱付」

(アンコール)蛍の光(AULD LANG SYNE)

 

[指揮]ジョナサン・ノット

 

[ソプラノ]盛田麻央

[メゾ・ソプラノ]杉山由紀

[テノール]村上公太

[バスバリトン]河野鉄平

[合唱]東響コーラス

 

まだ大みそかのジルヴェスター・コンサートが残っているが、私がノット監督の任期中に聴くこのコンビの実演はこれで最後。ノット&東響による「第九」は、2019年に始まってから2022年まで4年連続のべ5回聴いてきた。一昨年と昨年は思うところあって年末の第九はテレビ視聴だけだったので、この曲の実演自体3年ぶりである。

 

過去4年の感想を読み返してみて、このコンビの第九についてはほぼ書き尽くしているかと思いきや、実際に聴いてみると、そのどれとも似ていないのがこのコンビらしい。弦8-8-6-5-4のコンパクトな編成から生み出される、室内楽的とも、オペラ的とも感じられる、極めて情報量の多いパフォーマンス。具体例を挙げ始めたらキリがないが、第1楽章冒頭の開放弦の透明感、第2楽章のスケルツォらしからぬ粘り腰、第3楽章の4番ホルンの神々しいまでの輝き、第4楽章のレチタティーヴォの生気溢れる低弦…などは特筆しておきたい。

 

この先、ノット&東響で第九を聴く機会があるのかは分からないが、次回もきっとまたこれとは違った印象を受けるのだろう。今回も含めこのコンビで第九を6回聴いたことになるけれど、同じ指揮者とオケで実演に接した回数としては最多であり、今後この記録が破られることも多分無いだろう。必ずしも毎回100%自分の理想の第九だった訳ではないけれど、これほど集中してこの曲と向き合えたのは本当に貴重な経験でした。

 

* * *

 

という訳で、今年も拙文をご覧いただき、ありがとうございました。来る年も素敵な音楽との出会いがありますように。そこに、ノット&東響の演奏が含まれないのは寂しいけれど…。

 

昨年末はお休みしたこのコーナーが2年ぶりに復活。今年聴いたコンサートで初めて出会い気に入った曲、その魅力に初めて開眼した曲、今後も聴き続けていきたいと思う曲を、聴いた順にふり返り、2025年のメモワールとしたい。

 

♪ウォルトン/ヴァイオリン協奏曲

20世紀英国のヴァイオリン協奏曲の名品。まるで極上のミステリー映画のサウンドトラックのようで、事件の舞台となるお屋敷を俯瞰で捉えたオープニングがありありと浮かんでくる。この音楽を使った映画「ウォルトン殺人事件」、誰か撮ってくれないかな。スラットキン&金川真弓(1/15サントリーホール)

 

♪ジャン・クラ/ハープ、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための五重奏曲

愛好する作曲家ジャン・クラの、初めて聴く「新曲」。クラにはピアノ五重奏曲もあるが、編成がフルートとハープに替わったことで音色に瑞々しさが増し、アンサンブルにクラ特有の海風が吹き抜ける。この曲も含め、もっと演奏されてほしい作曲家。新日フィルメンバー(2/17すみだトリフォニーホール小ホール)

 

♪ルクー/ヴァイオリン・ソナタ ト長調

名のみ知るばかりだったヴァイオリン・ソナタを初鑑賞。擬古典的と思われた曲想の思いのほか近代的な響きと、このジャンル史上唯一無二の緩徐楽章の浮遊感。シンプルな分、器量が丸見えになる誤魔化しの効かないレパートリーに、辻彩奈の真っ直ぐな美音が冴え渡る。辻彩奈&シュトロッセ(3/18紀尾井ホール)

 

♪ロッシーニ/スターバト・マーテル

ロッシーニの美メロが満載の「悲しみの聖母」。宗教曲にしてはオペラティックに過ぎる…という批判もあったようだが、美しいものは美しい。むしろ宗教曲という制約があればこそ、オペラよりも凝縮されたドラマ性が際立つ。今季東響定期屈指の好プロダクション。マリオッティ&東響(6/8サントリーホール)

 

♪フィールド/ノクターン集

ノクターンの創始者、ジョン・フィールドのノクターンと数十年ぶりに再会。記憶にあったのはわずかに2曲だが、今年はアリスさんの新譜で全18曲のノクターン集に親しみ、リサイタルで実演に接することもできた。大半は初めて聴くのに、どれも不思議と懐かしい。アリス=紗良・オット(6/29サントリーホール)

 

♪ブリテン/夏の夜の夢

セイジ・オザワ松本フェスティバルでブリテンのオペラを初体験。才気煥発なブリテンの音楽と、原作に忠実な英語のテキストが相まって、シェイクスピア原作の音楽作品としては最上級の成功例では。ロラン・ペリー演出のファンタジー溢れる舞台も素晴らしい。沖澤のどか&SKO(8/17まつもと市民芸術館)

 

♪プーランク/モンテカルロの夜

歌姫ナタリー・デセイがフェアウェル・コンサートで歌った1曲。コクトー&プーランクのエスプリがマリアージュした、フレンチ・ミステリの短編小説のような味わい。「モンテカルロ」という地名がこれほど甘く色っぽい響きを持っていたとは! デセイ&カサール(東京オペラシティコンサートホール)

 

♪プーランク/スターバト・マーテル

ロッシーニの同名曲とは全くタイプは異なるが、甲乙付け難い魅力がある。鮮やかな原色のサウンドの光と影が交錯する中、混声合唱がダイナミックに歌い続け、ソプラノ・ソロが大胆にアクセントを添える。ドラマチックな幕切れは、古い宗教映画の劇伴のようにも。山田和樹&日フィル(11/28サントリーホール)

 

* * *

 

初めてまともに全曲を聴いたという意味ではバッハ「マタイ受難曲」もそうなのだが、さすがにフェイバリットピースと呼ぶのは畏れ多いですね…。

■東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ(25/12/14東京芸術劇場コンサートホール)

 

エクトル・ベルリオーズ/ファウストの劫罰

 

[指揮]マキシム・パスカル

[管弦楽]読売日本交響楽団

 

[マルグリート]池田香織

[ファウスト]山本耕平

[メフィストフェレス]友清 崇

[ブランデル]水島正樹

[合唱]二期会合唱団

[児童合唱]NHK東京児童合唱団

 

全曲演奏の機会が貴重なベルリオーズ「ファウストの劫罰」。個人的には2016年9月に高関&シティ・フィル、スダーン&東響で立て続けに聴いて以来、9年ぶりとなるこの機会に聴いておくべく、改修工事でしばらくご無沙汰だった池袋の芸劇へ。

 

セミ・ステージ形式の今回、特徴的なのは映像(上田大樹)と照明(喜多村貴)による演出である。ステージの後方中央にやや縦長の四角いスクリーンが設置され、冒頭の空を流れる雲の映像に始まり、場面に合わせた様々な映像が映し出される。映像はしばしばスクリーンをはみ出し、ステージ左右の壁面や天井まで占領する。映像は日本語字幕も兼ねており、最初は縦書きのテロップで歌詞対訳が出てくる。これがメフィストの登場シーンではSNSの対話型テキストに姿を変える。イイネの絵文字や顔マークが飛び交う。同様の趣向がオペラの演出にもあるのかは不明だが、なるほど当世風の見せ方。雑多な要素がコラージュされた映像は、ポップなミュージック・ビデオのようでもあり、キッシュなカラオケの映像みたいでもある。

 

それにしても、改めて聴いてみるとこの作品、台本にかなり問題があると思う。紆余曲折あった作品の成立過程については、簡にして要を得た成田麗奈氏の解説を興味深く読んだが、ストーリーをここまで都合よく改変するなら、そもそも原作がゲーテの「ファウスト」でなくてもよかったのでは…。オペラともカンタータともつかない形式の曖昧さもあって、全体的に説明不足だし、元ネタを知らない初見の客にも不親切だろう。聴きながらふと思ったのは、そうか、これは「講談」だと思えばいいのか…ということ。稀代の講談師・ベルリオーズが、独自の解釈で尾ひれ背びれをつけたり、大胆に端折ったりした「講談・ファウストの劫罰」なのだと。

 

それでも本作が名曲たり得ているのは、台本の弱さを補って余りある音楽があるからだ。「ラコッツィ行進曲」以外の曲はほぼ9年ぶりに聴いたけれど、前回聴き知った旋律がしっかりと脳裏に残っていて瞬時に蘇ってくる。どれもどこか懐かしくて、人懐っこくて、愛すべき曲ばかり。とりわけマルグリートに充てられた「トゥーレの歌」と「ロマンス」は全編中の白眉。池田香織さんの深みのある歌声に寄り添いながら、「トゥーレの歌」では鈴木さんのヴィオラ・ソロが二重唱のように朗々と歌い、「ロマンス」では北村さんの楚々としたコーラングレが泣かせる。後者はコーラングレの古今の名旋律の中でも随一と言っていいのでは。終曲では児童合唱が舞台手前に登場、天の声はどこで誰が歌っていたのか分からなかった。

 

音楽の魅力を堪能するなら、演奏会形式で十分だろう。しかし今回、映像付きの新プロダクションに接してみて、この作品の弱みも含めた新たな一面を知ることができた。次回は何年後にどんな形で聴くことができるだろうか。

■東京交響楽団 第737回定期演奏会(25/12/13サントリーホール)

 

[指揮]ロス・ジェイミー・コリンズ

[ヴァイオリン]大谷康子*

 

マルサリス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調*

(アンコール)アルベニス/アストゥリアス(伝説)*

コープランド/交響曲第3番

 

東響名誉コンサートマスターの肩書を持つ大谷康子さんのデビュー50周年を記念する定期演奏会。大谷さんのステージに接するのはコンマス退任公演だった2016年3月以来のことだから、もう約10年ぶりになるのか。指揮者には当初、ゆかりの深い秋山和慶氏が予定されていたが、今年1月の急逝を受け、代役にロス・ジェイミー・コリンズが指名された。英国生まれのフィンランド育ちという新鋭で、ちょっと昔のウルバンスキを思わせる長身のイケメンである。

 

節目のコンサートに大谷さんが選んだのは、ウィントン・マルサリスのヴァイオリン協奏曲。ジャズの人という認識しか無かったが、マルサリスはクラシック音楽も専門に学んでおり、この分野の作品も多数書いているようだ。2015年初演のヴァイオリン協奏曲はラプソディ、ロンド・ブルレスカ、ブルース、フーテナニーの4楽章構成で演奏時間45分超の大作。冒頭、ゆったりとしたヴァイオリン・ソロで始まり、ソリストはほぼ弾きっぱなしで多彩な技巧が駆使されるが、ヴァイオリンという楽器の特性がよく活かされている印象。ジャズを始め様々な音楽の要素が採り入れられた曲想は一見親しみ易そうでありながら、それらが周到に微分積分され、全体としてはなかなか一筋縄ではいかない。

 

第1楽章の終盤ではオケのメンバーが一斉に足を踏み鳴らす場面があり、第4楽章ではそれに手拍子も加わって、随所でいろんなセクションが足踏みと手拍子をくり返す。ラストは演奏しながら大谷さんがステージから階段を下り、客席の通路を歩きながら同じフレーズを弾き続けフェイドアウトして終演。シアターピース的な要素もあり、古巣のオケのメンバーとのコミュニケーションを全身で愉しんでいるような、大谷さんらしい選曲。アンコールではギターの名曲「アストゥリアス」の珍しいヴァイオリン編曲版を聴かせてくれた。

 

後半はコープランド3番。この日振るはずだった秋山さんが2005年12月の東響定期でも振っており、実演で聴くのはそれ以来20年ぶりかも。久しぶりに聴いてみて、サウンド的にはとても充実していると思うけれど、今ひとつ琴線に触れてこない…というもどかしさも感じた。第1楽章は全体が大いなる序奏のようで、なかなか本題が始まらないまま終わってしまった感じ。第4楽章冒頭の「市民のためのファンファーレ」が本題のようにも思えるが、となると交響曲というより、壮大なオブリガート付きのファンファーレのようにも…。コリンズ&東響の熱演には敬意を表しつつも、秋山さんが振ったらどう聞こえていただろう…とも考えた。

■東京交響楽団 東京オペラシティシリーズ第149回(25/12/2東京オペラシティコンサートホール)

 

[指揮]原田慶太楼

[ピアノ]小林愛実*

 

グリーグ/ペール・ギュント第1組曲

グリーグ/ピアノ協奏曲 イ短調*

(アンコール)ショパン/マズルカ イ短調 作品59-1*

芥川也寸志/交響曲第1番

 

生誕100年の今年、国内の各楽団のプログラムには芥川也寸志の作品がよく登場した。邦人作曲家でメモリアルイヤーにこれほど演奏された例は稀ではなかろうか。それが芥川作品の親しみ易さを物語るし、今後も平時のレパートリーとして定着してほしいと思う。交響曲第1番は2019年のサマーミューザで藤岡&シティ・フィルの演奏で知り気に入った曲。この曲も今年何度か演奏機会があったが、原田&東響による今回が芥川イヤーの個人的ハイライト。なお東響はこの曲を作曲家自身の指揮で初演(1954年)、現行の改訂版を上田仁の指揮で初演(1955年)している。

 

前回聴いた時は、何かから逃げまくっているような第4楽章のプロコ味が鮮烈な印象を残したが、それに加え今回は、第1楽章のショスタコ味を濃厚に感じる。第2楽章の半ばでは、ユニゾンの弦のソリッドな響きが極限まで鍛え上げられる。第3楽章は頂点に至るプロセスの周到さに比べ、終わり方が随分あっけない。全4楽章で30分に満たない尺でこの内容をこなすのは、ちと無理があるのでは…と思わなくもない。とは言え、エネルギッシュ&スタイリッシュな音響的愉悦に充ちた音楽であるのは間違いない。生誕100年、初演70周年のマイルストーンに相応しい快演。

 

前半はグリーグの名曲プロ。「ペール・ギュント」第1組曲を生オケで聴くのはいつ以来だろう。小学生の頃に聴き覚えて以来、細部まで刷り込まれている曲。オーボエの隣に最初から打楽器の綱川さんが座っていて、「アニトラの踊り」のトライアングル要員なのだった。当夜のアニトラはかなりゆっくりと舞った。

 

ピアノ協奏曲のソリストは小林愛実さん。昨年聴いたラヴェルの協奏曲や、ショパン・コンクールの本選の時にも感じたことだけど、この人の本領は合わせものではなくソロでこそかなと思う。この日も最も引き込まれたのは第1楽章のカデンツァだったし、アンコールのショパンにもやっぱり聴き入ってしまった。

■NHK交響楽団 第2051回定期公演(25/11/30NHKホール)

 

[指揮]ファビオ・ルイージ

[ヴァイオリン]レオニダス・カヴァコス*

 

ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調*

(アンコール)バッハ/無伴奏パルティータ第1番より サラバンド*

ツェムリンスキー/交響詩「人魚姫」

 

ショスタコーヴィチ没後50年の今年、例年にも増して演奏頻度が高かったヴァイオリン協奏曲第1番だが、最も聴いてみたかったソリストがレオニダス・カヴァコス。そしてここまで待って正解だったと思わせてくれる、まさに真打ち登場の名人芸を聴かせてくれた。ちなみにカヴァコスが弾く協奏曲は、ブロムシュテットの指揮でブラームスを二度聴いているが(ゲヴァントハウス管&N響)、タココンはこれが初めて。

 

第1楽章のノクターンから、もう完全にカヴァコスの世界。思索的で内省的、例によって腕以外をほとんど動かさない「木」のような佇まいで、決して大きくはない声で大事なことを淡々と語っていく。続くスケルツォも慌てず騒がず、場数を踏んだ名優のような貫禄の立ち回り。ボウイングの美しさは神懸っていて、どのひと弓も的の真ん中を狂いなく射抜いてゆく。パッサカリアでも過度に没入するのではなく、適切な距離感を保ったままカデンツァでいよいよ核心に肉薄する。ブルレスケに抜けた頃には、圧倒的な存在感ですっかりオケの呼吸を掌握していた。終演後すぐに起こった楽員さんたちの拍手の盛大さがそれを物語る。

 

大袈裟ではないのに説得力がある。動きは少なくても音楽が生きている。まるで室内楽ように透明感のあるアンサンブル。これまで聴いたことが無いタイプの演奏で、この曲の知らなかった一面を教えられた。アンコールのバッハでは、別世界からの呼び声のように囁くヴァイオリンが大箱のホールを支配した。今年のN響定期で最も心に残ったソリストは文句なしにカヴァコスである。

 

ツェムリンスキー「人魚姫」は初めて聴く曲。事前に少し試聴してみた印象は、映画音楽のように聴き易い。全3楽章で約40分を要し、アンデルセンの童話「人魚姫」のドラマをかなり忠実に音楽化しているようだ。深い海底を表す幻想的な序盤や、再びその曲想が回帰する終盤など、濃厚なロマンチシズムが美しい場面もあるのだが、ずっと聴いていると途中で飽きてくる。音楽があまりにも情景的、説明的で、映画音楽そのものを聴いているよう。同じ標題音楽でも、この曲と、例えばR.シュトラウスの交響詩とを分けるものは何か…そんなことを考えながら聴いていた。

 

解説によると、今回演奏された「初稿版」には、初演前に削除された第2楽章中盤の「海の魔女」のエピソード(約85小節、5分ほど)が復元されているという。曲全体で最も大胆かつ不協和な書法が用いられ、ウィーンの聴衆の保守的嗜好を考慮したのがカットの一因とも。演奏を聴いていて、おそらくここがそうだろうと思い当たったのだが、実はその場面が一番印象的だった。最先端の書法を臆することなく駆使できなかったのも、この作曲家の弱みと言ったら酷だろうか。せめて単一楽章で半分の長さにまとめていたら、もっと演奏機会に恵まれていたのでは。

■日本フィルハーモニー交響楽団 第776回東京定期演奏会(25/11/28サントリーホール)

 

[指揮]山田和樹

[バリトン]加耒 徹♭

[ソプラノ]熊木夕茉♯

[合唱]東京音楽大学、ハルモニア・アンサンブル♯♭

 

ドビュッシー/バレエ音楽「遊戯」

武満 徹/マイ・ウェイ・オヴ・ライフ―マイケル・ヴァイナーの追憶に―♭

ラヴェル/ボレロ

プーランク/スターバト・マーテル♯

 

邦人作曲家にフランス音楽を組み合わせたこのコンビならではのプログラム。中でも注目は独唱と合唱付きの2曲だが、意外にも山田氏が日フィルの定期で声楽を伴う作品を採り上げるのは初めてなのだとか。

 

1曲目のドビュッシー「遊戯」は、山田氏曰く「ドビュッシーの最高傑作」だが、面白く聴かせるのが難しそうな曲。確かに聴いている瞬間瞬間のオーケストレーションの精妙さは見事だと思うものの、それが一連の流れとしてなかなか腑に落ちてこない。テニスの場面を描いたというバレエ付きで聴けばまた理解度が違うのかもしれないが、この日もどうも集中力が途切れがちだったというのが正直なところ。

 

2曲目は初めて聴く武満作品。歌曲はたくさん書いた武満さんだが、声楽とオケのための作品というのはこれだけらしい。武満さんのオペラがもし実現していたら、こんな感じだったのでは…とプレトークで山田氏が語っていた。田村隆一の詩を英訳したテキストに付けられた音楽は、後期武満の響きそのもので、「系図」にも似た楽想が頻出する。「セレモニアル」もそうだが、この頃の武満作品は、ひとつの共通する世界観をボーダーレスに表現しているように感じる。ヤマカズがシェフを務めるバーミンガム市響が初演オケでもある。

 

休憩を挟み、3曲目の「ボレロ」がプログラムのマニアックさを緩和させる。解説によればこの曲の構造は、16小節のパターンAとパターンBをそれぞれ2回くり返す[AABB]のセットが全部で4回…というのを読んで、今が何セット目の何番目なのかを意識しながら聴いてみたのだが、4セット目の後半からラストにかけての「破調」が絶妙。演奏ももちろん盛り上がったが、最後の最後がぴたりと決まらなかったように聞こえたのはわざと…?

 

4曲目はプーランクの「スターバト・マーテル」。プーランクの宗教作品は「グローリア」を聴いたことがあるが、この曲の実演は初めて。Pブロックを半分以上埋めた合唱(男女混合配置)がほぼ歌いっぱなしで、ほとんどオケ伴付きの合唱曲と言っていい。そしてヤマカズが合唱指揮者としての本領発揮で、ダイナミックな声の魅力を存分に引き出してみせた。限られた出番ながらアクロバチックな音程を要求されるソプラノ独唱は、熊木さんが危なげない美声を披露。

 

この曲、聖と俗、ネガとポジが瞬時に反転するようなところがあって(黒い聖母像が作曲の契機とも)、ちょっと「カルミナ・ブラーナ」を彷彿させる。オケ・パートも実演で聴いてみるとヘンテコな細部があちこちに。綺麗にまとめようとするよりも、ざっくばらんにやった方が活きそうな魅力がある。最後の「アーメン」が美しく歌い上げられた後の、ダメ押しのオケのジャンジャンジャーン!が、昔のモノクロ映画の「ジ・エンド」の劇伴のよう。直後の無粋なブラボーは余計でしたね…。

■東京交響楽団 第736回定期演奏会(25/11/22サントリーホール)

■名曲全集第212回 (25/11/23ミューザ川崎シンフォニーホール)

 

[指揮]ジョナサン・ノット

[笙]宮田まゆみ*

 

武満 徹/セレモニアル*

マーラー/交響曲第9番 ニ長調

 

来年3月までの楽季を4か月余り残し、東響第3代音楽監督ジョナサン・ノットが振るこれが最後の定期演奏会。プログラムは音楽監督就任披露公演だった2014年4月の定期演奏会と同じもの。監督の任期中に何度も経験したサントリー&ミューザの同一プロの「おかわり」もこれが最後である。

 

武満徹「セレモニアル」は、宮田さんの笙はPブロック後方のオルガン席付近で、フルート&オーボエのバンダが客席内3か所に配置されての演奏。11年前もそうだったっけ…と、すでに忘却の霧に霞んでいる我が記憶力の儚さが哀しい。笙のソロ以外、音楽としては掴みどころの無い印象があったこの曲だが、改めてオーケストラ・パートに耳を傾けると、武満後期の音色が短い中に凝縮されている。ひと息ごとに音が途切れる笙のソロによって、音と沈黙とが等価になる。マーラー9番の前の「お清め」の儀式になるほど相応しい。

 

11年前に聴いたマーラー9番は、感想を読み返すとこう書いている。「あくまでもこれは現時点での達成に過ぎない」「将来、またノット&東響によるマーラー9番を聴く機会があったら、この生気みなぎる演奏がどのように変化しているのか、確かめてみたい」。そしてその機会が本当に訪れたのだ。第1楽章を聴き始めて、生気みなぎる基本テイストはそのままに、生のままだったサウンドの肌触りが、より豊饒に豊潤に熟成されたように感じる。どんなささやかなパートにも、1つ1つに「意味」を感じる。いかにその意味を込められるかが指揮者の仕事な訳だが、11年余りの物語がその伏線なのだとしたら、何と贅沢な話だろう。

 

2つの中間楽章も実にこのコンビらしい。ゴツゴツと骨が鳴るような第2楽章のレントラー。リスクを取って攻め続けるアンサンブルの姿勢が明確に音に現れている。監督就任時からオケのメンバーもかなり入れ替わっているが、そのノットイズムが確実に継承され、さらに強靭さを増している。火を噴くような鬼気迫る第3楽章のブルレスケ。獅子奮迅、阿修羅の如き指揮台のノットを見ていると、指揮者という生業が己の人間性の全てを賭けた表出であることを痛感させられる。そしてノットという依り代を通じて、マーラーがこの曲のスコアに書き込んだ音楽全体が、「人間存在」そのもののメタファーなのだということも。

 

第3楽章から第4楽章へは、アタッカと言うにはしっかりとした間があったけれど、苛烈な追い込みの凄まじさにしわぶきひとつ起こらない。そして万感の第4楽章アダージョ。個々のパートがそれぞれに愛おしい。要所で抜き身の匕首のように冴える濱﨑さんのピッコロ。五臓六腑にぐいっと沁み入るような青木首席のヴィオラ・ソロ。終盤、わずか4音の下行音型が堪らなく切ない最上さんのコーラングレ。そして3+5音の下行するフレーズがあまりにも美しい伊藤首席のチェロ・ソロ。たどり着いたコーダでは、唾を飲み込むのも憚られるような圧倒的な静寂に全身が囚われる。これほどの緊張感を強いられることの至福。

 

2日間聴き比べて、演奏の完成度は2日目の方が高かったと思うけれど、疵は多くてもただただ圧倒された初日のインパクトが勝る。両日共に長く続いたカーテンコールでは、一度退場した楽員さんたちが最後に総出で「THANK YOU ! MAESTRO NOTT」と書かれた手ぬぐいを掲げて監督を取り囲むという光景に泣けた。ノット監督時代の12シーズンを客席からリアルタイムで見守ってきた一会員にとって最高のご褒美。このオーケストラを聴き続けてきて本当によかった。

■東京交響楽団 特別演奏会(25/11/15東京オペラシティコンサートホール)

 

[指揮]ジョナサン・ノット

[合唱]二期会合唱団

 

ドビュッシー/「夜想曲」より シレーヌ

デュリュフレ/3つの舞曲

ラヴェル/歌劇「子どもと魔法」(演奏会形式)

 

[子ども]小泉詠子

[お母さん、中国茶碗、とんぼ]加納悦子

[肘掛椅子、木]加藤宏隆

[安楽椅子、羊飼いの娘、ふくろう、こうもり]鵜木絵里

[火、お姫様、夜鳴き鶯]三宅理恵

[羊飼いの少年、牝猫、りす]金子美香

[ティーポット、小さな老人、雨蛙]糸賀修平

 

ノット監督の任期最後の定期演奏会の1週前に組まれたフランス音楽のプログラム。メインの「子どもと魔法」は、このコンビで聴く任期中最後のコンサートオペラでもある(余談だが、このコンビのコンサートオペラと言えば、コロナ禍で幻となった「トリスタンとイゾルデ」を聴けなかったのが心残り。いつか復活させてくれるだろうか?)。

 

1曲目の「シレーヌ」は、ノット&東響の初共演となった2011年10月の定期でも1曲目に演奏された曲(その時のメインは「ダフニスとクロエ」全曲)。14年前の「シレーヌ」は、ブログ開設前のことでもあり、もはや記憶に残っていないのだが、このコンビの原点回帰の1曲で、定期(マーラー9番)とは別のさらに大きな円環が閉じられる。P席に並んだ女声合唱のパートがダイレクトに届き、先週聴いたばかりのデュトワ&N響の「海王星」の幽けき響きとは真逆の、生々しい肉声がホールを充たす。東響コーラスなら暗譜で歌いそうなところだが、歌詞の無いヴォカリーズでも二期会合唱団は譜面ありだった。

 

ノットが振るデュリュフレと言えば、昨年二度聴いた「レクイエム」が忘れがたい。今回初めて聴く「3つの舞曲」は、「ディヴェルティスマン」「ダンス・ラント」「タンブラン」の3曲から成る25分ほどの作品。第2曲ではいかにもデュリュフレらしいハープ2台とチェレスタによる神秘的な序奏に聴き入ってしまうし、第3曲ではプロヴァンス太鼓やアルトサックスといったパートも登場し演奏効果も高く、フランス音楽のオーケストラ・ピースとしてもっと採り上げられていいレパートリーだと思う。

 

ラヴェルの歌劇「子どもと魔法」もこれが初聴き。ちょうど100年前に初演された作品で、その初演地であるモンテカルロ歌劇場で今年3月に山田和樹が振ったプロダクションが折よくNHKBSで放送されたので、それを予習の教材とした。演奏会形式のこの日は、女声5+男声3=8人の歌手が舞台手前に並び、合唱は上手奥に配置。下手端に置かれたピアノはタイプの異なる2台を忙しく弾き分けていて、内部奏法(?)と思われる場面も。楽器編成にある「チーズのおろし金」と「木製の本」は、公式Xで動画が紹介されていたが、それがどこでどう鳴っていたのかは自席からは確認できなかった。

 

音楽はまさに「おもちゃ箱をひっくり返したよう」で、作曲家ラヴェルのあらゆる要素が約45分間に凝縮されている。モンテカルロの舞台演出も素晴らしかったけれど、これは板に乗ったオーケストラでこそ味わうべき音楽だろう。それぞれが二役、三役をこなす歌手陣も好演で、内容的にも、肩の凝らないくだけたアンサンブルが魅力。歌詞以上に雄弁な「ト書き」を字幕で追えたのも新鮮な体験だった。幕切れで子どもが「ママ!」とひと言歌った後の、得も言われぬ温かさと安堵感のある余韻は、ほかのどんな楽曲でも味わったことが無いもの。生誕150年のラヴェルの最も愛すべき一面に触れた幸福な午後だった。

■NHK交響楽団 第2048回定期公演(25/11/9NHKホール)

 

[指揮]シャルル・デュトワ

[ピアノ]小菅 優*

[オンド・マルトノ]大矢素子*

[女声合唱]東京オペラシンガーズ

 

メシアン/神の現存の3つの小典礼*

ホルスト/組曲「惑星」

 

N響名誉音楽監督シャルル・デュトワが、昨年10月のNHK音楽祭に続き、2017年以来8年ぶりに定期公演に復帰。先月は98歳のブロム翁の健在ぶりに触れたばかりだが、こちら89歳のデュトワも年齢を感じさせない精力的な指揮ぶりを披露した。

 

前半は未知のメシアン作品。「小典礼」だから短い曲なのかと思いきや、全3楽章で35分超を要するそこそこ長い曲。編成が特殊で、指揮台の下手側にピアノ、チェレスタ、上手側にオンド・マルトノ、ヴィブラフォン。木管・金管を欠き、弦楽器の奥に女声合唱、下手奥に打楽器。最初から歌いっぱなしのコーラス、音符の数がやたらと多くて難しそうなピアノ・ソロ、いつ鳴っているのか予断を許さないオンド・マルトノもさることながら、チャッチャッと乾いたアクセントを付け続けるマラカスの響きが印象に残る。ただこの曲、催眠効果があるのか、執拗な睡魔の誘いに何度も負けそうになった。

 

休憩を挟み、久々のホルスト「惑星」。「火星」冒頭の5拍子の刻みから、デュトワ特有の左手を素早く前後させるジャブのような動きが全開で、オケから張りと艶のあるサウンドを引き出す。「火星」最後の連打される総奏の強靭さと粘り、「木星」の悠然たるテンポ感と最後に打ち込まれる一撃の強烈なG(重力)等々、オーケストラを聴く醍醐味に溢れ、純粋な管弦楽組曲としての完成度を改めて思い知らされる。「金星」や「土星」など、いつもなら標題音楽的に聞き流してしまうディティールが、克明かつ新鮮に浮き彫りになる。天才的着想と音楽的内実が融合した、掛け値なしの「名曲」である。

 

下手舞台袖から聞こえてきた「海王星」の女声合唱は響き過ぎない線の細さが良かったし、アシンメトリーな配置のパイプオルガンも特に「土星」で絶妙な立体感を演出していて、この日ばかりはNHKホールの音響も奏功。それもこれもデュトワ・マジックの手の内だろうか。音の魔術師、健在。むしろ齢を重ねて、その魔力・妖力はスケールを増した感さえ漂う。