タイトルの通り、作品を演奏する立場から見た武満徹について取材したインタビュー集。取材対象となったのは池辺晋一郎から山田和樹まで、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、フルート、クラリネット、打楽器、ハープ、ギター、笙、テノール、バリトン、指揮、作曲、ヴォーカルの各分野の全25人に及ぶ。雑誌やWeb媒体に連載されたものではなく、全て書き下ろしの本書のために行われたインタビューのようだ。著者の原塁(はら・るい)氏は1989年生まれ、専門は音楽学、表象文化論とのこと。
インタビューは決まって「武満さん(武満作品)との出会いについて伺えますか」という質問で始まり、具体的な作品や演奏についてのやりとりがあった後、最後に「これから新たに武満作品に取り組む方にメッセージをいただけますか」という質問で締めくくられる。世代の若い5名ほどを除き、生前の武満さんと直接交流のあった人ばかりなのがポイントだろう。彼らが現役を退いたらもう聞けなくなるであろう、武満さんに関する貴重な証言がこうして残された。25人それぞれの武満像の断片を重ね合わせた、多彩かつ異色のバイオグラフィーになっている。
興味深いエピソードが満載だが、中でも印象に残るのは、武満さんがよく「鼻歌を歌っていた」と多くの人が語っていることだ。武満さんの人となりが伝わってくるし、武満作品の根底に「うた」があることを端的に教えてくれる。「武満さんの頭の中にある音楽は、楽譜の指定よりも遅い」というのも、何人かが異口同音に指摘していて面白い。演奏の現場に立ち会った武満さんに「もっとゆっくり」と言われた奏者は多い。それを知らず、楽譜の指定に忠実にやる若い世代や海外の奏者たちの演奏は、概して望ましいテンポより速くなりがちなのだそうだ。
個別の言葉では、例えばこんな部分を引用したくなる。
「システムや形式で表現するのではなく、ピアノの前に長時間座って同じような和音を何度も聴いて、聴いて、聴いて、そこから語りかけてくる声を待って、待って、待って、一音ずつ作られた音楽ですので、同じように一音ずつ出しては聴くことをくり返すことでしか作品に近づくことはできないと思います」(佐藤紀雄)
「楽譜を目の前に置き、鍵盤に指を這わせ、一つ一つ確かめるように音を出してみることから始めましたが、あの曲(「遮られない休息」)は、まさにそういう仕方で書かれたのだろうなと思います。「この音かな、それともこの音かな」と、まるで音を出すことを少し恐れながら指先で触れるように進んでいく」(北村朋幹)
こうした発言を引き出す著者の、揺るぎない武満愛に裏打ちされた取材力には舌を巻く。インタビューの合い間に挿入されたテーマ別のコラムも的確で隙が無い。
武満徹の評伝と言えば、立花隆のライフワークとも言うべき大著「武満徹・音楽創造への旅」を思い出す。あれが同時代人による作曲家の「正伝」だとすれば、こちらは世代を超えた大いなる「外伝」。武満徹の音楽に関心を持つ演奏家にとっても聴き手にとっても必読の一冊だろう。今年は武満さんの没後30年に当たる。これまであまり聴いてこなかったピアノ曲やギター曲、合唱曲なども、演奏機会を見付けて聴きに行きたいと思っている。
