ココハドコ? アタシハダレ? -89ページ目

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

鑑真和上の寺として知られる唐招提寺。律宗の総本山とあるが伽藍は決して大きくはない。写真は南大門だが東大寺の南大門とは較ぶべくもない小ささなのだが、それでも松の青葉が美しく風情がある。質朴の風があるのだろう。お隣の薬師寺とくらべても、参拝客の姿も少なく個人的にはその静けさを堪能できたことはうれしかった。

 

 

 

 

高校の美術の授業で唐招提寺のこの金堂の柱はエンタシスであると習ったが、ギリシャからシルクロードを通して伝来したという説に証拠はないらしい。一方で柱の下方がわずかに膨らんだ「胴張り」の柱というのは韓国など東アジアには時々見られるのだという。以前ここを訪れた時には、おお、これがエンタシスの柱かと、歴史ロマンに心躍らせたものだったが、知ってみると、ちとがっかりではある。それでも由来がどうあれ、まっすぐなだけの太い円柱が武骨に8本並んで威厳のようなものを漂わせるよりは、はるかに親しみやすいというか、温かみを感じさせる優れたデザインだろう。

 

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センチメンタル・ジャーニー、または感傷旅行。

 

50年前と変わらぬ伽藍の風景は束の間、私を過去への感傷旅行に誘い込む。その時、私は恋人とここにいた。私はその「エンタシス」の柱に寄り添って立つ彼女を写真に撮り、彼女は替わって私を撮った。その写真を私は今も捨てずに持っている。これ以上ない幸福な付き合いであったとずっと思っている。だから写真と言って捨てる理由がないのだ。私たちはようやく学生気分を抜け出し、一人前の大人の世界へ歩みだす、そんな準備のようなものにとりかかり始めた時期で付き合いにも分別のようなものを感じ始めていた。やがて彼女は就職が決まり、私は夢を追ってフリーター状態を続け、私に安定した生活を求めるのは無理と知って私の元を去っていったが、別れる時も笑顔でさようならを言い、それから1年ほど経って結婚の報告を受けた。それからさらに数年後、私の母が新宿のデパートでばったりと彼女に出会い、その場でハンカチを買って彼女にプレゼントしたらしい、お礼の手紙が姓の変わった彼女から届いた。

 

それからどうしただろうか。幸せな結婚生活を全うしているだろうか、もう孫がいても不思議でない年齢だ、町ですれ違っても全く気がつかないだろう。そんなことを考えながらしばし時が止まったように休憩所横のベンチにすわって風を見て過ごした。

 

遠い過去の自分がよみがえる。これを単なる記憶とか思い出と終わらせていいのかどうか、私は躊躇する。それは過去ではない。今の自分の心の奥深く私の気づかぬところでに息づいていた何かであることに違いなく、現在の私を形作っている何かなのだろう、そう思わざるを得ない。これは感傷ではない。これは私の個人史のほんの1シーンだが、実は生まれてこの方、現在に至るまで、過ごしてきたすべての時間が私たちの心の中に降り積もり、音もなく静かに息づいているのではないか、そうでなければ日々生きることの幸せや苦しみ、喜びや悲しみを豊かさへと変えていく、そんな手立てすら私たちは失うことにならないか。私はそう信じる。

 

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さて。

写真は鑑真和上の廟所。見たいと思っていた国宝の鑑真和上像は今は年に数日しか公開されないらしく、しかもこの日は京都の国立博物館にご出張中で不在。それで廟所にお参り。

鑑真和上は日本への渡航に5回失敗し、753年6回目でようやく日本に来ることができたが、その時66歳

。それから76歳で亡くなるまでの10年間、仏教者に戒律を授ける「伝戒の師」として東大寺に日本で最初の戒壇を築き、多くの授戒を行った。戒律を守れるものだけが正式に僧として認められるようになり、国分寺がその僧を管理することになることで、仏教が日本に正しく根付くための土台が初めて出来上がったと言えるのだろう。以来1250余年、和上はここに眠っておられる。

 

合掌。

 

唐招提寺

 

 

 

 

 


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JR奈良駅前の宿から平城京跡まで歩いた。第一次大極殿まで4kmくらいだろうか、この広い敷地を北へ南へとそれはそれでまた歩く。この日はここからさらに垂仁天皇陵を経て唐招提寺・薬師寺まで歩き、帰りも奈良まで、要は1日中歩き詰めで多分20kmくらい歩いたんじゃないかと思う。

 

 

 

東院庭園付近から見る第一次大極殿、振り返って後ろを見ると若草山が見える。ところどころ工事をしてる場所もあって、8世紀の平城京の姿を再現して広大な歴史公園のようなものが出現するのだろう、最近のニュースでは敷地を横断する近鉄奈良線の線路も移設して地下化することになったらしい。

 

 

 

こちらが第二次大極殿跡。この柱が立っているところがそのまま大極殿の柱の位置になるのだろう、遺跡としてはこれで十分、何もないところに遺跡があるというだけで時の流れを感じられて私は好きなのだが、昔の建物を再現すれば、そりゃあ観光客は来るだろうが、なんか偽竜宮城みたいで私は行かない。

 

 

 

大極殿におかれた高御座(レプリカ)。天皇陛下の玉座で、本物は京都御所にあるという。そういえば今上陛下の即位式では京都から東京まで運んだのではなかったか、そんな気がする。

 

 

 

唐招提寺に向かう途中、垂仁天皇陵に立ち寄った。前方後円墳というものを見たことがなかったので一度見ておこうと思ったというくらいの好奇心で立ち寄ったにすぎない。垂仁天皇は第11代、このころの天皇は実在性が定かでないケースが多いのに、墳墓だけは存在している。どれが誰の墓なのか、古い文献など調べるのだろうが不思議といえば不思議。

 

 

 

 

 


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記憶が定かでないが、多分千手堂の屋根だったと思う。鬼瓦と狛犬。あたりまえと言えばあたりまえだが、狛犬はちゃんと右に阿形と左に吽形。ただ魔除けにするには、この狛犬、ちょっと可愛すぎないか?

調べてみると平安時代には調度品としてこちらは御簾(みす)や几帳(きちょう)を押さえるための重し(鎮子)として使われることもあったらしい。レプリカにして土産物屋に置いたらどうだ、私なら買ってしまうと思うが。

 

 

 

 

もう何年も前になるが、仕事でパリに行った際、ホテルがノートルダム寺院の近くで、すぐ近くの土産物屋で見た怪物、ノートルダムからパリの街を見下ろすあの怪物じみた彫刻は「グロテスク」というんだそうだが、そのレプリカを売っていた。あれは魔除けというものではないらしいが、その時も買いたい買いたいと思いつつ、時間がなくついに買えずに終わってしまった。なんでこんなものに心惹かれるのか自分でもよくわからない。

 

 

 

戒壇堂付近から大仏殿を望む風景。東大寺はとにかく広い、風景を見て歩くだけでも優に一時間はかかってしまう。

 

 

 

 

この二枚の写真は正倉院から二月堂へ向かう道、大仏殿の裏手にあたる。訪れた時期はちょうどお水取りをやっている時期だったのだが、連日10km以上歩き詰めで写真ばかり撮っていたので、さすがに夜もう一度二月堂のあの坂を登る元気はなかった。

 

 

春近しを感じさせる二月堂からの風景。

9泊10日の旅、寺社仏閣それに遺跡と古墳。全部合わせると30か所以上にはなるだろう、しばらくブログはこれで行く。写真ブログか旅ブログそんなものになってしまいそうだ。

 

 

 

 

 


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