俺たちに明日はないと卒業 | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

1970年代の米映画はニューシネマの時代と云われています。それまでの映画が、観客に夢と希望を与える体制的な作品だったのに対して、社会や政治に対する反体制的なメッセージや批判的な視線をとりいれ、社会からの逃避型作品が多くなります。そんなニューシネマの先駆けとなったのが、『俺たちに明日はない』と『卒業』です。

『俺たちに明日はない』(1967年/監督:アーサー・ペン)

1930年代初めは大恐慌が尾をひいて失業者があふれ、アメリカは荒廃が全土を覆っていました。そんな中、出所したクライド(ウォーレン・ベイティ)は自動車を盗もうとしてボニー(フェイ・ダナウェー)と遭遇。クライドとボニーは互いに惹かれあい、クライドはボニーの気の強さを、ボニーはクライドの図太さを気に入ります。二人は組んで泥棒をはじめ、犯行はことごとく成功。自動車修理を頼んだ若者モス(マイケル・J・ポラード)も現実に飽き飽きしており仲間に加わります。モスが見張りと運転、ボニーとクライドが強盗をして逃走する毎日。新聞にボニーとクライドの名が売れ、クライドの兄バック(ジーン・ハックマン)と彼の妻ブランチ(エステル・パーソンズ)も一行に加わります。ボニーとクライドの強盗団はバロウズ・ギャングとして新聞が大々的に報道。犯行を重ねる中、ボニーとブランチは事毎に対立して、結局ドジをふむハメになり、警官隊と銃撃戦となります。傷ついた兄夫婦を残して、3人はやっと逃げのび、モスの実家にたどりつきますが……

1930年代に実在したギャング、ボニーとクライドの物語。犯罪映画というより青春映画であり、実録ものというより、「むかし、むかし、こんな若者たちがいた……」という形の伝説物語。フォギー・マウンテン・ボーイズのヒット曲「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」の軽快なメロディーにのせて、田舎道をジグザグに走って逃げていくユーモアたっぷりの前半から、荒野でボニーが母親と別れを告げる幻想的なシーンを経て、クライドとボニーが蜂の巣のように弾丸をぶちこまれるラストのスローモーションまで、死へと魅せられていく青春を印象的に描いています。ラストのスローモーションは、サム・ペキンパーの『ワイルド・バンチ』に影響を与えたと云われていますな。

タイム誌がこの作品を“ニューシネマ”と表現したのですが、言葉として定着したのは、『イージー・ライダー』以後で~す。

ちなみに、『イージー・ライダー』についてはココヘ⇒イージー・ライダーとC・C・ライダー | 懐古趣味親爺のブログ (ameblo.jp)

 

『卒業』(1967年/監督:マイク・ニコルズ)

勉強もスポーツもそつなくこなして大学を卒業した真面目青年のベン(ダスティン・ホフマン)は、これから先の人生をどうして過ごすべきか、説明しえない焦燥感を抱いています。嫌がる彼を無視して両親が開いたお祝いのパーティで会った知人のロビンソン夫人(アン・バンクロフト)がベンを強烈に誘惑。彼女は強引に家まで送らせたうえ、戸惑うベンの前で衣服を脱いで挑発したんですな。ホフマン独特の演技で笑いを誘います。その夜は何事もなかったのですが、彼の方から夫人にデートを申し込み、ホテルで密会。ベンは情事の生活に生きがいを見出します。何も知らない両親は、大学から休みで帰ってきた夫人の娘エレーヌ(キャサリン・ロス)との結婚を希望。いやいやながらエレーヌとデートしたら、彼女の清純さ可憐さに、たちまち恋をします。一方、夫人は嫉妬のあまり、娘に彼と自分の関係を暴露。ショックを受けたエレーヌは、傷心を抱いて大学に戻ります。必死に跡を追うベン。ベンの一途な想いは、ついに別の男と結婚式をあげるエレーヌを式場から略奪し、人生入門を卒業。

音楽と流麗な映像が若い二人の心を表し、ユニークな青春恋物語になっています。ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスが世界的に有名になった作品。原作はチャールズ・ウェッブの同名小説。モラトリアム感覚と既成の道徳に対する不信感。『俺たちに明日はない』と並ぶ、ニューシネマの先駆的作品です。

この映画にはサイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロー・フェア」「ミセス・ロビンソン」の叙情的な3曲が使われていますが、この映画のために書かれたのは「ミセス・ロビンソン」だけ。主題歌の「サウンド・オブ・サイレンス」は、サイモンが1964年に作詞・作曲したもの。「スカボロー・フェア」の元はアイルランド民謡。3曲とも映像とうまく結びついて甘美な効果をあげていましたね。