今夜、ホールの片隅で

今夜、ホールの片隅で

東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

すでに昨年末で実質的な任期を終えていた東響第3代音楽監督ジョナサン・ノットだが、3月末で12年目のシーズンも名実共に終了ということで、パーヴォ&N響の時と同様、その任期を改めて振り返ってみたい。

 

とりあえず、この12シーズンで聴いたノット&東響の演奏を全て書き出してみる。

 

★2014年

4/20 第619回定期演奏会(マーラー9番)

6/14 第621回定期演奏会(ザ・グレイト)

12/7 ミューザ開館10周年記念(マーラー8番)

12/13 第626回定期演奏会(ブルックナー3番)

 

★2015年

3/14 第628回定期演奏会(パルジファル抜粋)

7/11 オペラシティシリーズ第87回(ドビュッシー映像)

7/16 第632回定期演奏会(ベートーヴェン5番)

9/12 第633回定期演奏会(マーラー3番)

9/13 川崎定期演奏会第52回(マーラー3番)

11/22 第635回定期演奏会(100台メトロノーム)

11/23 名曲全集第112回(100台メトロノーム)

11/28 オペラシティシリーズ第89回(ドヴォルザーク8番)

 

★2016年

4/24 第639回定期演奏会(ドイツレクイエム)

7/16 第642回定期演奏会(ブルックナー8番)

7/23 サマーミューザ(ベートーヴェン6番)

10/8 名曲全集第121回(ブラームス1番)

10/9 オペラシティシリーズ第94回(ブラームス1番)

10/15 第645回定期演奏会(ショスタコーヴィチ10番)

12/3 第647回定期演奏会(シューマン2番)

 

★2017年

5/13 オペラシティシリーズ第97回(ベートーヴェン8番)

5/20 第650回定期演奏会(ブルックナー5番)

7/15 第652回定期演奏会(マーラー2番)

10/15 オペラシティシリーズ第100回(モーツァルト39番)

10/21 第654回定期演奏会(ボレロ)

12/2 第656回定期演奏会(ベートーヴェン3番)

12/10 特別演奏会(ドン・ジョバンニ)

 

★2018年

4/14 第659回定期演奏会(ブルックナー9番)

7/14 第662回定期演奏会(ゲロンティアスの夢)

11/3 第665回定期演奏会(ラフマニノフ2番)

12/9 特別演奏会(フィガロの結婚)

12/15 第666回定期演奏会(英雄の生涯)

 

★2019年

5/18 オペラシティシリーズ第109回(ベートーヴェン7番)

7/20 第672回定期演奏会(死と浄化)

7/21 川崎定期演奏会第70回(死と浄化)

7/27 サマーミューザ(ベートーヴェン1番)

10/6 ミューザ開館15周年記念(グレの歌)

11/16 第675回定期演奏会(マーラー7番)

11/23 オペラシティシリーズ第112回(モーツァルト41番)

12/28 特別演奏会(ベートーヴェン9番)

12/29 特別演奏会(ベートーヴェン9番)

 

★2020年(※映像ノット)

7/18 オペラシティシリーズ第116回(ドヴォルザーク8番)※

7/25 第682回定期演奏会(ベートーヴェン3番)※

12/28 特別演奏会(ベートーヴェン9番)

 

★2021年

5/22 特別演奏会(マーラー4番)

5/27 特別演奏会(マーラー1番)

7/18 川崎定期演奏会第81回(シベリウス5番)

10/16 第694回定期演奏会(ブルックナー4番)

12/4 第696回定期演奏会(ルトスワフスキ オケコン)

12/11 モーツァルト・マチネ第47回(ハイドン協奏交響曲)

12/28 特別演奏会(ベートーヴェン9番)

 

★2022年

5/21 第699回定期演奏会(ベルシャザールの饗宴)

7/16 第701回定期演奏会(マーラー5番)

10/15 第704回定期演奏会(ショスタコーヴィチ4番)

10/23 第705回定期演奏会(ブルックナー2番)

11/18 特別演奏会(サロメ)

11/26 第706回定期演奏会(ベートーヴェン2番)

12/28 特別演奏会(ベートーヴェン9番)

 

★2023年

5/14 特別演奏会(エレクトラ)

5/20 第710回定期演奏会(マーラー6番)

7/16 第712回定期演奏会(ブラームス2番)

7/22 サマーミューザ(チャイコフスキー3&4番)

10/15 第715回定期演奏会(グラゴル・ミサ)

10/21 オペラシティシリーズ第135回(ブルックナー1番)

11/11 第716回定期演奏会(ベートーヴェン6番)

11/17 オペラシティシリーズ第136回(皇帝)

 

★2024年

5/12 第720回定期演奏会(大地の歌)

7/20 第722回定期演奏会(ブルックナー7番)

7/27 サマーミューザ(チャイコフスキー2&6番)

11/9 第726回定期演奏会(デュリュフレ レクイエム)

11/10 名曲全集第201回(デュリュフレ レクイエム)

12/7 第727回定期演奏会(ベートーヴェン5番)

 

★2025年

4/5 第729回定期演奏会(ブルックナー8番)

7/21 第732回定期演奏会(戦争レクイエム)

9/20 オペラシティシリーズ第147回(モーツァルト41番)

9/27 第734回定期演奏会(マタイ受難曲)

11/15 特別演奏会(子どもと魔法)

11/22 第736回定期演奏会(マーラー9番)

11/23 名曲全集第212回(マーラー9番)

12/29 特別演奏会(ベートーヴェン9番)

 

数えてみると、全部で79公演。このうち同一プロの「おかわり」は6回12公演、「第九」は5年で6公演、コロナ禍中に「映像ノット」で2公演聴いている。同一プロを1公演とカウントするなら、このコンビによる全公演中7~8割は聴いたのではないか。パーヴォ&N響が実質4年半で31公演だったから、その記録を大幅に更新し、同一コンビによる演奏会の鑑賞記録としては、個人的に不滅の数字だろう。

 

この中から絞りに絞ったマイベストを挙げるなら以下の通り。

 

■歌心に満ちたマーラー8番(2014/12/7)

■壮絶!ベートーヴェン5番(2015/7/16)

■マーラー&ブルックナー「未完の遺作」(2018/4/14)

■途方もなく巨きなマーラー1番(2021/5/27)

■初心に還るブルックナー4番(2021/10/16)

■「エレクトラ」美しき破滅への神話(2023/5/14)

■極められたブルックナー7番(2024/7/20)

■二度と聴けないモーツァルト41番(2025/9/20)

 

100台のメトロノームに始まるプログラムや、「ボレロ」へと至る変奏曲プログラムなども強く印象に残るが、1回の聴き応えという点ではやはりマーラーやブルックナーの交響曲が多くなる。どれも満足度が高かったコンサート・オペラからは「エレクトラ」にとどめを刺す。ここには挙げなかったが、バルトーク「弦チェレ」、イザベル・ファウストとのベトコン、実演を聴けずニコ響で視聴したブラームス3番なども忘れがたい。

 

そしてこの中からさらにベストオブベストを選ぶなら、就任2年目に聴いたベートーヴェン5番と、ラストイヤーに聴いたモーツァルト41番である。前者はノット=ベートーヴェン最強説を決定付けた演奏だったし、後者のモーツァルトも、思えばノットが任期を大幅に延長するきっかけとなったのがモーツァルト・マチネなのだった。マーラーやブルックナーも素晴らしかったけれど、私見ではこのコンビの究極は古典派だと思う。

 

もちろん、任期中の全てに満足した訳ではない。マーラー2番、ブルックナー5番などではソロ・カーテンコールで疎外感を感じたし、シベリウス5番なんかもピンと来なかった。「映像ノット」はスリリングな試みではあったが、本質的には邪道だと思う。ショスタコ4番の演奏中に奏者が倒れ、止まらない演奏に不安を感じたこともある。コンマス水谷さんやオーボエ荒木さんなど主要メンバーの交代によるアンサンブルへの影響も心配だった。でも最終的には、一番の高みに到達したのではなかろうか。

 

思い出すことはまだまだあるけれど、とても書き切れるものではないし、もうこれまでに十分すぎるほど書いてしまったという気もする。指揮者として働き盛りの50代のかなりの時間を東響のために過ごしてくれたノット監督には感謝しかない。それをリアルタイムで、聴き手として心身共に充実している時期に体験できたのは、間違いなく人生の大きな宝物でした。

■東京交響楽団 第738回定期演奏会(26/3/28サントリーホール)

 

[指揮]原田慶太楼

[カウンターテナー]彌勒忠史♭

[合唱]東響コーラス♯

 

コープランド/アメリカの古い歌 第1集♯

バーンスタイン/チチェスター詩篇♯♭

ショスタコーヴィチ/交響曲第5番 ニ短調

 

原田慶太楼氏の東響正指揮者としての最後の公演(翌日の新潟もあるが)。コロナ禍と前後するように活躍し始めた原田氏に白羽の矢を立てたのも早かったが、次のステップへ切り替える時期も意外に早く訪れた。前半にバーンスタインを含むアメリカ作品、後半にショスタコーヴィチの交響曲というプログラムは、正指揮者就任披露公演だった2021年4月の定期を踏襲している。

 

前半は声楽入りの2曲。コープランド「アメリカの古い歌」は、アメリカの民謡やミンストレル・ソング、子どもの歌などを編曲したもの。独唱とピアノのための原曲が管弦楽版にも編曲され、全10曲のうち第1集は5曲構成。第1曲「船乗りたちの踊り」から、東響コーラスが身体を揺らしながら歌うざっくばらんでノリノリの合唱を披露。第5曲「私は自分に猫を買いました」では、猫、あひる、ガチョウ、鶏、豚、牛、馬、奥さん…と歌詞が進むごとに鳴き声の擬音が増えていくコミカルな展開が楽しい。

 

「チチェスター詩篇」は、バーンスタイン70歳のバースデイ・コンサート(1988年・タングルウッド)で小澤征爾が第1楽章を振った演奏が記憶に残るが、実演で聴くのも全曲を聴くのもこれが初めて。木管とホルンを欠く特殊編成で、クリスピーな打楽器陣と、ダブルハープの妖しい響きが印象的。3楽章構成で、合唱に加え第2楽章にはボーイソプラノまたはカウンターテナーの独唱が入る。第3楽章後半に現れる、伊藤首席のソロを中心としたチェロ4本による息の長いアンサンブルがひときわ美しい。

 

ヘブライ語の歌詞に込められたメッセージも、現下の世界情勢で聴くと様々なことを考えさせられる。未だアクチュアルな意味を失っていない、作曲家・バーンスタインの独自の美学が凝縮された傑作であり、アメリカの楽壇と縁の深い原田氏ならではの感性とも相まって、オケとコーラスの実力を存分に引き出したこのコンビ屈指の名演となった。後日、ニコ響の見逃し配信で聴き直そうと思ったら、この日のプログラム中この曲のみ「権利上の理由により」音が消されており、実演で聴けたのは貴重だった。

 

後半はショスタコーヴィチ5番。若々しくフレッシュで、全編に覇気が漲る原田氏らしい演奏。最も良かったのは第2楽章のスケルツォで、細部まで見直されデザインし直されたアーティキュレーションに、バージョンアップしたばかりのOSのような新味がある。この楽章のラストのテンポの動かし方ではウルバンスキ&都響の演奏を思い出したが、最近の流行りなのだろうか。全体としては5年前のショスタコ10番の印象とほぼ変わらず、それがこの指揮者の個性であり「現在地」ということなのだろう。

 

この5年間に聴いたこのコンビの演奏で最も印象に残っているのは、実演ではなく、ニコ響で視聴した2025年2月の「名曲全集」でのチャイコフスキー5番。その大胆不敵な解釈に、この人の指揮で定番のレパートリーをもっと聴いてみたいと思ったものだ。当面、その機会は減ることになりそうだが、今後の指揮者と楽団の進路と進化次第では、今度はさらに大きなポストで戻ってくる未来があってもいいのでは…と思っている。

■務川慧悟 日曜日の朝のフランシス・プーランク(26/3/22東京文化会館小ホール)

 

[ピアノ]務川慧悟

 

プーランク/

ユモレスク ト長調 FP72

フランス組曲 FP80

3つのノヴェレッテ

村人たち FP65

バレエ音楽「ジャンヌの扇」より 田園曲 FP45

3つの小品 FP48より トッカータ

即興曲第15番 ハ短調 FP176「エディット・ピアフを讃えて」

ナゼルの夜会 FP84

(アンコール)愛の小径

 

■夕暮れのフランシス・プーランク 管楽器とピアノによる室内楽(26/3/22東京文化会館小ホール)

 

[フルート]白尾 彰

[オーボエ]古部賢一

[クラリネット]三界秀実

[ファゴット]吉田 將

[ホルン]日髙 剛

[ピアノ]佐野隆哉

 

プーランク/

クラリネット・ソナタ FP184

フルート・ソナタ FP164

ピアノ、オーボエとファゴットのための三重奏曲 FP43

ホルンとピアノのためのエレジー FP168

六重奏曲 FP100

 

再来月から3年間の予定で改修工事に入る東京文化会館。休館前最後の東京・春・音楽祭が今年も開幕している。3日前に開花宣言のあった東京の桜はまだちょぼちょぼだが、上野公園は気の早い花見客でけっこうな賑わい。この日は小ホールでプーランクを特集した気になる公演が2つあり、月初に聴いたフォーレ・マラソンほどではないけれど、ミニ・プーランク・マラソンのつもりでハシゴしてみた。

 

「日曜日の朝のフランシス・プーランク」は午前11時開演。村上春樹のエッセイ集「意味がなければスイングはない」の中に同名の一章があり、そこからタイトルを拝借したとのこと。以前はプーランクが苦手だったと語る務川さんだが、このエッセイを読んだこともきっかけとなり、今ではその作品に「ぞっこん」なのだとか。プーランクのピアノ曲にはこれまでほとんど馴染みが無かったので、これだけまとめて聴ける機会は貴重。

 

曲集も含めのべ30曲ほどの小品が演奏されたが、中でも「3つのノヴェレッテ」が一筋縄ではいかない複雑な味わいで聴き応えがあった。「村人たち」には「あ、これか」という聞き覚えのあるフレーズが出てくる。最も演奏時間の長い「ナゼルの夜会」は、夜会に集う友人たちの性格を変奏曲形式で描いた、ピアノ版「エニグマ」のような作品。プーランクにしては芝居がかった演出が異彩を放つ。ピアフ風の即興曲とアンコール「愛の小径」では、束の間パリジャンの歌の粋に触れた。

 

「夕暮れのフランシス・プーランク」は午後4時開演。個人的にプーランクで最も好きなのは管楽器とピアノのための室内楽で、この日のプログラムは、愛聴してきたジェイムズ・レヴァインのアンサンブルによるCDの収録作品と全く同じ。この分野をまとめて聴ける機会も滅多に無い。出演するのは渋いおじさまたち=管楽器界の名だたる名手たちだが、完売御礼だったピアノ・リサイタルに比べやや空席が目立つ。

 

クラリネット・ソナタは、私にとってプーランクの原体験とも言える作品。しばらくぶりに聴いたが、今でも細部まで刷り込まれていて「偏愛」ぶりに変わりはない。「ピアノ、オーボエとファゴットのための三重奏曲」は、あらゆるトリオの中でも最も好きな編成、作品の1つ。最も難解だった「ホルンとピアノのためのエレジー」も、この歳になってようやく聴き方が変わってきた実感がある。デニス・ブレイン追悼のこの曲、同じ名手に当てたブリテン「セレナード」にも似た響きがある。

 

終演後、会場を出ると、春分の日を過ぎた空はまだ明るい。もし「夜更けのフランシス・プーランク」があるなら(と想像してみる)、未知の作品の宝庫である歌曲のリサイタルを聴いてみたい。前述のエッセイで村上春樹もこう言っている。

 

「声楽作品はどこまでもどこまでも「プーランク的」だし、プーランクのファンを名乗る人なら、最終的にはどうしてもこの領域に着地してしまうことになるのではないか」。

2011年の東日本大震災から今年で15年。区切りのいい数字だからか、テレビでは例年にも増して震災関連の特番が組まれていた気がする。3月11日の朝にNHKBSで放送された「クラシック倶楽部/15年目の祈り~ピアニスト小井土文哉と3.11~」もその1つ。

 

今年30歳のピアニスト・小井土文哉氏は、中学3年生の時に地元の釜石で震災に遭い、避難した高台で生まれ育った街が津波に呑まれる様子を目の当たりにしたという。その時のことを「現実感があまりなかった」「明日どうやって生きようか」という感覚だったと語る。中学卒業後、釜石を離れ盛岡で進学した小井土さんは、自分だけが逃げたような「後ろめたさ」「腑に落ちなさ」を感じていたという。ピアニストになった後も、頭の中の「罪悪感みたいなもの」は残り続けるが、祈りのように演奏を続けることで、自分自身も支えられ助けられている…とも。

 

今回放送されたのは、そんな小井土さんが地元のゆかりある人や場所を訪ねたドキュメンタリーと、今年2月に釜石で行われた公開収録での演奏。当日はベートーヴェンやショパンも演奏されたようだが、番組内で放送された演目は全てスクリャービン。

 

左手のための2つの小品 作品9

3つの小品 作品45

5つの前奏曲 作品16

2つの詩曲 作品32

ピアノ・ソナタ第4番 嬰ヘ長調 作品30

 

会場の様子を見ると、都内での人気ピアニストのリサイタルとは明らかに異なる客層だが、何故一見取っ付きにくそうなスクリャービンばかりなのか。それは、小井土さんが震災後のある日の夜に見た、静まり返った海や星の情景と、スクリャービンの音楽が重なり合ったことと結び付く。この独特の共感覚は、3.11を体験したピアニストにしか持ち得ないものなのだろう。

 

スクリャービンのピアノ曲って、ソナタ以外にも小品がたくさんあるけれど、どれも似たり寄ったりで、個別の印象は薄かった。でも小井土さんの演奏で聴くと、瑞々しく透明感があって、1曲1曲の性格が情感豊かに描き分けられ、しみじみと美しい。これほど深いところまで沁みるスクリャービンは聴いたことが無い。演奏家とは偉大なもので、その固有の肉体と経験を通じて、楽曲を別な何かへと生まれ変わらせる。これまで味気なかったスクリャービンがかくも鮮やかに香り立ち、映像を通して見るだけだった釜石の海から、微かに匂いさえしてくるようだ。

 

最後に演奏された、スクリャービン風に編曲された宮沢賢治作曲「星めぐりの歌」(小井土文哉編)の、夜空の涯てのような寂しさも忘れがたい。

■日本フィルハーモニー交響楽団 第778回東京定期演奏会(26/3/13サントリーホール)

 

[指揮]下野竜也

[ピアノ]野田清隆*

 

サミー・ムーサ/エリジウム

マイケル・ナイマン/ピアノ協奏曲(映画「ピアノ・レッスン」より/1993)*

(アンコール)リゲティ/ムジカ・リチェルカータより Ⅶ. Cantabile, molto legato*

シベリウス/交響曲第6番 ニ短調

 

サミー・ムーサ(1984~)の「エリジウム」は、2021年にサグラダ・ファミリアで初演されたという曲。長調の和音の総奏で始まり、電子音のように滑らかに音程を上下動させながら次第に変容していく。拍節感が希薄で、ひたすら横へ横へと音の帯が伸びてゆく曲想だが、聴き易い音楽。途中、映画音楽のようにも感じられたり、再び長調の和音へと回帰する終止がシベリウス7番を思わせたりするのは、後続のプログラムが頭にあるからだろうか。表題の「エリジウム」とは、死後の英雄だけが入れるというギリシャ神話の楽園を指すとのこと。

 

マイケル・ナイマンのピアノ協奏曲は、映画「ピアノ・レッスン」(1993年)のための音楽を再構成したもの。「ピアノ・レッスン」は懐かしい作品で、公開当時観に行って気に入り、サントラCDを購入した数少ない映画の1つ。今回そのCDを何十年かぶりに引っ張り出して聴き直した。サントラを聴き慣れた耳には、その素材を30分超の単一楽章に仕立て直した今作はいかにも冗漫で、ピアノ協奏曲としてはあまり良い出来とは思われなかった。ただ素材そのものはやはり名作だし、もし映画を知らずに聴いたら、また印象が違っていただろうか。

 

休憩を挟み、後半はシベリウス6番。インタビュー記事やプレトークによれば、下野氏がシベリウスの交響曲を公開演奏会で指揮するのは、意外にもこれが初めてなのだとか。これまで指揮するのを避けてきたというその理由が変わっていて、「南国(鹿児島)の生まれなので、自分が指揮しても寒い音が出ないと、半ば真面目に思っていた」のだそう。でも「あんなに知らない曲ばかり取り上げているくせに、シベリウスをいちども指揮しないで死ぬのもどうかな」と。

 

そんな話を先に聞いていたからだろうか、実際の演奏を聴いてみると、鳴っているのは確かにシベリウス6番なのに、何だか別の曲を聴いているような感覚がずっと付きまとった。同じ風景が描かれているのに、鉛筆画だと思ったら水彩画だったような。雪が積もっているのに、どんなに目を凝らしても雪の結晶が見えないような。そんな漠然とした印象が音楽的に言うとどういうことなのか、聴き終わってからしばらくたった今もまだ、うまく言語化できないでいる。

 

タイトルの通り、作品を演奏する立場から見た武満徹について取材したインタビュー集。取材対象となったのは池辺晋一郎から山田和樹まで、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、フルート、クラリネット、打楽器、ハープ、ギター、笙、テノール、バリトン、指揮、作曲、ヴォーカルの各分野の全25人に及ぶ。雑誌やWeb媒体に連載されたものではなく、全て書き下ろしの本書のために行われたインタビューのようだ。著者の原塁(はら・るい)氏は1989年生まれ、専門は音楽学、表象文化論とのこと。

 

インタビューは決まって「武満さん(武満作品)との出会いについて伺えますか」という質問で始まり、具体的な作品や演奏についてのやりとりがあった後、最後に「これから新たに武満作品に取り組む方にメッセージをいただけますか」という質問で締めくくられる。世代の若い5名ほどを除き、生前の武満さんと直接交流のあった人ばかりなのがポイントだろう。彼らが現役を退いたらもう聞けなくなるであろう、武満さんに関する貴重な証言がこうして残された。25人それぞれの武満像の断片を重ね合わせた、多彩かつ異色のバイオグラフィーになっている。

 

興味深いエピソードが満載だが、中でも印象に残るのは、武満さんがよく「鼻歌を歌っていた」と多くの人が語っていることだ。武満さんの人となりが伝わってくるし、武満作品の根底に「うた」があることを端的に教えてくれる。「武満さんの頭の中にある音楽は、楽譜の指定よりも遅い」というのも、何人かが異口同音に指摘していて面白い。演奏の現場に立ち会った武満さんに「もっとゆっくり」と言われた奏者は多い。それを知らず、楽譜の指定に忠実にやる若い世代や海外の奏者たちの演奏は、概して望ましいテンポより速くなりがちなのだそうだ。

 

個別の言葉では、例えばこんな部分を引用したくなる。

 

「システムや形式で表現するのではなく、ピアノの前に長時間座って同じような和音を何度も聴いて、聴いて、聴いて、そこから語りかけてくる声を待って、待って、待って、一音ずつ作られた音楽ですので、同じように一音ずつ出しては聴くことをくり返すことでしか作品に近づくことはできないと思います」(佐藤紀雄)

 

「楽譜を目の前に置き、鍵盤に指を這わせ、一つ一つ確かめるように音を出してみることから始めましたが、あの曲(「遮られない休息」)は、まさにそういう仕方で書かれたのだろうなと思います。「この音かな、それともこの音かな」と、まるで音を出すことを少し恐れながら指先で触れるように進んでいく」(北村朋幹)

 

こうした発言を引き出す著者の、揺るぎない武満愛に裏打ちされた取材力には舌を巻く。インタビューの合い間に挿入されたテーマ別のコラムも的確で隙が無い。

 

武満徹の評伝と言えば、立花隆のライフワークとも言うべき大著「武満徹・音楽創造への旅」を思い出す。あれが同時代人による作曲家の「正伝」だとすれば、こちらは世代を超えた大いなる「外伝」。武満徹の音楽に関心を持つ演奏家にとっても聴き手にとっても必読の一冊だろう。今年は武満さんの没後30年に当たる。これまであまり聴いてこなかったピアノ曲やギター曲、合唱曲なども、演奏機会を見付けて聴きに行きたいと思っている。

■国際音楽祭NIPPON 2026 フォーレ室内楽全曲マラソンコンサート(26/3/1横浜みなとみらいホール)

 

[ヴァイオリン]諏訪内晶子、ベンジャミン・シュミット、金川真弓、米元響子

[ヴィオラ]赤坂智子、鈴木康浩

[チェロ]イェンス=ペーター・マインツ、上野道明、佐藤晴真、辻本 玲

[フルート]石井希衣

[ピアノ]ソン・ミンス、秋元孝介、北村朋幹、阪田知樹、三浦謙司

[葵トリオ]秋元孝介、小川響子、伊東 裕

[レグルス・クァルテット]吉江美桜、東條太河、山本 周、矢部優典

 

【第1部】11時開演

ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調 作品13[シュミット・北村]

ヴァイオリン・ソナタ第2番 ホ短調 作品108[金川・阪田]

初見視奏曲[金川・阪田]

コンクール用小品[石井・阪田]

幻想曲 作品79[石井・阪田]

ピアノ三重奏曲 ニ短調 作品120[葵トリオ]

 

(ロビーコンサート1)

アレグロ・モデラート(2本のチェロのための)[矢部・伊東]

シシリエンヌ 作品78[石井・阪田]

 

【第2部】14時開演

ピアノ四重奏曲第1番 ハ短調 作品15[シュミット・赤坂・佐藤・三浦]

エレジー 作品24[マインツ・三浦]

シシリエンヌ 作品78[マインツ・三浦]

蝶々 作品77[マインツ・三浦]

ピアノ四重奏曲第2番 ト短調 作品45[諏訪内・鈴木・マインツ・ソン]

 

【第3部】16時開演

チェロ・ソナタ第1番 ニ短調 作品109[辻本・阪田]

チェロ・ソナタ第2番 ト短調 作品117[上野・北村]

子守歌 作品16[米元・三浦]

ロマンス 変ロ長調 作品28[米元・三浦]

アンダンテ 変ロ長調 作品75[米元・三浦]

弦楽四重奏曲 ホ短調 作品121[レグルス・クァルテット]

 

(ロビーコンサート2)

ノクターン第13番 ロ短調 作品119[秋元]

 

【第4部】19時開演

ピアノ五重奏曲第1番 ニ短調 作品89[金川・米元・鈴木・上野・北村]

ロマンス イ長調 作品69[佐藤・秋元]

セレナード 作品98[佐藤・秋元]

夢のあとに 作品7-1[佐藤・秋元]

ピアノ五重奏曲第2番 ハ短調 作品115[シュミット・諏訪内・赤坂・マインツ・ソン]

 

フォーレの室内楽作品を丸1日かけて全部演奏してしまおうという企画。没後100年だった2024年にもフォーレ作品の演奏機会は決して多くはなかったけれど、こんなプログラムを聴いてみたかった。全体は4部構成になっていて、どれか1~2部を選んで聴こうかとも思ったが絞り切れなかったので、思い切って1日通し券(11000円)で参戦。2つのロビーコンサートも含め、午前中から夜までフォーレ漬けの1日を過ごした。ちなみに国際音楽祭NIPPONの室内楽全曲マラソンコンサートは、ブラームス(2022年)、シューマン(2024年)に続き、フォーレが3人目。

 

通して聴いてみると、フォーレのこの分野の中核を成すのがピアノと弦楽アンサンブルのための作品であることがよく分かるし、その編成が四重奏→五重奏→三重奏という変遷を経て、最終的にピアノ無しの弦楽四重奏曲へと至る流れを俯瞰的に体感できる。また、各2曲ずつあるヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタ、ピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲を、第1番と第2番でそれぞれ異なるメンバーで聴き比べられるのもこの企画ならでは。もちろん作品年代の違いもあるが、同じ編成でも奏者によってこれほどサウンドの印象が変わるのかということを実感した。

 

今回のプログラムで特に楽しみにしていたのが、2曲のチェロ・ソナタである。チェリストのレパートリーとしてはかなり地味な存在で、2曲とも実演で聴ける機会は極めて貴重。辻本&阪田、上野&北村という、望み得る最高のコンビで、それぞれの味わいの違いを堪能させてもらった。第2番の第2楽章アンダンテは、ずっと憧れていた意中の曲。解説によれば、元は単独の「葬送の歌」だったこの楽章に両端楽章を書き加えてソナタとしたそう。元はチェロ・ソナタの緩徐楽章として構想された「エレジー」と並び、フォーレの弦の極みとも言うべき名編だと思う。

 

フォーレがパリ国立音楽院の仕事で、試験やコンクール用に書いた小品も漏れなく網羅されている(「初見視奏曲」「コンクール用小品」「幻想曲」「アレグロ・モデラート」)。どれも数十秒~数分ほどのシンプルな音楽だが、一聴して捨てがたい魅力を湛えている。名曲「夢のあとに」も、この文脈で聴くと新鮮。様々な編曲がある「シシリエンヌ」は、案外オリジナルのチェロとピアノで聴けるのは珍しい。海辺の陽光が降り注ぐロビーで聴いた、フルートとピアノによるソットヴォーチェな「シシリエンヌ」もまた格別だった。

 

各パート精鋭揃いで、これだけのアーティストたちを1日で聴けるのも贅沢な話だが、特に印象に残った1人を挙げるなら、ピアノのソン・ミンス。これまで全くノーマークだったピアニストだが、ピアノ四重奏曲第2番、ピアノ五重奏曲第2番での、柄の大きい画然としたパフォーマンスには、頭ひとつ抜けた印象を受けた。アンサンブルの完成度という点では、やはり常設団体によるピアノ三重奏曲、弦楽四重奏曲に一日の長があるように感じた。とりわけ葵トリオによるピアノ三重奏曲の、情趣絶佳な第2楽章アンダンティーノは、本日の白眉とも言うべき美演。

 

開演前は1日がかりの長丁場でどうかと思ったが、始まってしまえば時間はあっという間に過ぎてゆき、最後は名残り惜しかったほど。ロビーコンサートではこの日唯一のピアノ曲「ノクターン第13番」も演奏されたけれど、ピアノ曲や歌曲も含めフォーレの魅力はまだまだ尽きない。

■東京都交響楽団 第1037回定期演奏会Cシリーズ(26/2/23東京芸術劇場コンサートホール)

 

[指揮]デイヴィッド・レイランド

[ピアノ]ティル・フェルナー*

 

ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル/序曲 ハ長調

モーツァルト/ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調*

シューマン/交響曲第1番 変ロ長調「春」

(アンコール)ヤン・ヴァンデルロースト(中原達彦編)/カンタベリー・コラール(弦楽合奏版)

 

ハ長調の清新な序曲に始まり、ピアノが歌う「春への憧れ」が続き、交響曲「春」へと至る、この季節に相応しい好プログラム…のはずが、気温が急上昇した当日は春をすっ飛ばして一気に初夏の陽気に。デイヴィッド・レイランドは2024年10月の群響東京公演で聴き好印象だった指揮者(都響には3度目の客演)。

 

最初の「序曲ハ長調」は、ファニー・メンデルスゾーン唯一の管弦楽曲。序奏付きの端正なソナタ形式で、弦による第2主題が弟フェリックスの「夏の夜の夢」序曲を思わせるのが微笑ましい。次のモーツァルトでは、気品がありながらも描線の濃いフェルナーのタッチを堪能。メインの「春」は、重厚感と歯切れの良さを兼ね備えた佳演。細部は表情豊か、かつ全体としては引き締まったサウンドに、レイランドの腕の確かさを感じる。メロディアスな弦楽合奏のアンコールは、指揮者の友人で同じベルギー出身の現役作曲家の代表作の1つなのだとか。

 

■名古屋フィルハーモニー交響楽団 東京特別公演(26/2/24サントリーホール)

 

[指揮]川瀬賢太郎

[語り]五藤希愛*

[アコーディオン]大田智美*

 

武満 徹/系図-若い人たちのための音楽詩-*

R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」

 

「系図」&「英雄の生涯」という同一プログラムを、2017年10月にも川瀬&神奈川フィルで聴いている。思い入れある組み合わせなのだろう。「系図」はこの10年で6回目の実演。上白石萌歌、山口まゆ、唐田えりか、田幡妃菜、白鳥玉季に続く6人目の語り手は、2010年生まれの五藤希愛(ごとう・のあ)。歴代の少女たちの語りと、溜めや抑揚の違いを新鮮に聴く。冷静に聴いていたつもりが、「とおく」の「そのときひとりでいいからすきなひとがいるといいな」で思わずぐっときてしまった。

 

「英雄の生涯」は、何と言ってもコンマス小川響子氏のヴァイオリン・ソロが強烈。これまで聴いてきた同曲中でも、文句なしに随一の存在感。圧倒的に雄弁で、べらぼうに巧い。もはや交響詩というフォーマットを逸脱し、この曲をヴァイオリン協奏曲にしてしまう「伴侶」無双状態。こんなコンマスがいたら、そりゃーこの曲を東京公演に持って来るよね。

■都響スペシャル(26/2/16サントリーホール)

 

マーラー/交響曲第8番 変ホ長調「千人の交響曲」

 

[指揮]エリアフ・インバル

[ソプラノⅠ]ファン・スミ

[ソプラノⅡ]エレノア・ライオンズ

[ソプラノⅢ]隠岐彩夏

[メゾ・ソプラノⅠ]藤村実穂子

[メゾ・ソプラノⅡ]山下裕賀

[テノール]マグヌス・ヴィギリウス

[バリトン]ビルガー・ラッデ

[バス]妻屋秀和

[合唱]新国立劇場合唱団

[児童合唱]東京少年少女合唱隊

 

インバル&都響による第3次マーラー・シリーズの第2弾。このコンビが「千人」を演奏するのは1996年、2008年、2014年に続き4回目とのこと。このうち私は1996年の演奏を聴いているはずだが、当時の記憶はもはや残っていない。

 

ひと言で言って、具だくさんのマーラー。老練な魔導士のようなシェフ・インバルが、具材をざくざく切ってばんばん鍋に入れていく。舞台狭しと埋め尽くした各セクション、リモートコンソールのオルガン、Pブロックの合唱団とその手前の独唱陣、舞台奥にずらりと並んだ児童合唱、そして後方左右2階席に配された金管のバンダまで、各素材が惜しむことなく投入され、サントリーホールという「鍋」が随分小さく感じられる。しかもこの料理、敷居の高いレストランではなく、ざっくばらんな食堂でいただくのが似合う。塩気も油っ気もしっかり効いているものの、ずっと聴き続けていてももたれることなく、案外あっさりと完食できるのもこのレシピならでは。

 

最も印象的だったのは、第2部序盤の緩徐な部分。インテンポで淡々と振る指揮者も多い中、個々のパートやフレーズをこれほど揺らす演奏は珍しい。これ、やり過ぎるとクサくなりそうだが、その一歩手前の絶妙な塩梅なのがインバル流。この曲全体を4楽章形式に見立てた時に、緩徐楽章としてのこの部分の性格を濃厚に表出したシンフォニックな演奏。終盤の「神秘の合唱」に入る直前の、フルートの導入をこれほど長く引っ張った例も稀。「神秘の合唱」そのものもこれまで聴いた中では最も遅く、寄り添う弦のオブリガートが立体的に浮かび上がる。宇宙が鳴動する終結部もアンサンブルが混濁することなく、楔のようなバンダの音型がしっかりと刻印される。

 

ああ、「音楽的」ってこういうことだよな…と思う。ところどころ粗っぽい部分もあったけれど、この作品の破格の気宇を余すところなく具現化してみせた手腕は見事というほかない。この日は3日連続公演の2日目で、インバル90歳の誕生日でもあった。終演後、カーテンコールの途中で弦楽合奏が何やらシリアスな音楽を奏で始め、それがやがて合唱団も加わった盛大なハッピーバースデーへと発展。マーラー8番を誕生日祝いの壮大な前振りにしてしまう90歳など、そうそういるものではない。

2011年にBS朝日で放送されたテレビマンユニオン制作のドキュメンタリー番組を劇場版として再編集した作品。主人公のジュピター・カルテット・ジャパンは長らく活動休止中だったが、今年の東京春祭で再会公演が企画され、また続編番組「カルテットという名の青春が過ぎても(仮)」の制作決定を機に映画化されたとのこと。その先行上映を観に、初訪問の菊川の映画館へ。

 

ジュピター・カルテット・ジャパンは、桐朋学園の学生によって2004年に結成された(当初の名称はジュピター・ストリング・カルテットだったらしい)。メンバーはヴァイオリンの植村太郎、佐橘マドカ、ヴィオラの原麻理子、チェロの宮田大。原さんと宮田さんの演奏は個別に聴いたことがあったけれど、彼らがこんなカルテットをやっていたとは知らなかった。このカルテットが演奏活動を展開したのは主に2000年代後半で、テレビカメラが入ったのは2011年に活動を休止するまでの最後の3年間ほど。当初はミュンヘン国際音楽コンクールに挑戦する4人のサクセスストーリーを想定していたそうだが、一次審査での落選という予想外の結果を受けて、挫折から始まる物語へと切り替わった。

 

監督の浅野直広氏は元々クラシックを聴かない人で、この取材を通して自身が初めて触れるカルテットの世界を、一般の視聴者にも分かり易い言葉で、原田知世と監督自身のナレーションでかみ砕いて説明している。レッスンを通じてこのカルテットの課題として浮き彫りになる、ミスの無い正確性が重視される日本の音楽教育と、奏者自身の表現力を評価するヨーロッパのそれとの違いについては、やや類型的な図式という気がしないでもない。それでも4人それぞれの葛藤や苦悩は十分に伝わってくるし、4人が別々のヨーロッパの町に留学し、ソロ活動とカルテットを両立することが内包する矛盾から、カルテットの休止という選択に至る必然性にも説得力がある。

 

映画は冒頭、「僕は二十歳だった。それが人生で一番美しい年齢だなどとは誰にも言わせまい。」というポール・ニザンのエピグラフで始まる。「青春」はこの作品の大事なモチーフで、文字通り4人の若い音楽家たちの青春時代が描かれる訳だが、カルテットという共同体はとりわけ青春と相性が良いのかもしれない。彼らよりさらに若い世代の、エール弦楽四重奏団やクァルテット・インテグラの演奏を聴きながら思うのは、その音楽の充実度もさることながら、そこに賭ける彼らの情熱の美しさであり凛々しさである。それはかつて確かに自分も経験したはずの青春という時間の余熱を、束の間感じさせてくれる。その作用には間違いなく、カルテットという芸術のひとつの本質があるだろう。

 

この映画で強く印象に残るのは、4人がカルテットとして最後のレッスンで、ガボール・タカーチ=ナジの指導を受ける場面。課題曲はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番変ホ長調で、その第2楽章アダージョを巡るやりとりに本作の核心があるように思える。その同じ曲をプログラムに据えたカルテットの再会公演が、今年の東京春祭で予定されている。映画を観る前からチケットは取っていたけれど、観終わってさらに楽しみになった。青春が過ぎても、カルテットという名の物語はまだ続いている。