職場に、別部署だが、どうも先輩からの忠告、指導が通じない若手がいる。


今日、その若手が上司に、上司からのその場での忠告をスルーして報告ルートを間違えた話をしはじめてしまった。


先輩がぼそっと「話がきけんな」と呟いたのに合わせて頷いてしまったのだが、自己嫌悪に陥った。


明日、上長の面談があるので私ごときが掻き回さずに沈黙するのが正解なのだが、何も言えず言う度胸もない自分が卑怯な気がして自己嫌悪になっていたのだと今頃気がついた。


その後、上司、先輩と件の若手について話している時、先輩の言葉に頷いて自己嫌悪に陥った旨を話したら、先輩が「なんか私が最悪みたいじゃん」と言われてしまい、全力で否定した。

先輩にそんなことを言いたかったわけがないので、更に自己嫌悪に陥った。


その時に上記の、自分の気持ちを明確に言葉にできなかった。


先輩の憤りは当然のことで、自分もそう思うから頷いた。それを本人に上手く伝えられない自分が嫌になったのだと。


先輩も茶化してくれたり上司も優しくフォローしてくれたが、言葉の怖さ、仕草の怖さを感じた。


まだまだ自分の言葉と行動が伴わないと自覚した。


細かいことは出来ないので、せめてウソがないように生きていきたい。

コツコツと取り組んできている成果が出ているのかはわからないが、なんとなく色々と相談しやすくなってきている気がする。


とはいえスピードを求めるとまだやらかす予感しかしないので、まだまだ修行が必要だ。


まずはしっかり情報を集めて書き出してみること。


元来のせっかちさといいカッコしいの取り繕い鎧をぶっ壊して、ありのままの足りない実力でやれることをやる。


自分の実力は日々変化しているものだ。


若い頃のような気持ちで全力疾走したら肉離れを起こす。


よく食べよく寝てコツコツ鍛えていこう。

今日、初めての出来事があり、上司は出張中だったがメールで相談させてもらった。


聞けて良かった。

ひとつずつ実力をつけていきたい。


今日は、自分が実力をつけるのは自分のため以上にお客様のためだという気持ちが更に強くなった。


これまでもそう思っていたのだが、重心が完全に移った気がする。


情けは人の為ならず、ではないが、これまでは勉強は自分のためという気持ちが結構強かったのは事実だ。


しかし、今は自分が勉強しなければお客様が大変なことになってしまうという気持ちが強い。


重みがある仕事だ。

自分が潰れても迷惑をかけてしまう。

ひとつひとつやっていこう。

留守電に入っていたメッセージに対して、昨日先方がお手隙だと言っていた17時以降に折り返そうと思っていたら、16時近くにあちらから電話がかかってきてしまった。


元来気遣いが下手なくせに気を遣うから失敗する。


センスがないのでトライandエラーだ。


現在の仕事の向き不向きはよくわからない。


以前の現場はかなり手応えはあったが、勉強して実践していこうと思う。


今、重松清さんの青い鳥を再読している。


青少年向けのお話だが、そういう話にこそ、今の私くらいの中年男が忘れかけていた普遍的なものを突きつけられる感覚で読んでいる。


私も村内先生のようになりたい。


思い返せば、普通がわからない私だからこそ、そういう風に世間から言われてしまう方との何かを求めて仕事をしてきたのかもしれない。


手前勝手な言い分だが、そんな方々のお役に立てるように仕事をしていこう。


再読して良かった。

ありがとう。

だいぶありのままで話せるようになってきたが、まだまだいいカッコしいの鎧は固い気がする。


今日、会議で質問をしたのだが、先輩から「自分で調べてきて質問をしてくれたけど、その前にこの段階で質問すれば良かったのに」と言われた。


確かにそうだなと思った。


調べた上で、その調べたことを先輩に聞いたら更に知見が強化されたかもしれない。


調べることは大切だし、調べずに質問するのも周りの人をGoogle扱いしてるみたいで失礼だと思うが、調べた上で更に補強をするのも大切だと思う。


むしろ、調べてわかった気になったことの前提が違う可能性もあるのでその正誤を確認するのも大切ではなかろうか。


実際、「だったらこれはどう?この形態のサービスだとこういう扱いだよ。あと、こっちの方面は?」など次から次へとフィードバックをもらえた。


皆忙しいので、定期会議は質問や相談をしやすくて本当にありがたい。


質問する自分としても、何を聞きたいのか考えやすい。


私はただでさえせっかちなので、しっかり何を聞きたいのか考える時間が必要なのだ。


明日もせっかちといいカッコしいの鎧を吹き飛ばしてやっていこう。

今日はエレキギターを弾いた。

私はtokaiのレスポールモデルが大好きで、ls160とls113sの2機を所有している。


今日はls160を弾いて楽しんでいた。



このギターは買ってから10年以上経つ。

ライブやレコーディングにたくさん使ってきた。


改造大好きな私だが、tokaiのギターはとても丁寧に作られている音がするので、バランスを崩さないように一切配線関係は触っていない。


本家ギブソンの方が改造まみれだ。


ピックアップも勿論純正だ。


そしてこのピックアップがなかなか良い具合に経年変化してきて、音も見た目も最高を更新していると感じる。





これはリアピックアップの写真だが、弦の振動跡や、右手の汗でメッキが剥がれた跡が刻まれている。


PRSのmodern eagleを所有していた時についていたピックアップもビンテージ志向で素晴らしいピックアップだったが、そのピックアップを彷彿とさせる仕上がりになってきていると贔屓目に見て満足している。





本日も楽しく弾かせていただいた。

おじさんはエフェクターを繋ぐのが手間なのでアンプ直で練習だ。


低出力なピックアップの方が、結果的に守備範囲が広いと思っている。

アンプの歪み具合によるが、ギターの手元のボリュームを3以下に絞った時にクリーン気味になるくらいが私の好みだ。


ちなみに、アンプは10年くらい前に中古で5000円くらいで買ったvoxのDA5という5wの練習用アンプだが、使い勝手がよく、とても気に入っている。




悦に浸るおじさんはiPhone一発撮りである。

編集は出来ない。


弾いてみた動画を録って、編集する人は本当に凄いと思う。


楽しくギターを弾けることに感謝である。






昨日は久しぶりに酒を飲んだせいか夜中に起きてしまい、再び寝付くまでに2時間以上かかってしまった。

 

その間、楽しみにしていたキングダムの80巻をスマホにダウンロードし読もうと思ったのだが、ここ2か月ほどスマホで漫画を読んでなかったせいか全然読むことが出来ず断念した。

眼球の運動能力が弱くなったのかもしれない。秋の健康診断に戦々恐々である。

 

今日は久しぶりにレスポールを弾いたり土鍋炊飯をしたりした。

また、司馬遼太郎の坂の上の雲が遂に最終巻に突入した。

この本は、ずっと読み始める度胸がつかずに読み始められなかったのだが、7月末にあるきっかけがあり読み始めてみたらぐいぐい引き込まれてしまいもう8巻だ。

 

途中で村上春樹を読んだり更新研修があったりと寄り道をしたのだが、なんだか名残惜しい。

しっかり結末を見届けよう。

 

今日、長女から「広島って爆弾が落ちたんでしょう?」と質問された。

私の器では、「日本がやっちゃいけない戦争をして、もう負けているのに意地を張り続けたからもっとひどいことになっちゃったんだよ」としか伝えられなかった。

 

いつぞや物議を醸したことがあったが、娘にはしっかりと「はだしのゲン」を読んでほしいと思う。

 

私もこういう質問にしっかり答えることができるように勉強し続けよう。

上司が先日、守秘義務に関わる話を我々にも聞こえるように話し出した他部署の職員へ注意したのだが、「ああいうときこそ君が敬語でキレてやったらいいのに!」と敬語の使い方(?)の冗談を言っていた。


普通の言葉がカチコチで堅苦しくなりがちな私は妙に納得してしまったのだが、先輩に「敬語でキレてもその後負けそうじゃない?」と返され、ぐうの音も出なかった。


その通りだと思う。


負けていいから皆で仲良くしたいなと思う。


恥ずかしながら、去年までの私はそう思えていなかった。


口先だけ低姿勢で、そのくせ中身はいいカッコしいで(これは残念ながら今でも気を抜くとそうなる)周りも自分も不快な存在だったと思う。


失敗の数々を反省し、周りから言われて、これではダメだと思った。

しかし、言われたことをメモに書いて見直すものの全然どうにもならない。直らない。


相当苦しかったし、周りの人達に迷惑をかけまくった。


今でも迷惑をかけまくっているが、そんな中でも少しずつ変わってきた気がしている。


それというのも、この一ヶ月、毎日日記を書くようになってから、様々な出来事の分析、自己覚知が進んできて、トライ&エラーを前よりもできるようになってきた気がしているのだ。


何より、毎日blogを書いていた大学生の頃のような気持ちが蘇ってきた感触がある。

そしてこれがチャレンジャー精神に繋がってきた気がしている。


勘違いかもしれないが、日記を書いている内に得た自己覚知(いいカッコしい、せっかち)は本当にそうだと思う。


それだけでも価値があるのではなかろうか。


ちなみに、私が何故紙の日記帳に書かないのかというと、字が汚すぎて読み返せる自信がないからというのと、トイレの中でもしばしば読み返して心に刻みつけたいからである。


アウトプットして、それを検証する。


作曲と同じだ。


久しぶりに酒を飲んだ。

寝よう。



臨機応変は私には難しい。

なにしろ、私にとって「普通」が1番難しい。

これはもうある意味諦めというか、「普通」が出来ずに指摘されたミスは割り切って次へのケースワークとするしかない。


私は「コンビニ人間」にとてもシンパシーを覚えるくらいには世間一般の人に比べて欠けたものがある人間だと思っている。


私にとって、あの話は救いの話に感じてしまう部分がある。


多分そういう話ではないはずなのだが、私は現場で歯車になれることに安堵の気持ちを抱いていた節がある。


不健全かもしれないが、感情は本物だ。

逆らわずに生きたい。


ペラッペラで堅苦しい私の「ありがとうございます」、を言ってしまうクセを上司が真似して見せてくれたのだが、確かにこれは不自然だなと思った。


また、私の発言が台本を読んでるみたいという指摘があったのだが、確かにそういう練習をしているのでそうなるのは自明のことだと納得してしまった(納得してる場合ではないのだが)。


多分だが、取り繕おうとする感じが前面に出てしまうからだと思う。


下手くそでも、ぺらっぺらでも、感謝を形にできるようになりたい。


臨機応変ができず気が利かないため、上手く行動に出来ないが、せめて気づいたことだけでも行動して感謝を形にできるようになりたい。


ペラッペラなりにやっていこう。

昨晩は寒さで目が覚めてしまいよく眠れなかった。

しっかり秋が訪れたようだ。


なんだかんだで一ヶ月みっちり日記を書いた。

相変わらず反省だらけの毎日だが、先月よりも充実していた気がする。


若い頃、基本的に毎日blogを書いていたが、その時に近いフレッシュな部分を思い出してきたように思う。


あの時と違うのは、歳を取ったことと、人に見せびらかす気持ちがなくなりアクセス数を気にしなくなったことだ。


日記は自分とのセラピーになりうるということを再発見できたのがこの一ヶ月の収穫だ。


日記を毎日つけることで、自己覚知の重要性と、自分のことばかりに囚われていたことを思い知らされた(私には、いいカッコしいとせっかちさが至る所に潜んでいる)。


また、人と関わることで己のことを知れるということも再確認できた。


まだまだ勉強だ。