まわりを見ると、趣味が花盛りだ。

手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、料理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味の情報が愛好者向けに、また初心者向けに紹介される。

趣味が悪いわけではない。


だが基本的に趣味は老人のものだ。


好きで好きでたまらない何かに没頭する子どもや若者は、いずれ自然にプロを目指すだろう。

老人はいい意味でも悪い意味でも既得権益を持っている。

獲得してきた知識や技術、それに資産や人的ネットワークなどで、彼らは自然にそれを守ろうとする。


だから自分の世界を意図的に、また無謀に拡大して不慣れな環境や他社と遭遇することを避ける傾向がある。



わたしは趣味を持っていない。







小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。

息抜きとしては、犬と散歩したり、スポーツジムで泳いだり、海外のリゾートホテルのプールサイドで読書したりスパで疲れを取ったりするが、とても趣味とは言えない。





現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。


だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。





心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。


真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。


つまりそれらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。







                          村上龍 「無趣味のすすめ」



言いたいことはこれでした。

実に明瞭。

すっきりしました。