ココハドコ? アタシハダレ?

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

プロ野球の話を少し。

 巨人の監督に松井秀喜氏が就任することとなった。低迷が続く巨人の最後の切り札が出てきたという印象で、選手もOBもファンも誰も異を唱えることのできない人選だろう。松井氏は言うまでもなく故長嶋茂雄氏の直弟子で、その技術も精神も文字通りマンツーマンで鍛え上げられた人である。その部分に関して言えば同じ長嶋監督の下で学んだ原辰徳氏とは全く異なったものを受け継いでると思われる。松井監督でリーグ優勝を果たし、王貞治氏を「師匠」と呼ぶ小久保裕紀監督のソフトバンク・ホークスと日本シリーズを戦うというのも大きなロマンを感じるし、ONがこれからの日本プロ野球の大きな歴史を形づくる源流となるだろうことを予感させる。そんな意味でも松井秀喜新監督の成功を祈らずにはいられない。

 

 

 

 ちなみに、松井新監督には外からの補強に頼るのではなく、自身がそうだったように若い力をとことん鍛え上げて、育てる野球をしてほしい。それが長嶋野球だったと、そう思う。

 

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 今年アメリカのMLBへの移籍を果たした岡本和真、村上宗隆両選手が素晴らしい成績を残して1年目を終えた。この1年で私が強く印象に残ったのは、二人とも、とても顔がよくなったということ。大人の顔、それもこだわりのない清々しい大人の顔になったと、そう思う。逆に言えば、日本にいる時はふたりともチームの主軸として背負うものが大きかったのだろう。うつむき加減の顔をいつも見ていたような気がする。彼らのアメリカでの成功はMLBの野球への適応とか、文化や言葉の問題をひとつひとつ乗り越える苦労もあったろうが、それ以上に日本で背負っていたものから解放されたことが大きかったのではなかろうか、そう思われてならないのだがどうなのだろう。

 

 今年は阪神の佐藤輝明選手がMLBを目指す。どこのチームに入るかまだ分からないが、三冠王を取ったくらいだから技術的には適応できる能力はあるだろう。問題はやはり環境の変化で、ファンにとっては期待と不安が半々といったところか。

 12月になるとMLBは選手会とオーナー側との労使交渉が始まる。今年はもめると今から言われている。ロックアウトになるとあらゆる交渉がストップするため労使交渉が終わるまでポスティングができないらしい。11月中にスムースに決まればよいがどうなるか気になるところだ。

 

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 台風が接近している。30号という数が珍しいと思っていたら31号まで発生した。近年では記憶にない数だと思って調べてみたら2013年に31号まで発生している。ただそれ以外となると2000年以前にさかのぼらないと「台風30号」は発生していない。気象庁の統計開始(1951年)以来、台風の発生数が30を超えた年は今年を含めて16回ある。最高は1967年の39、2位が1971年と1994年の36、4位は1966年の35、以下64年の34、89年の33と続いている。温暖化が言われる割には台風の発生数は減る傾向にあるようである。

 

 

 

 

 

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 東京は先週までの長雨をさっぱりと忘れたかのように見事な快晴。仕事が休みなので、晴れ渡った空を見ながら散歩に出た。

 

 

 

 8月の終わりころから夜になると虫の声を聞くようになった。堤防では菊芋の群生が満開。秋の花というとコスモスを愛でる人は多いが、菊芋を愛でるというのは聞いたことがない。黄色い花で言えば、夏のヒマワリを愛でる、そういう人はいるだろうが、なぜか菊芋を愛でるとは聞いたことがない。この打ち捨てられ忘れ去られたかのような花の、いかにも雑草然としたところが私は嫌いではない。風にあおられながら細々と、しかし、しぶとく我慢強く咲いている姿には共感できるものがある。

 

 

 彼岸花が咲き始めた。雨ばかりを気にしていたが、気がつけば秋である。

 

 

 今年は米が豊作と伝わって、コメの価格が下がっている。近所のスーパーでは5㎏で3,000円を切っている。新米が出回るのに先駆けて安く売ってしまおうという魂胆だろうか。

 しかし、この収穫期に、石川県や千葉県、さらには九州と豪雨が続いた地域の米は収穫できているのだろうか。近所の田んぼを見ると稲穂が短く、どこか元気がないように見えるのは気のせいだろうか、ちょっと気になっている。

 

 

 明日からは、また雨が続くらしい。夏の酷暑も、この長雨も、線状降水帯の豪雨も、迷走台風も、どれもこれもスーパー・エルニーニョが原因らしい。ついでに、こいつのおかげで今年は暖冬だという。暖冬はうれしいが、その前にこの長雨を早く終わらせてくれないものか。

 

「大工殺すに 刃物はいらぬ 雨の三日も 降ればいい」

 

 これは江戸時代の都々逸らしい。さて、警備員は?

 

 

 

 

 

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 7月末に誕生日を迎え76歳になった。運転免許の更新が必要になったのだが、久しく運転してないこともあって、運転に自信を失いかけている。免許証を返上しようかどうしようかと、しばらく迷っていたが、結局更新することにして、認知機能検査やら教習所での高齢者講習(実車)を経て、更新してきた。

 年齢だけをもって「高齢者」扱いされるのはあまり気分の良いものではない。健康保険など「後期高齢者」である。70歳で「高齢者」扱いされ、それからわずか5年で「後期」と言われた。人生100年時代とか言いながら、さて「後期」は何年続くのだろう。

 

 で、実を言うと私には自分が「年寄り」であるという自覚が全くない。皆無。まあ、70代半ばで「年寄り」という自覚を持つ人もあまりいないような気もするのだが、「より良く年を取る」とはどういうことなのかと考えてみようかと、そんな心境にはなっている。

 いや、「何、カッコつけてやがる」と言われれば、確かにそれはその通りなのだが、そんなことを思いつくにはそれなりのきっかけがあって、朝起きて、心臓がなんだか力がない気がするとか、歩いている時の息切れがちょっと、とかそんなことを感じることが増えている。耳も遠くなってマスク越しに話をされると、高音部が遮断されて、低音部だけははっきり聞こえるが言葉として理解できない、そんなことがよくある。身体的な衰えは防ぎようがない。

 身体的な衰えを感じながら、一方で同世代の男たちと比べるとはるかに元気な自分がいる。そんなことを思うと、年の取り方なんてものを考えるなら、今しかないという気にもなるもんだ、漠然とだがそう思う。

 

 

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 身体的な衰えはともかく、どうやら年を取ったと感じる大きな要因は、感動しなくなったという事である。毎日が「つまらない」のである。警備の仕事も長年やっていると、さすがに新鮮さは失せている。仲間とするのは昔話ばかり。家で映画を見ても本を読んでも音楽を聴いても感動しない、食事ひとつとっても「おいしい」と思うことが無くなった。何か新しいことに出会いたいと思うが、何があれば自分は感動するのだろうと考えても答えは出てこない。数年前に大学の通信教育で日本語教師養成講座を履修して、今はボランティアで外国人に教えているが、何とかこれで自分を支えている、そんな気がしている。何か新しいことをしないと「鬱」になりそうだ、そんな恐怖感があるのだ。

 

 人は人生で一度や二度は予想もしていなかった過酷な経験をするものなのだと思う。それは戦争や災害に限らず、仕事でもプライベートでもそれぞれのフェーズで起こるし、そうした体験を克服するとなぜか「もはや自分には怖いものが無い」という事を実感するようになる。

 しかし、「怖いものがない」とは自分の見知った世界のことでしかなく、その外にはさらに広大な世界が広がっていることにはなかなか気づかないものだ。その、更に広い世界へ出ていき、新しい世界と出会う、何事かに感動するとは、そういう行為の結果としてしかないのではないか。幼い子供が日常の様々なことに感動するのは、生まれて数年のわずかな時間の中では、出会うことの多くが見知らぬ世界のことであり、日々出会う様々な事象が感動の対象になりうる。しかし、時がたつにつれ自分を取り囲む世界が限定され、そこにあるものは、かって感動をもたらした対象も日常的な平凡事になってゆく、つまり時間がたてばたつほど、年をとればとるほど世界は限定され、感動する対象がなくなるのは避けられないことなのだろう。

 

 どうすればこの見慣れた世界を少しでも広げ、新しい世界とめぐり逢い、新たな感動を体験できるのだろう。厄介なことだが、「感動する」とあらかじめ予想できることに感動などありえないのであって、結局、手あたり次第あれもこれもと手を出してゆくしかないのだろう。

 

じたばたするしかない

 

それが、76歳になった所感といったところで、その程度の元気はかろうじて残っているようだ。

 

 

(カワラヒワ)

 

 

 

 

 

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