その11 春一番 | ココハドコ? アタシハダレ?

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自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

一昨日、2月4日の強風は「春一番」だったらしい。

 

春一番というのは、日本海を進む低気圧に向かって吹き込むこの季節の最初の強い南風のことをいい、立春から春分までに吹く風と期間が限定されているらしい。南風なので温かく、春が近いことを感じさせてくれるのだが、近年になく寒かったこの冬、立春早々に春一番とはとちょっと驚かされた。

 

 

 

「春一番」というと、どうしてもかってのアイドルグループ、キャンディーズの歌声が頭の中で響きわたるのだが、もう今の平成生まれの人たちは聴いたこともないだろう。

当時、70年代前半の日本はニクソンショックやらオイルショックやらで高度経済成長にも陰りは見えていたものの、庶民感覚としては10年の高度経済成長で得た豊かさを満喫する、そんな気分は充溢していた。そんな中でヒットしたのが「春一番」で、今となっては驚くほど明るい、非常に健康的な恋愛ソングではあった。

 

 

そういう豊かさあふれる東京が地上に現れる以前、幼かったころの私の「春一番」の記憶は明るいものでもないし、健康的でもない。ただ子供心にはちょっとした衝撃ではあった。

 

たとえば市川崑監督の手になる記録映画「東京オリンピック」などを見るとよくわかるのだが、今の新宿南口付近を走るマラソン選手の背景に建っているのはほとんどが瓦屋根の個人商店や小さな会社、たまに4階建てくらいの低層のビルはあるが国道20号線ぞいの風景はそんなものだった。まだ首都高4号線など影も形もない。

そういう時代、東京23区といっても都心から離れたところにはまだまだ畑が一面に広がっているところも多かった。畑の土は関東ローム層だからやや赤みを帯びている。ある年の多分3月だったろう。ものすごい風が吹いて、その赤土を空高く巻き上げて、空一帯が赤く染まったことがあった。その時友達と遊びに行った帰り道、この砂嵐に遭遇し、家に帰りついたときは全身砂だらけ、口の中までじゃりじゃりして気持ち悪かった。加えて当時は住宅事情もよくない。私の家はいわゆる「文化住宅」風。6畳一間に4畳半が二間、それにせまっ苦しい台所、そんなところに両親と子供4人で住んでいた。まだ築5年かそこらの決して古くはない住宅だったがそれでも砂埃は家中に吹き込み、畳は砂だらけで、歩くと足跡ができた。母は新聞紙を濡らして部屋中にちぎってばらまくようにして、それを箒でかき集めるような感じで掃除をしていた。雑巾で家中を拭いて回るなどとてもやりきれなかったのだろう。

 

その時それが「春一番」であると聞かされ、私は初めてその言葉を知ったのだった。

 

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今の東京ではもう見ることのできない光景だが、「都市化」した今の東京の風景というものが私は好きになれない。せめて空の広いところにと思って今は多摩川の川っぺりに住んでいる。川っぺりなので普段から風は強いし冷たい。2月3月の風が強いのは昔からあたりまえと思っていたが、ここ数年4月5月になっても風の強い日が多いのはどうしたことか、やはり温暖化のせいかと思ったりしているが、その風の強さのせいで案外コロナも吹き飛ばされて感染者数が減っているのではないかと勝手に想像している。

 

 

 

 

 


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