こんにちは。ノートルパリです。ご訪問頂きありがとうございます。

 

パリ郊外の治安の悪い場所にある『王家の墓』を何十年かぶりで訪れました。

当然、1人で行くのは嫌だったので、リタイヤされた公認ガイドさんと一緒にメトロで行ってきました。

彼女は、昔は、何度もバスツアーのお客様をご案内したそうです。

メトロ下車して数分なんですが、治安は、良くないので行かれる方は用心して下さい。

 

下記は、フランスで一番貧しい人達が住むとTVニュースでも公言してしまうサンドニ市の市役所。

 

このサンドニ市役所の正面が、下記のサンドニ大聖堂です。この中が王家の墓になっているんです。塔が1個しかないって、奇妙でしょう?

 

本当は、塔は、下記のように2個作られる事になっていたんです。下記は、ヴィオレル ル デュック建築家の19世紀の設計図。教会は6世紀位からここにあったようで、19世紀に修復予定でした。ルイ18世によって、ここに王家の墓を作る為に、あちらこちらに散らばったお骨を集めたいと言う事でした。

しかし、3人の建築家達が手掛け、向かって左の塔を担当した建築家のミスがあったようで、塔は、崩れおちてしまったのです。 まあ、こういう事もあり得ますね。。。

よって、20世紀始めには、1つの塔しか無い、サンドニ大聖堂になってしまったのです。

 

この日は、冬のパリに珍しく太陽が顔をだしていたので、教会内がステンドグラスの光で、キラキラしていました。

 

祭壇のある左右の柱が、光の洗礼を受けているかのように輝いていました。

 

下記もご覧ください。薔薇窓の美しい光が反射した壁を!

 

素晴らしい薔薇窓です。

 

素晴らしいパイプオルガン

 

 

下記は、ルイ16世とマリーアントワネット。

ルイ16世が最初にギロチンにあい、その半年ちょっと後に、マリーアントワネットも現在のコンコルド広場にて処刑されました。

その後、マリーアントワネットの亡骸は、マドレーヌ寺院横の共同墓地のような所に投げ捨てられていました。

これをルイ18世が、ここに集めてきたのですが、現在のDNA検査等で調べると、何百年も昔の髪の毛1本さえ貴重であまり残っておらず、ここに新しく埋葬された多くの王様達のお骨もどこまで本物かわからないようです。。。

 

とても不運な人生の最期でしたね。 哀しいです。

 

これは、何か分かりますか?

 

天使たちが上で踊っています。

 

16世紀のフランソワ2世の心臓が入っています。

 

地下のネクロポリス

 

ここが、ブルボン家のお墓。

 

マリーアントワネットもいました。

 

マリーアントワネットの息子、ルイ17世が悲しい人生でした。

母親がギロチンにあった事も知らずに、捕らえられた暗い塔の中で、満足に食事も与えられず、病気になっても医者にも見て貰えず、気がふれた子供として、最後には、王子とさえ知られずに、埋葬されてしまったのですね。

 

 

 

下記が、ルイ17世

 

後から探し当てて、ここに埋葬されたのです。

 

ガラスの容器に入っているのは、

乾燥してミイラ状態になったルイ17世の心臓!

 

こちらには、8世紀位からの歴代の王様達のお骨が埋葬されているようですが、その数や100人は超えている!

 

左右の壁の中に眠っていらっしゃるのです。

 

こちらは、未だ、完全に解明されていない無縁仏でしょうか。。。

 

地下から1階にあがると、こんな立派なお墓もありました。

16世紀に他界したルイ12世とアンヌ ド ブルターニュ

 

16世紀に他界したアンリ2世とカトリーヌ ド メディティス

 

 

16世紀に他界したフランソワ1世

 

下記に驚きました!

何と、16世紀のフランソワ1世の心臓が入っている壺!

 

壺には、フランソワ1世のシンボルのサラマンド(火を吹く動物)がレリーフされています。

 

王様の心臓が停止し、死亡が分かると、すぐに医者が来て、その場で、解剖していたそうです。

心臓は、ホルマリン漬けと言いたいですが、ホルマリンが当時無く、赤ワインに付け込んで容器を密封していたんですね。

他に、内臓は内臓でまとめて酒付け状態にして、亡骸の足の間にその容器を置いていたようです。

 

明日は、ここで書ききれなかった事を書きますね。

 

 

 

 

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