…き。
……びき。
「響!」
いつものユイさんの声が聞こえた。僕は身体をゆっくり起こし、時計を見ると「午前11時29分」を刺している。
僕は「あ、あれ?」と呟くとユイさんは首を傾げた。
「どうしたの?」
「いえ、いつもはもっと早かったなぁって…」
ユイさんは吹き出した。
「今日はお休みよ。昨日、大変な目に合わせちゃったし、昨日、何時に寝たのかも覚えてないでしょ?」
確かに言われてみれば僕には寝た記憶がない。残っているのは、屋上に行って、星を見に行って、大の字になって…そして少年と再会して…そこまでだった。
考えている姿を見て、ユイさんは笑って続けた。
「昨日、シズカと屋上に行って、横になったまま寝ちゃったのよ。それをシズカと私が2人して運んできたの。そんなに重くはなかったんだけど、ちゃんと食べてる?なんだったら、私の分の食事まで食べる?」
僕は断ったが「医者としての意見もそうだけど、女としても羨ましくなる位軽かったわよ?」と言われて、僕は笑った。
「いえいえいえいえ!冗談じゃなくて、本当にそれ以上痩せたら体がおかしくなるから、ちゃんと食べなさい!今、体重どれ位あるか、計ってみる?」
真剣に言われているのは僕がそんなに軽かったからなのか、冗談なのかはわからなかったけれど、さらに僕の笑いを誘った。その時、少年の[ユイさんに聞いてみるのがいいかも]と言う言葉を思い出した。
僕は笑うのを止めて、真剣な顔をした。
「ユイさん…」
「ん?どうしたの?」
僕は少年のことを語った。最初はどうしていいのか分からなかったけれど、ユイさんも真剣に聞いてくれた。
「それで…あの少年は[ユイさんに聞いてみるのがいいかも]と言っていたんですけど、夢のことなのに、すいません…」
そう言い終えた後に僕は次の言葉が見当たらずにいると、ユイさんは少し、目に涙を浮かべていたような気がする。
「響…。あなたの言っていることは…いえ、これはもう今のあなたには子供だましにしか過ぎないわよね…。その少年…。響、あなたが“夢”から覚めた時に私があなたに説明した“近所の少年”なんだけど…実はその子も、この病院の別の場所であなた達が運ばれてくるのと同時期に入院していた子がいたの。…心臓発作だったんだけど、まだこの病院で生きている。これは、医者として…だけじゃなくて一人の一般人が見ても想像にしか過ぎない確立での話しなんだけど“あなた達のことを通報したと同時に心臓発作を起こして別件でこの病院に入った”と言うことなんだけど…まだ仮説は仮説にしか過ぎなくて…」
僕は、少し怯えたかも知れない…だけど、ユイさんの次の言葉を聞いて少し、拍子抜けした。
「なんてね。その近所の少年、実はあなたに会いたがっているの。別に、幽霊でもなんでもないわ。ただ、少年が書いてくれた手紙の内容まで覚えててくれたから嬉しくて」
…手紙?
…思い出したように僕は引き出しを開けると、何通も手紙が入っていた。
「これ…」
そう、確かにそれらだ。僕が少年とやり取りをした、確かにその送られてきた手紙を持っていた。
「それが、少年から送られて来たもの…。あなたが送った分は少年が大切に保管していて私たちは見ることが出来ないんだけど[私に聞いてみるといい]って言うのは、私も分からないけれど、その近所の少年と響…だけじゃない。シズカも。少年が言うには小さかった頃、よくその少年と遊んでいたらしいの。…あなたのお母さんと、シズカ、響と一緒に」
ようやく眠っていた記憶が全て浮かんできた。
「響!?どうしたの!?」
「え…」
気付くと僕は震えながら涙を流していた。止まらない。そして次の瞬間、その光景が頭の中で再生された。
僕は言葉にならない叫び声を上げたと思う。
今までにない、恐怖と不安感と絶望感などが僕を襲う。
そう思った瞬間、僕の意識はそこで途切れた。
思い出した記憶は…。
公園で僕とシズカと少年が遊んでいる時、僕の帽子が風で飛ばされてしまった。その帽子を取りに道路に出た僕を何か言葉を発しながら母さんが走ってきて、僕を突き飛ばし、フッと母さんを見ると、母さんがトラックに跳ねられた映像だ。
どれ位飛ばされただろうか?
その日から、父が変わってしまった。
その日から、僕達も変わってしまった。
そうか…僕のせいだ。
僕があの時母さんを殺したんだ。
僕は本当はあの時、死んでいた方がよかったのかも知れない。
そんなことを思っていると僕を呼ぶ声が聞こえる。
「…き、響!」
僕は目を開けるとそこにはシズカとユイさんが心配そうに僕を見つめていた。
僕は今どこにいるのだろう?
「ここは…どこですか?」
「いつもの部屋よ。ただ、嫌な思いをさせてしまってごめんなさい…」
ユイさんは涙ながらにそう言ってきた。
違う。
謝らなければいけないのは僕のほうだ。
僕がいけないんだ。
僕さえいなければ母さんは死なずに済んだ。
「違います。僕のせいなんです。ユイさんは何も悪くありません。ごめんなさい」
シズカは僕の頬を強く引っ叩いた。
「あんたねぇ…そうやって何でもかんでも自分のせいにしないでよ!あんた一人で抱え込まないでよ!どうしてそうやって一人で全部抱え込むの!?」
僕は答えられなかった。
「あんたは善意からかも知れないけど、あんたが全部一人で抱え込んで、辛そうにしてるのを見ると、何で私達に話してくれないのかなって少し寂しい気持ちになるの…もう少し周りを信用してよ…。あんたの考えてることなんてすぐに分かるんだから…。もう少し、周りを…いえ、私達を信じてよ…」
シズカの手は震えていた。
次の瞬間、僕は無意識に言葉を発していた。
「姉さん…また、星を見に行ってもいいかな?」
シズカは黙って頷いた。
僕はボーッとする頭で屋上まで階段で足を運んだ。
相変わらず綺麗な星達が空一面には輝いてそこにいる。
「響、今は分からなくてもいいから聞いて?」
僕は静かに頷いた。
「あなたは優しすぎるのよ。嫌なことから逃げられない性格。昔のことも思い出しては罪悪感に駆られて、どうしようもなくなる。それは悪いことじゃない。でも、それは強さとは違うと思う」
僕は黙って聞いていた。
「本当に強い人間なんて、この世界にはいないのかも知れない。それはそうよ。暴力や恐怖での支配なんて意味を持たないし、崩壊する。逆のことも言える。平和を謳っていたってみんながみんな我慢をしたら我慢の限界が来た時に崩壊する。でも、人って言うのは生きてる間は少なくとも一人じゃいられない生き物だと思うの。最終的には一人になるのに…」
何かを悟ったような瞳でシズカは続ける。
「でも、人は“この人になら自分の全てを預けてもいい”って相手と出会うと、変わると思うの。愛だの恋だのだけじゃなくて、親友や、家族なんかがそう。私にとって、その相手は響、あなたよ」
僕なんかになんの価値があるんだろうか。
「響はまだ分からないかも知れないけど、あなたにはその価値があるの。今は分からないかもしれないけど、いつか分かる時が来るわ」
シズカはそう言って目を瞑り僕の手を握った。
僕は徐々に落ち着きを取り戻した。
僕はシズカのことをちゃんと守っていけるのだろうか?
シズカのために変わることが出来るのだろうか?
考えは尽きない。
そうして、夜は更けて行った。