シェンロンネット
動物関係のテレビ番組で、猿がイモを洗って食べる様子が
時々放映されますが、百匹目の猿現象という話をご存知ですか?
はたなか
聞いた事はあるように思います。たしか、
宮崎県の幸島に住んでいる猿の一頭が、サツマイモを海水で洗って
食べるようになって、同じ行動を取る猿が100匹を超えたときに
その行動が群全体に広がって、さらに遠く離れた大分県高崎山の
猿の群でも突然この行動が見られるようになったというのでしたね。
シェンロンネット
でもこの話、砂のついたイモを洗う事が突然群全体に広がった
というのも、同じ時期に高崎山の猿が突然イモを洗うようになった
というのも創作なんですよ。
はたなか
えっ?そうなんですか?
シェンロンネット
そうなんです。“百匹目の猿現象”といわれるこの逸話の
初出は1979年発行のライアル・ワトソンの著書『生命潮流』です。
1981年に出版されたケン・キース・ジュニアの『百番目のサル』で
世界中に広まりました。
これが日本では船井幸雄著『百匹目の猿―思いが世界を変える』
で紹介され、もしかしたら人間にも同様の現象が存在するのでは
ないかということでニューエイジ関係で有名になったんです。
確かに、今では高崎山の猿もイモを洗う事が確認されています。
でも、
ライアル・ワトソンが“百匹目の猿現象”の根拠としていた、
幸島でニホンザルの研究をしていた河合雅雄博士の論文にも、
河合博士の先輩にあたる今西錦司氏の本にも、
別の土地の猿にイモ洗いが伝播したって話は出てこないし、
群のほぼ全員が同じことをするようになったという記述も
ないんですよ。
はたなか
いや、それは知らなかったですね。
シェンロンネット
物理的な接触が無いところへ文化の電波がありえないのかという事
について、河合博士はつなぶちようじ氏のインタビューの中で
ふれています。原文のままで引用しておきましょう。
「僕はねぇ、人間の文化がなんでも伝播だとは思わないんだよ。
文化は離れた地域でも同時発生する、そういうものなんだ。
たとえば魚を捕るための道具があるでしょう。
川上に向かって大きな口を開けておいて、
川下は狭くして水しか出ていかないようにしたもの。
あれなんか世界中にあるけど伝播したのではなく
同じような物を同時多発的に人は考えついたんだね。
地域によって少しずつ違いはあるけど、
考え方はみんな同じものだ。
そういうことがサルで起こることは珍しいけど、
そういうことなんだろうねぇ」
■◇■僕のおしゃべり Vol.19 百匹目のサル
はたなか
なるほどねえ。
シェンロンネット
ただ、河合博士の論文中のデータに拠れば、
1953年から1958年までの間に幸島で観察対象となった2歳以上の猿
30頭のうち、6歳までの若猿19頭では、78.9%にあたる15頭が
芋洗い行動を身に付けていたのに対して、
7歳以上の年老いた猿11頭ではわずかに2頭だけが芋洗い行動を身に
つけただけだったのは確かなんです。
はたなか
年を取ると、猿でも頭が固くなるんでしょうかねえ。
シェンロンネット
どうなんでしょうね?
自分が子供のころに見たテレビ番組では、子猿たちが海水でイモを
洗っているのを横目で見ながら、砂浜でわざわざイモを砂だらけに
しながら食べている年寄り猿の姿が放送されていた覚えがあります。
はたなか
そんな事をしたら、
ジャリジャリになってかえっておいしくないでしょうに。
シェンロンネット
イモを洗える深さまで入って行く勇気が無かったんでしょうかね?
ブログネタ:子どものままがいい? 早くオトナになりたい?
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本文はここから
シェンロンネット
農家に限らないんですが、職業として存在する物なら全て、
どんな人でも“成長”できるんです。成長する人は次々に新しい
ことを覚えるんですね。代表例は子供です。
逆に言えば、成長しないというのは、今までとは違うことを何も
してないという事でもあります。
では、なぜ大人になると成長速度が遅くなるんでしょうか?
はたなか
う~ん、
新しいことに挑戦しない言い訳がうまくなるからでしょうかね。
年を取ればとるほど今まで通りの事しかやろうとは思わなくなって
行くんですね。
安定志向といえば聞こえは良いですが、挑戦しないことを正当化
する言い訳の達人となっていくのでしょう。
シェンロンネット
それが老化の始まりであり、頑固じじぃの始まりであるとは
気づか無いわけなんですね?
はたなか
気づかないというか、気づけないんでしょうけどね。
シェンロンネット
「農家の経営が苦しい」と言うのは、実にいろんな人が書かれて
いますが、農家が割に合わないのって収入が足りないからですよね?
はたなか
単純に言ってしまえばそういうことですね。
シェンロンネット
農業と言っても、最終的に収穫した作物を誰かに買ってもらわな
ければ収入にはならないわけです。
略奪大国日本・その1とか、補助金は農家を乞食にするのか?
でも触れていますが、だれかに「ありがとうございます。
助かりました。」と感謝してもらった分しか自分のところに
豊かさはやってこないんです。
はたなか
わたしも、その通りだと思いますよ。
シェンロンネット
さらに付け加えれば、物の値段は感謝の値段。[100円のコーラを1000円で売る方法]
で触れたように、物が売られている値段と言うのは、結局のところ
「ありがとう」の値段です。
はたなか
それも、その通りですね。
シェンロンネット
その一方で、「農家の都合も考えて欲しい」とか
「作っている方の苦労を考えた事があるのか?」とか
言われる方も一定以上は必ずいらっしゃる。
はたなか
それは、仕方のない事だと思うんですよ。
シェンロンネット
そうなんです。確かに仕方のない事なんです。
でも、「農家の都合も考えて欲しい」とか
「作っている方の苦労を考えた事があるのか?」とかの
どこに『ありがとう』を言ってもらえる材料があるんですか?
どんなに良い作物を作っても、必要としている人のところへ届ける
ことが出来なかったら、『ありがとう』は言ってもらえないんです。
弱音を吐いて言い訳している場合では、無いんですがねぇ。
はたなか
世の中や政府や思い通りにならない他人のせいにし続けて、
それでつぶれていってしまう農家があっても、
それはそれで仕方がない事だと思いますよ。
シェンロンネット
醒めてますね?
はたなか
自分のところだけで精一杯なだけです。
シェンロンネット
いずれにしても、手遅れになってから慌てて手を打つか、
先読みして、備えるために動くか、それだけの違いなんです。
実は、本人次第でいつでも選べるんです。
『あの時やっておけば・・・』と後悔するか、
『あの時やっておいて良かった』と笑っていられる未来を手に
入れる為に、今何を毎日の中に取り入れるか?
それだけの事なんですね。
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