不思議、大好き! -3ページ目

不思議、大好き!

文章はすべてフィクション。ほぼ1話完結。





昨夜は眠るのが遅くなった。

朝の四時過ぎに眠った。

まどろむ中で、僕は身体を強く揺さぶられた。

地震かと思って、大切な人を助けなきゃってと思ったけど、そんな人はここには一人もいないことに気づいた。

十時過ぎに起きて、気象庁の地震速報を見た。

地震じゃなかった。僕が痙攣していただけだろうか。たしかに、身体は震えていた。

こんなことは初めてだったが、最近奇妙なことが起きていたから、まあいいかと思った。

夜、薬を飲むのが辛くなってきた。昨夜は少ししか飲めなかった。お酒も熟しすぎた葡萄みたいな味がして、半分くらいで捨ててします。

薬が飲めないのは辛い。飲むのも辛い。薬のことを考えると吐き気がする。

今日、keikoさんが小室さんと子どもを作らない理由を知った。それが本当かどうか分からない。でも、昨夜の僕のように、たしかめようがない。

なんでもいいじゃないか。そんなこと。




毎日同じことを考えてる。

毎日毎日。

昔のことばかり思い出す。

たいして関心のなかったglobeの曲とか聞くこともある。

耳元で歌うkeikoは、今のkeikoとは違うんだろうか。

45歳でありながら、小4のドリルを解くまでになったkeikoさんは、FACEを歌った頃とは別人なんだろう。

智恵子抄の檸檬のように目の奥に以前の彼女を見出すことが小室氏にはあるんだろうか。

職場で中学の国語の教師であった人に聞いてみた。すると、僕の向かいに座る同僚が言った。

創価大の時、TMネットワークの木根さんが、「創価学会に入ったら、今度の小室の結婚式に連れて行ってやるよ」と言ったそうだ。僕はそれは何度目の結婚のことだろうと思った。keikoさんとのそれなら、行ってみたい気がした。

それから、一時創価学会のことの話になった。創価学会には池田さん専属の喜び組みたいなのがあって、女子はある決まった化粧をするらしい。僕には全くわからなかったが、同僚は一目で分かるらしい。

「ほら、この前異動してきたMさんのような化粧だよ」

僕は好奇心に駆られて、Mさんを見に行ったが、よくわからなかった。

創価学会は小室氏にどんな救いをあたえるのだろうか。

keikoさんはまだ帰依しているんだろうか。

globeのマークが彼女はパーティーガールだったと語っていた。

僕はパーティーガールがどんなものか分からなかったが、大学生の時に付き合っていたフランス人がクラブ三昧だったので、あんな感じだったのかなっておもった。

何年か前に、脳梗塞で倒れたkeikoさんの肉声を小室氏が伝えた。

アラフォーとは思えないあどけない声で、周囲の人に感謝していた。ファンにはまた歌いたいと伝えていた。でも、やっぱりそのあどけなさが痛々しかった。

あれからまだ復帰せず、小室氏は引退宣言した。

小室氏は、宇多田ヒカルが出てきて、音楽で勝てないことを悟ったという。

宇多田ヒカルのstay goldやheart stationはよく聞く。


毎日おなじことを考えている。

昔のことばかり。

globeも宇多田ヒカルも僕の過去を彩らせていた。

ちなみに宇多田ヒカルの最近の曲は全く聞かない。



もう少し、素直に、正直に、文章を書こうと思う。もう僕のことを知る人はこの文章を読んでいない。記録しておいた方がいい気がした。

今夜も薬を飲んで眠る。間違えてフィルムを飲み込んだ。僕の喉は僕よりも先にそれに気づき、僕を咳きこませて、飲み込んだフィルムを吐き出させた。

まったく。よくできてる。皮肉だよ。




霊感があるという音楽の教師が言った言葉。

人は意味のある人に3人出遭う。

僕のそれはなんだろう。

1人目。1997年。どの瞬間も僕を思い描いてくれて、毎日何通も手紙をもらった。

2人目。2005年。死にたくなって3年目で、死神じゃなくて、天使を2人連れてきてくれた。

それから。それから。それから…。

出遭いに意味があると言えそう人は誰だろう。

夜の町に立つ僕のシャツにいつもアイロンをかけてくれた人だろうか。

「あなたが毎日玄関を開けて帰ってくると思うと、とても幸せな気持ちになるよ」って言ってくれた人だろうか。

赤い縁のメガネを右の人差し指の背で押し上げる仕草がとってもキュートな人だろうか。

それから…それから…。あとひとつ。どの人もあとひとつの踏ん張りが足りなかった。

確かに、意味のある人との出逢いは僕に生まれ変わりを、新たな自分の誕生に気付かせてくれた。

もう死んでもいいやって思って16年目。

第三の僕はまだ誕生していない。




歓送迎会があった。古い人が出て行き、新しい人がいた。誰もが真面目に捉えず、面白おかしく歓迎したり、送別したりしていた。僕もそのひとりで、好き勝手なことをいって笑いあった。

一次会で僕は消えて、家路に着いた。それで十分だった。

歓送した人の中には、妊婦がいたり、新婚がいたり、まじりっけのない真っ直ぐな笑顔が見えた。

僕はそういう人には決して近づかず、はためからいろんなことを思ったが、仲良くならないな、絶対って思った。

酒気を帯びた呼吸を重い肩でして、電車に揺られながら、走馬灯のように昔を思い出した。

そこにはいくつもの歌があり、その当時の流行歌が自然と流れていた。

I`m In Heaven,ロコローション,SEASONS,Hellow Again,Swallowtail Butterfly,get wild,There will be love there………

これらの曲はどこで流れているんだろう。僕にしか聞こえないんだろうか。それなら、いやそれがいいなって思って目を閉じた。

もちろん、家に帰ってから、昔の曲を聞き直した。

あぁ…あぁ、僕はもう17年前に、完全に取り返しのつかない間違いをしたんだった。

僕の前に、クリスマスキャロルのように、十七年間に出会った人々が現れては消えていった。


あぁ、今日は、死ぬにはなんて良い日なんだ。

最近は、できないことばかりだ。

アルコールが飲めなくなった。薬と一緒に一口飲んで、まずくて捨ててしまう。とてもまずい。。

不眠の薬は薬疹が出るようになってしまって、仕事に差し支えるからたくさん飲めなくて、全く利かない。少しの量でも、飲むのも辛くなってきて、かなり無理して飲み込む。

そして、たぶんおそらく、もうすぐ一年になる服薬のせいで、女の子も抱けなくなってる。

涙が止まらなくて、自分の弱さを痛いほど思い知るとき、僕はめちゃくちゃに身体を鍛える。でも、やり過ぎて、左手首と腰を痛めてしまった。特に腰は、座るのも、動くのも痛い。

僕を心配して送ってくれた手紙は破いて棄てた。だって、僕は誰にも話していないのに、知ったようなことを言うのが許せない。いや正確には、かげてコソコソ暗躍する輩には腹の底から腹が立っているんだと思う。

人なんて信じるもんじゃない。一瞬で信用の何もかもが崩れ落ちる。一旦崩れたものは元には戻らないのだ。

医者にかかるのもやめた。車の運転も、仕事もしてはいけないと言われた。おまえにそんなこと求めてないんだよって言ってやった。

なにもできない。誰にも、何も話せない。現代の人との繋がりの象徴であるsnsは、全て退会した。

僕は横になり、腰の痛みを耐えながら、この手詰まりと向き合う。

正しいことなんて一つもしてこなかったんだ。過去の良いことは今の僕を苦しめる。全部なくしてしまいたい。

最初から好きじゃなかった。あんたメンタルが弱い。あなたは孤独を知らない。あなたの子が死ねばいいのに。

パパのことが大好きだよ。また遊ぼうね。この前、こんなこと頑張ったんだよ、またパパの家に泊まりに行って良い? 勉強がんばってるよ。学校って楽しいんだよ。村の鍛冶屋、サーカス、方丈記、金子みすゞの詩、今でも歌えるよ。野菜を頑張って食べてるよ。こんな勉強の計画立てたんだ。………

あとなんだっけ…あとなんだっけなんだっけ‥。




かじかんだ君の手を握り締めると

『このまま時間が止まれば』って想う

覗き込む眼が嘘を捜してる

馬鹿だな、何も出てきやしないと笑って応える



遠い未来を夢見たり憂いたり

今日も頭の中を行ったり来たり

触らないで なるたけ手を加えぬように

君の成長の軌跡を、今日も見届けてる

さようならさようならさようなら

夢に泥を塗りつける自分の行いに

無防備な夢想家だって親しい人に揶揄されても

決して揺るがない記憶は、決して溶けはしない

さようならさようならさようなら





Mr.Children/祈り~涙の軌跡





風邪を引いたら、熱が出たり、頭痛がしたり、悪寒がしたりする。

怪我をすれば、その部分の皮膚が破れて血が出たり、骨や神経を傷めて、痛みがあったりする。

悪寒がなくなったり、痛みがなくなったりすれば、治療は完了したことになる。

つまり、治ったのだ。

では、心は?

心の場合、その他の場合と違って、自覚することが難しい。

そりゃあ。社会人になって、そこそこの仕事をすれば、毎日平穏という訳にはいかない。

難しい決断をしなければいけないときもあるし、なにが答えなのか分からないまま正しいだろうことを信じて突き進まなきゃいけないこともある。

そんなときは、ドキドキしたり、眠れなくなったり、時には落ち込んでご飯がのどを通らないこともあるだろう。

たいていは、一過性のことで、動悸や不眠はなおったりする。

でも生きているとそういうことばかりではない。仕事のことだけじゃなく、私生活のことも上手く行かないことも出てくる。歳を重ねればそういうことが増えていったりする。

自分の人生の荒波を、何とか乗り切らなきゃいけない。そう思って踏ん張り続ける。だから、そんなとき、心が傷ついてるとか弱ってるとか思わない。

僕もそうだった。確かに生活は一変し、溶けない思い出に溺れていても、なんとか乗り切ってきた。続く限り、なんとしても、何を犠牲にしても、そうしていくつもりだった。

でも、周りの目は違ったようで。隣の席の同僚がとても心配してくれていた。僕は嘘をつけないから、余計なことをたくさん言っていたんだろう。

年度末に、その同僚は心療内科の予約をとってくれていた。

僕は診断され、薬を処方された。

風邪を引いたときと同じだ。

僕は無自覚だったが、病を冒されているらしい。

同僚がそこまでしなかったら、僕は病院に行かなかったし、病を自覚することはなかっただろう。

ただ着地点が全く見えない。何がどうなったら僕は治ったと言えるのだろうか。病は烙印のように僕につきまとっている。

「あんた、メンタルが弱いからね」

呪いのように繰り返される言葉があった。

あれは何年前のことだろう。

近くの山に祖母と一緒に出掛けたことがあった。標高500mくらいの小さな山。でも、急勾配のある山道だった。

途中から、祖母をおんぶして登った。展望台についたとき、「こうして来れるのは、これが最後だろうね」と言った。山間にある自分の町を見つめながら。

祖母は長男である僕をとても大事にしてくれた。いつも笑顔で、僕の要求(時にそれはわがままだった)を快く、しかも精一杯応えてくれた。僕の祖母の記憶は、笑顔で明るく僕に接してくれたものばかり。

スティーヴン・ピンカは、世の中に悲観的な人が多いのは、ニュースというマスメディアが『起きたこと』は報じるが、『起きなかった』ことは報じないからだと指摘した。


僕は展望台で祖母の言葉をきいた時、「そんなことない。また来れる」と思っていた。

しかし、その後、何年もしないうちに、祖母は亡くなってしまった。

 

 

潮の満ち引きのように、寄せては返し、その波でふくらむ海水に呑み込まれる。

口に海水が入り、塩辛くてすぐに吐き出す。

でも、顕微鏡でみたら、無数の生き物が海水にはいるのだろう。

もう何十年も海原を漂っていた。なかなか沈まない。今ではそういうもんだろうと思う。

16年目。16年前を上回る苦しみはもうないだろうと思っていた。でも、上回る苦しみは、僕の物語には存在した。

底なしだ。僕はいつだって地に足が着いていない。海の底にも地があるはずなのだが、いつもいつでも、いつまでも、脚をバタつかせて足の指先は、その地に触れることを求めているのに。

夜を好む。闇は視力を奪い、視界を遮る。すると、五感が疼き、渇望するように研ぎ澄まされる。

いろんな思いが胸にやってきては、去っていった。僕は間違いばかりしてきことに気付く。人を傷つけてばかりだ。

たぶん今もそうなんだろう。今もどこかで、僕のせいで誰かが苦しんでいる。そう思うとき、「戻ってやり直すことできなんだ、絶対。申し訳ない。」と僕は誰かに詫びた。

僕は間違いをするたびに、もう必ず間違いはしない。和太鼓を太いバチで目一杯打ち込むように決意してきたのに。何度も、何度も。

叔父は、亡くなる直前、「今まで良いことなんて、一つもなかった。」と呟いた。兄である僕の父は、「そんなことない!」と憤った。その時、父は弟と原付で横浜まで弾丸2人旅をしたことを想い出したのだろうか、僕は幼い頃、年に何回か叔父の家に泊まった楽しい記憶が蘇っていた。

でも今は、叔父の気持ちがよくわかる。






あなたはいつもしかめ面で

幸せでしょうか

愛してくれる優しい人

見つかるといいね




YUKI/プリズム