すごく久しぶりになってしまいました。
その間いろいろとありました。
引越した。
入籍した。
風邪引いた。
でも、冷静にあらためて感じると
そんなに大きな変化ではないともおもう。
すごく久しぶりになってしまいました。
その間いろいろとありました。
引越した。
入籍した。
風邪引いた。
でも、冷静にあらためて感じると
そんなに大きな変化ではないともおもう。
彼の一貫した姿勢は、「何が善いことか」という
いわば企業の絶対的存在価値の追求である。
企業とはどのようにあるべきか
それを製品にどのように具体化して反映させるのかを意識し
開発に携わる技術者と徹底して議論を繰り返していた。
口癖のように言っていたのは
「お客さんのために」
「世の中のために」
であって
ひたすら経営効率と利益追求以外に語る言葉を持たない経営者とは一線を画していたのである。
「本田宗一郎氏について」
最近このようなリーダーが少なくなってきているのではないでしょうか。
仕事で本気で熱くなれることは素晴らしいことだと思っていますが、最近どこか冷めた人が多い気がします。
手近に親切な指導者、先輩がいて、自分を導いてくれる、そういう人が会社にいる人は幸せだと思います。
しかし見方によれば、指導者のいないところにこそ、みずからの発展というものが考えられる、ということも言えるのではないかと思います。
蓄音機や白熱電灯などを発明開発したあの偉大なエジソンには指導者がいなかったそうです。
それでみずからあらゆる事物に関心を持ち、そこに指導者を見出しました。
汽車にのれば、石炭を焚く音や車輪の音に指導者を見出したわけです。
みずからを開拓する気持になれば、行く道は無限に開かれている、師は無数に存在していると思うのです。
松下幸之助
「師は無数に存在する」
シンドラー社のエレベーター事件。
その後、どうなったのでしょうか?
昨日乗ったエスカレーターがたまたまシンドラー社製でした。
シンドラー製、身近に結構あるようです。
報道というものはいつもそうですが、事件も事故も悲惨な事実も、簡単なトピックスとして扱うだけ。
その後トレースしていかない。
必要な情報は他の手段で得られる時代だからか?
知りたいやつは調べればわかるだろう。ということ?
テレビや新聞などは、これからどうしていこうと考えているのか?
事件や事故の「表題をリストアップ」しているようなメディアは今後必要ありません。
そして、何を見ても同じ内容。
危機感を感じます。
自分に能力がないなんて決めて
引っ込んでしまっては駄目だ
なければなおいい
今まで世の中で
能力とか才能なんて思われていたものを越えた
決意の凄みを見せてやるというつもりでやればいいんだよ
岡本太郎
決意の凄み・・・
やると決めたら、どうこう考えずに進むのみ。
昨日より少しでも前に進むように。
「運」ってやつは、たえず変わる。
いま後頭部にがんと一撃くわせたかと思うと、
次の瞬間には砂糖をほおばらせてくれたりする。
問題はただ一つ
へこたれてしまわないことだ。
A・シリトー
クロアチア戦。
0-0
引き分け。
すっきりしない試合が続きます。
今日は勝てる試合だったのでは。
ジーコジャパン最終戦がブラジル。
偶然とはいえ感慨深い。
とにかく
相手がどこであれ勝つのみ。
幸せとは「瞬間」的なものだ
ほとんど毎日
幸せな瞬間なら
少なくとも一度はある
メイ・サートン
この世で幸福以上の何かを求める人は
幸福の分け前にあずからなくとも
不平を言ってはならない
エマーソン
これからもずっと何も変わらない日々かもしれないけれど
日常を噛みしめて
何かを感じて、生きていきたい。
まわりを見ると、趣味が花盛りだ。
手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、料理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味の情報が愛好者向けに、また初心者向けに紹介される。
趣味が悪いわけではない。
だが基本的に趣味は老人のものだ。
好きで好きでたまらない何かに没頭する子どもや若者は、いずれ自然にプロを目指すだろう。
老人はいい意味でも悪い意味でも既得権益を持っている。
獲得してきた知識や技術、それに資産や人的ネットワークなどで、彼らは自然にそれを守ろうとする。
だから自分の世界を意図的に、また無謀に拡大して不慣れな環境や他社と遭遇することを避ける傾向がある。
わたしは趣味を持っていない。
小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。
息抜きとしては、犬と散歩したり、スポーツジムで泳いだり、海外のリゾートホテルのプールサイドで読書したりスパで疲れを取ったりするが、とても趣味とは言えない。
現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。
だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。
心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。
真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
つまりそれらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
村上龍 「無趣味のすすめ」
実に明瞭。
すっきりしました。