無言館、シベリヤ物語、正三角関係 | 今夜、ホールの片隅で

今夜、ホールの片隅で

東京在住クラシックファンのコンサート備忘録です。

 

過日、長野県上田市にある「戦没画学生慰霊美術館 無言館」を初めて訪れた。この美術館の存在を知ったのは、NHKの音楽番組がきっかけで、バーバーやクラムの弦楽四重奏曲がこの場所で収録されていたのだった。訪れた日は暑くて日差しが強く、小高い丘を登って木漏れ日のエントランスを入った途端、十字の形の館内のひんやりとした静謐のコントラストが鮮やかだった。

 

館内には全国から寄贈された名も無き画家たちの遺作が展示されている。個々の作品に何が描かれているか、よりも、絵を描くというのはどういうことなのか、という根源的な問いを突き付けられる。画家たちが亡くなった時の状況も書き添えられているが、一括りに「戦死」と言っても、病気や事故など様々な死因があることに改めて気付かされる。きっと同じ数だけ音楽を志した若者たちもいたはずだが、彼らには何が残せたのだろう…とも。

 

第二展示館に併設された図書館がとても充実していて、蔵書の背表紙を見ているだけでも愉しい。この日は本数の少ないローカル線とバスを乗り継いで来ていたので、帰りの時間が決まっていたけれど、願わくばここで一日過ごしたいと思ったぐらい。

 

* * *

 

先月末から今月にかけて、じっくり読み進めていたのが、ちくま文庫の新刊「長谷川四郎傑作選 シベリヤ物語」(堀江敏幸・編)。長谷川四郎という作家には、昔教科書で読んだ「赤い岩」で出会い、その後いくつかの短編を読んだが、「シベリヤ物語」は未読だった。作者は1945年11月から1950年2月までシベリアで捕虜生活を送り、その体験を基に11の短編が書かれた。

 

これを読むと、日本兵の捕虜だけでなく、ソ連国内からも多くの人々が様々な理由でシベリアに送り込まれていたことが分かる。そして「シベリヤ物語」の以前も以降も、この国の抑圧的な支配構造に、基本的な変化は無いのだろう。最近、ロシア文学者の奈倉有里氏の著作が好きでよく読んでいるけれど、若い世代の彼女が書き伝えるロシアのリアルと、長谷川四郎が見聞きした当時の極東ソ連のリアルが、地続きであると実感する。

 

この時期にこの旧作が刊行されたのは、もちろん終戦の月である8月を意識してのことだろう。記録的な猛暑が収まる気配の無い日々、通勤の電車内でこの文庫本を読みながら、遠くて近いシベリアの過酷な寒気を想像していた。

 

* * *

 

先週、NODA・MAPの新作舞台「正三角関係」を観た。松本潤が初主演ということでチケットが争奪戦となり、何度目かの抽選にかろうじて引っかかった。ネタバレになるので詳しくは書けないが、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を下敷きにしており、それを「唐松族の兄弟」=日本の花火師の家族の話へと大胆に読み替えている。

 

ドラマは花火師の長男(松本潤)、物理学者の次男(永山瑛太)、教会勤めの三男(長澤まさみ)の「三角関係」を軸に展開される。火薬と物理学と神、それらが揃った時点で、早い段階から、あるカタストロフが待つことを想像させる。たまたま取れたチケットが8月6日だったことにも、何かしら意味を感じてしまう。この時期の公演日程もまた、偶然ではないだろう。

 

奈倉有里、長谷川四郎、ドストエフスキーと、またロシア関連でつながる。そしてNODA・MAPと言えば、2019年の「Q」で観たシベリア抑留の悲痛な場面が忘れがたい。あの芝居にも、今回同様、竹中直人が出ていたのだった。個別の絵が、小説が、舞台が、こうして分かちがたく混然としてゆく。