指導者というものは、常に心を働かせていなくてはいけない。

もちろん、それは四六時中仕事に専念しろということではない。

それではとても体がもたない。

だからときに休息したり、あるいはレジャーを楽しむこともあっていいと思う。

ゴルフをするなり、温泉に行くのもそれなりに結構である。


しかし、そのように体は休息させたり、遊ばせたりしていても、心まで休ませ、遊ばせてはいけない。


お湯のあふれる姿からも何かヒントを得るほどに、心は常に働いていなくてはならない。



全く遊びに心を許してしまうような人は、

厳しいようだが、指導者としては失格だと思う。



松下幸之助





仕事のオン/オフの議論は多々あると思いますが、人生において長い時間を占めている仕事のことはオフの日でも完全に離れることはできません。休暇中でも何かしら仕事のことを考えているものです。しかし、とある大先輩から完全にオフの日を過ごせないのは仕事をするうえでバランスが悪くなると、話しを聞かされたことがあります。完璧なスイッチを持つコンディションが必要なのか疑問ありますが、心身ともに仕事に向き合っている時には心まで遊ばせることは出来ない性分であります。





痛みを知らない奴だけが



他人の傷を見て笑う





William Shakespeare




古今東西このようなことばがある。こういうことは、人との係わり合いの中で生きていくうえで最低必要な「根っこ」みたいなものだと思う。おかれた環境によって、本来はそうではない人が、気持ち捻じ曲がってしまうことがあるようです。どうか素直に本来の自分に自信を持って表現してほしいものです。




仕事というものは、やはり自分でそれに取り組んで、体得していかなければならないものだと思う。
しかし自得していくには、そのための場所というか、道場とでもいうものが必要であろう。

ところが幸いなことにその道場はすでに与えられている。


すなわち、自分の職場、自分の会社である。
あとはその道場で進んで修業しよう、仕事を自得していこうという気になるかどうかということである。
しかも会社という道場では、月謝を払うどころか、逆に給料までくれるのだから、こんな具合のよい話はない。

このような認識に立てば、仕事に取り組む姿も、謙虚に、しかも力強いものになるはずである。



                                      松下幸之助



このように思えて勤務できれば仕事を通じて人格も磨けるのではないでしょうか。

但し、道場には師範がいるべきです。




気分がくさっていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、それを十分に生かせません。

また別に悲観するようなことでなくても悲観し、ますます気が縮んでいきます。

しかし

気分が非常にいいと、いままで気づかなかったことも考えつき、だんだんと活動力が増してきます。

私は人間の心ほど妙なものはないと思います。
非常に変化性があるのです。

これがつけ目というか、考えなければならない点だと思います。

そういう変化性があるから、努力すれば努力するだけの甲斐があるわけです。
そういう人間の心の動きの意外性というものを、お互いにつかむことか大事だと思うのです。



松下幸之助




会社を選ぶということは、みなさんの将来の方向を決定する一番重大な問題だったろうと思います。

単に一ペん入ってみようかということではなく、この会社に生涯職を奉じようという固い決意を持って臨まれたと思うのです。

 だから、今後長い生涯におもしろくないことや、いろいろな煩悶が起こることもあるでしょう。

しかしだからといって会社を辞めるというような頼りないことを考えるのではなく、やはりどこまでもこの会社の社員として道を開いていこうという覚悟を持っていただきたいと思います。

うまくいかない場合には他に転向するというようなことでは、そこに力強いものは生まれてこないと思います。


松下幸之助



新年度がスタートしました。
とはいえ、我が社は9月最終決算のためやっと折り返しです。昨日は新入社員の初出社などありましたので新年度を感じることができています。通勤時にも満員電車に慣れない若者を見ると、負けずにいつまでも頑張れよ、と思います。
日曜日からの強風で東京の桜は瀕死の状態で哀しいですが、先日は久しぶりに完全休日を取り、桜舞う公苑へゆっくりと散歩へ出かけることができ、リフレッシュすることができました。
たまには休息することが必要なのかもしれないと初めて感じてしまいました。




仕事に楽しみがあれば極楽だが


仕事が義務になれば地獄だ。


ゴーリキー





草木は芽を出し、蕾はほころびて伸び伸びと成長する春の季節。

春はまさに万物成長のときと言えるでしょう。

私たちもこんな春を迎えて、大いにこれを楽しみ、大いに成長していかなければならないと思います。

春を楽しむ心は、人生を楽しむ心に通じます。

長い人生には、ときには不愉快なこともあり、面白くないときもありますが、春を楽しむように人生を楽しむ心があるならば、やがてまた春のそよ風のように、心もやわらいで、生き甲斐も感じられてきます。そして野山の樹々が一年一年と年輪を加えていく如く、お互いの心も、去年よりも今年、今年よりも来年と一年一年成長していくと思うのです。


松下幸之助


東京では桜の開花宣言がありました。

我が家の近所の公園の桜はいまにも咲きそうなつぼみでした。帰宅時にまた見てみようと思います。

私は桜が咲く今頃の、夜の少し肌寒いけれど部屋にすぐに戻りたくなるほどではない、感じが好きです。夜桜の雰囲気とかなんとも気持ちが良いです。

先ほどからゆるく雨が降ってきていますが、もう少しあたたかくなれば夜の雨も悪くはないと思います。



私にとっては人生には美もなければロマンスもありません。


人生あるがままのものです。


そうして


私は人生をあるがままに受け入れるつもりです。



バーナード・ショウ




仕事のコツを体得するということは、決して楽なわざではないと思います。相当精魂を込めてやらなければならないと思うのです。それはやはり一つの苦労だと考えられます。しかし苦労であっても、それをやらなければ一人前になれないのだということを、青少年の間から、常に先輩に聞かされていますと、それは苦痛でなくなってくるのです。それは希望に変わるのです。ですから、そのコツを体得することに対して精魂をかたむけるということができてくると思います。そのように、いろいろむずかしい問題にも、心を励まして取り組んでいくところに、自己の完成というか、自己の鍛えがあると私は思います。


松下幸之助



一人前になろうとすることを、まず持つことが必要ではないでしょうか。

惰性ではたらくべきではないと思います。

精魂込められる。

時間も忘れて没頭する。

あのような先輩になりたい。

そんな対象を見つけることができない若者が多いように感じます。

シンプルに考えて、みんなで幸福になるためには・・・の活動をする。

自分にはすごくクリアです。






われわれが恋愛について話し始めるや否や、ただちに第一の問題が出てくる。


すなわち


人は何を愛すかという問題である。


これに対して人がなし得る唯一の答えは



人は愛されるにふさわしいものを愛す、ということである。



セーレン=オービュエ―キルケゴール



自身が愛してもらいたいと想うものを自身は愛すのでしょうか。無条件に愛すことなどないのでしょうか。

子供への愛なども自身を愛して欲しいとどこかで想っているものなのでしょうか。

私にはまだわかりません。