君の名は。 | text of KATARA

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小説、シナリオ、エッセイなど。

主人公の瀧君は父子家庭のようで、離婚なのか死別なのかなんらかの事情あっての別居なのか、とにかくお母さんがいません。

それはなぜかというと、ストーリーの都合だろうと思います。もしいたら女の子と入れ替わった時にややこしくなる。映画の後半に数日外泊するのも面倒な話になる。忙しくて家にあまりいないお父さんとふたり暮らし、の方が話はずっとスムーズになる。

物語の設定はそんな風に決まっていくもので、三葉のお父さんが町長なのもクラスメイトが土建屋の息子なのも、ストーリーの都合からでしょう。

そしてストーリーも同様です。

入れ替わったあいだの出来事を細かく描けばそれだけで面白いし、恋愛感情に至る過程をもっと描けばより感情移入できるのに、それどころじゃない。大事件が迫ってる。

で、面白くなる部分をバッサリ切って先を急ぐ。いつの間にかお互いが好意を抱いていて「急だな」と置いてけぼりを食った人もいたんじゃないでしょうか。自分はちょっとそうでした。

でも日々のこまごまを延々やったあと突然スペクタクルには移りにくい。話がまるで違っちゃう。なので最小限にまとめた。

「ん?」となる部分はあれこれあるかもしれません。オープニング前の浴衣は合ってる? 電話がどこにも繋がらないのはなんで? 永久欠番?

しかしこれも繋がらなかったんだからしょうがない。かけてみたけど繋がらなかった、やるだけやった、というのが大事で、ポイントを押さえたんだからOK。

という判断を積み重ねて物語は作られます。

ストーリーの都合で設定を決め、疑問を持たれぬようポイントを押さえ、あったはずの出来事を省略しあえて見せない。すべては作者の意図する方に導くため。

こんな風に裏側やカラクリを知ると、物語を楽しめなくなりそうですね。

でも自分は逆でした。物語が例外なくそういうもの、都合よくまとめたもの、となれば、小さなことにこだわらなくなります。むしろたくさんの物語を楽しめるようになりました。以前だったら「君の名は。」も楽しめたかわかりませんが、今は大好きな1本です。
 

 

物語についてのエッセイ・目次

 


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