学習習慣は徐々にですが身についてきていると思います。
そのうち書くかもしれませんが、起床時間も90分程度早めました。
先週の水曜からなので、今朝でちょうど1週間続けたことになりますが、何とか上手く行っているようです。
(まだ気は抜けませんが)
学習を続けていると、避けがたいのは「新しい参考書を買いたくなる」という欲望です。
「今はこれについて集中的に勉強しなければいけない、モノにしなければいけない」と頭ではわかっていても、ついつい新たな知識を取り込みたくなってしまいます。
「手を広げてはいけない」とは、受験勉強について語る先生や先輩の口からつねに言われることです。
効率的な学習のためには「回転」が重要であり、回転を早めるためには、1回転の量を減らす必要がある、ということでしょう。
勉強に費やせる時間は有限ですから、回転対象を増やせば増やすほど、回転数は減ってしまいます。
では逆に、なぜそれが問題となってしまうほど、受験生は「手を広げ」たくなってしまうのでしょうか?
ぼく自身、新しい参考書や面白そうな攻略本を見ると、書店でもAmazonでも、どんどん買ってしまいがちです。
一つには、「ちょうど手が届くぐらいの価格になっている」ことがあるかもしれません。
これはコンビニのレジ前に置かれたお菓子やホットスナックに似ています。
そんなに空腹なわけじゃないんだけど、数百円で買えるのでつい買ってしまう、あの感じ。
もしそれらの参考書がべらぼうに高かったら、もう少し慎重に考えるだろうと思います。
また、そうした値段の手頃さは、「買って損になることはないだろう」と思ってしまうことにもつながっている気がします。
ダメで元々、使えなくても構わない、ちょっとでも自分の理解につながるなら儲けもの、という感じ。
ぼく自身のことをふり返ると、あれこれと買ってしまうときに考えているのは、そういうこと(損にはならない、という感覚)だという気がします。
これらの感覚は、「新しい参考書」や「未知の知識」そのものの魅力がもたらすものでもありますが、それは裏返すと、すでに「解いた問題」や「触れたことのある知識」が魅力のない、退屈なものだと思えてしまうということで、それもまた、つい手を広げたくなってしまう理由であるように思えます。
そんなことを考えていたら、たまたま数日前に見た、伊藤真さんによる学習入門的な講座の中でもちょうどこれについて話していて、
なぜ手を広げてしまうのか? それは、面白いから。人間には知識欲があるから。
と言っていました。
シンプルな表現ですが、考え抜かれた原理的な説明だなあ、と思いました。
(その後にさらに詳しい例や具体的な説明も加えておられましたが)
これはまた、前述の「退屈だから(既知の知識から新たな知識へ逃げてしまう)」という話にもつながっていると感じます。
勉強とは、ある面ではどこまでも深い楽しみを味わえるものですが、その一方で涙が出るほどツラく退屈な作業を続けることでもあって、その両方をあわせ呑む必要があるのかなあ、と思っているところです。
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ただ、ここまでの話とはべつに、個人的には「手を広げない」という教えは単に「新しい参考書を買ってはいけない」とイコールでもないだろう、とも思っています。
まあ、大半の場合においてはほとんどイコールだろうと思いますが、たとえば独学で勉強している人が、たまたま買った参考書に不備があった場合などは、そのままそれだけを信じて進めるのもちょっと効率が悪いように思えます。
参考書Aによる論点Xの説明がわかりづらければ、別の参考書Bにおける論点Xの説明も重ねて調べてみることには一定の意味があると思いますし、これは先生や先輩方が言う「手を広げる」とは少し違うかなと思っているところです。
回転数を上げるのは、回転数を上げることが目的なのではなく、対象の論点を理解し、記憶に定着させるという目的を達成するためなわけですから、状況によっては、その目的を果たすために、視野を広げ、別の角度から見てみることも有効なのかなと。
あるいはその場合にも、仕留めようと思っている対象は変わらない(広がっていない)わけですから、その意味ではやはり、こういう「別の視点から同じ論点を眺める」ような方法は「手を広げる」とは異なることなのかもしれませんが。
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しかしいずれにしても、学習初期ほど、その対象を絞ることは困難だな、と感じます。
やっぱり人は、ほうっておくと自然にどんどん新しいもの、未知のものに惹かれていってしまうものなのではないか、と。
その欲望(というか本能というか)を押しとどめて、ある程度限られた範囲から目を離さないようにしろ、ということですから、これはある意味で不自然なことで、ちょっとスポーツや楽器演奏などの鍛錬に似ているようにも感じます。
ほうっておいても楽器を演奏できるようにはならないけど、意識して毎日やっていればそれなりに身についていく、というような。
その意味では、いわゆる「頭のいい人」というのは、知識が多いとか暗算が速いとかいうことよりも、こうした鍛錬を重ねてきた人たちなのではないか、と思えます。
ぼく自身はまだ、退屈に耐えられず、曖昧な理解の論点をつい後回しにしながら、新たな知識を「無駄にはならないだろう」と取り込んでいってしまいがちですが、今後はなるべく早い段階で、必要な論点や範囲に焦点を絞りながら、限られたリソースを効率的に使って各種の試験に合格してしまいたいと考えています。



