朝15分間の連続テレビドラマ。毎朝8時のこの時間は、仕事を抱える層にとって定時に必ず見られる訳でもないと思うが、この数年、うちの奥方は録画を使ったり、週末のまとめを見たりしつつずっと見続けている。〇〇ロスと言われる世間での盛り上がりをよそに、私は滅多に続けて観ることはなかったのだが、「カムカムエヴリバディ」は、時々チラ見をしているうちに、るい編になって、大阪のクリーニング店の夫婦の夫婦漫才のような会話に惹き込まれ、主に週末のダイジェスト編を利用しつつストーリーを追い始め、ひなた編に入ってからは見事な伏線回収の嵐で、どんな回収が待っているのか、最後の最後まで毎日、放送を楽しみに待つようになっていた。ひなたがラジオ英語講座の講師となり、実は、彼女の作ったスキットがこの物語という仕掛け、なるほど、最終盤に初めて登場する城田優演じるラジオ講座のパートナー、ビリー(ウィリアム・ローレンス)が、100年に亘るこのストーリーの語り手だった訳も最後の最後に腑に落ちた。こういう構成をメタフィクションというのだろうか。「カムカムエヴリバディ」とは、実に見事に仕組まれた脚本であった。

 

 100年という壮大なストーリーとは桁が違うが、子離れのツールとして倅の中学入学と共に始めたこの拙いブログも初稿から7年、前回の小稿の更新から実に1年半が経っていた。その間に、我が愛する相棒は、多くの友達に恵まれ、野球に明け暮れ、俳句に嵌まり、オヤジにとっても思い出のいっぱいいっぱい詰まった中高を卒業し、受験、1年間の予備校生活を経験し、とうとうこの春大学生になった。高校の友達の多くは東京に進学する中、我が家では、進学先は離れて暮らしても容易に日帰り可能な範囲にしようと、もちろん、「受かれば」という大前提のもとなのだが、京都の大学を志望することとなった。そして、この春その希望が叶った訳である。

 この1年半、私自身にとってもこの年月は余りに長く、数多の出来事をとても書き尽くせないが、ともあれ、今日も元気に過ごさせて頂いていることに感謝している。

 

 大学生になってからの一人暮らしは、倅にとっては「自律」の為の大切な経験でもあると予々考えていた。ただ、完全に遠く離れ容易に往来できない土地となると我が相棒にとっては少々障壁も高く、それ故の京都という街の選択でもあった。

応援団長のオヤジとして受験の数ヶ月前から倅の合格を信じ、せっせと下宿探しを始めた。大学から自転車で10分程度で通える範囲で、片付けや何やかやと訪問の折りにママも泊まれるよう、ある程度の広さを確保し、駅からも近くで、、、等々。結果、それなりに希望の住居を見つけ、幸い、その努力も無駄になることなく4月に入って直ぐに入居。机やベッドなどの最低限の家具は「お値段以上」でおなじみのニトリで揃え、家族総出で1日かけて組み立て、倅も待望の独り暮らしを始めた。

 

 この先、目標を持って学業にも力を注げるのか、ちゃんとさぼらずに通学できるのか。そもそも、朝起きる。食事を摂る。と基本的な生活ができるのか。不安は尽きないが、愛する相棒の自立の第一歩としてこちらも我慢強く見守る覚悟でいる。

 

 19年前、これ以上可愛い赤ちゃんいないよなぁと40のオヤジを感激させ、ハイハイを始めるや、自力で移動できる喜びを爆発させ、少しでも知らない世界を追い求めるかのようにじっとすることなく動き回り、10ヶ月で一人歩きを始め、喃語を話し出したかと思えば、瞬く間にべらべらと話し始め、小学校に通い始めて直ぐに、地下鉄で仲間と逸れ、まさかのために持たせていた地下鉄路線図を頼りに自力で帰宅して周りを驚かせ、飛び級しての通塾、中学受験、野球漬けの中高生活、かと思えば俳句甲子園にも出場し、倅のおかげで、共に過ごしてきたオヤジの19年間は、数えきれない楽しい楽しい思い出で満たされている。どの記憶もキラキラと輝く記憶ばかりだ。

 

 奇しくも、140年振りの民法改正で成人年齢が18歳に引き下げられ19歳の倅も4月1日をもって成人となった。今こそ、正真正銘の巣立ちの時を迎えたようだ。

それは我が愛する相棒のみならず私にとって。

 

 A long time ago,.....

カムカムエヴリバディの100年の物語のスキッドはこの言葉で始まった。

 

 Nineteen years ago, a pretty baby boy was born.

で始まる倅の物語はまだ始まったばかりだ。

  私は大学生時代、ラグビー部の部活に明け暮れる生活を送ってきたことは既に何度か小欄にも書いてきた。決して強豪校という訳ではなかったが、自分なりにどっぷり打ち込み、お陰で、30年以上経った今思い返しても、部活を通じて思い出多い学生生活を過ごせたと思っている。幸い、上下関係に煩いクラブではなく、先輩にはリスペクトしつつも先輩、後輩の垣根の低いほんとにアットホームな雰囲気も良い伝統であった。特に、同期は勿論、大学の部活特有のことだろうが、現役で入ったやつ、1年、2年、中にはそれ以上浪人して入ったやつが入り混じり、年齢も様々となることもあってか、卒業するまで多くの試合で共に闘うチームメイトとなる1年上や1年下の学年は、ほとんど同級生のような存在であった。ほとんど毎日毎日、部活の後も一緒に行動するのだから、ほとんどお互い家族みたいな密な存在であった。

 

 卒業後も仕事上、ちょくちょく顔を合わせる奴もいれば、長らく顔を見ない奴もいる。何人かにはOB会で偶に会えることもあるが、まだまだ全員現役世代でもあり、中々一同に会する機会もなく、もう30年以上が過ぎた。

 

 そんな中、アメリカで暮らす1年下の後輩の突然の訃報が飛び込んできた。

 解離性大動脈瘤

 残された奥様によれば、数日前に、突然の背部痛があり、奥様が受診を勧めたが、「大丈夫、大丈夫」と痛み止めで誤魔化しながら、仕事を続けていたらしい。

無理せず、直ぐに受診さえしていれば、避けられた死に違いないと思うと何とも口惜しいというような言葉だけでは済まない。大馬鹿野郎!である。

 

 学生当時の我々の部活は最高学年の一年前に幹部を務めることになっていた。幹部を終えても引退する訳ではなく、一緒にプレーするのだが、実習などの授業の関係上、そのような制度が踏襲されていたのだ。訃報の届いた彼は、学生時代から人一倍の頑張り屋で1年下のキャプテンであった。

 

 1つ上の私は、試合になると、決まって、その彼に檄を飛ばしていた。

「〇〇!何しとんねん!!」

 

 抑、チーム1とみんなが認めるファイターであった彼に試合中、ガンガン罵声を浴びせるのは私だけだったかもしれない。

勝っていようと負けていようと、試合のたびに何度叫んだだろう。

決して、彼がヘマをしている訳でも、怠けている訳でもない。

でも、彼に檄を飛ばせば、どんな時も決して俯くことなく、必ず、大声で「っしゃー!」と応え、その怯まぬ態度で、強い言葉で、全員を鼓舞し、勇気を与えてくれることを知っていたからだ。

 

 私がキャプテンとしての最後の大会を不本意ながらbest8止まりで終えたあと、彼がキャプテンを引き継いでくれた。お陰で、私にとっての卒業の年、春、夏にある当時の我々にとってのメインとする2つの大会で、春は優勝、夏は3位という成績を上げ、いい思い出と共に引退することができた。

優勝の宴会の時、彼は

「〇〇さん。〇〇さんの頃からやってきたことが、やっと実った。ってことですわ。継続は力ですわ。」

と、しみじみ語ってくれた。

 私がキャプテンの時から、今で言うフィットネスに力を入れ、weight trainingやプロテインの摂取方法も勉強し、今で言うanaerobic exerciseなども取り入れ出したのだが、それを踏襲してくれたことをそう語ってくれたのだ。

 

こんないい歳になっても色褪せない思い出に今も感謝している。

そう遠くない将来、私も同じ処に行くのだろう。いの一番に彼にまた言わねばならない。

「〇〇!あほんだら!ちゃんと受診しとかんかい!」

「何しとんねん!」

 

 

 コロナ感染症の勢いも漸く収束の方向に向かい、緊急事態宣言も解除を迎えた。とは言え、決してウイルスが消滅したわけではなく、第2波、第3波が訪れることも間違いない。「新しい生活様式」という不自由を甘受しながらの生活のゴールは、今のところ全く見通せず、社会が崩壊しないことを祈るばかりである。

 緊急事態宣言の発令前から休校となっていた学校も宣言の解除を受け、3月〜5月末という異例な全国一斉長期休校の末に、6月からやっと授業が再開されることになった。大阪や東京では夏休みを2週間程度、冬休みを1週間程度に短縮し、更に土曜日にも授業を行うことで3月末までに履修すべき内容をなんとか詰め込むらしい。どの子たち、先生方にとっても受難の一年ではあるが、受験生を持つ親としては、受験がこんな年に巡って来た我が子の不運が些か不憫ではある。

 

 教育現場が停滞せざるを得ない中、大阪の吉村知事をはじめ、識者の間で、俄に9月入学制の支持が拡がり、腰の重い文科省でも真面目に俎上に上げられた。しかし、結局は、どうやら予想通り、ボツとなったようだ。まあ、それはそうだろう。文科省の役人が、「急いでしなくても良い」「国を挙げての大改革」を今、この時期にすべきであるという結論に導くとは到底思えない。寧ろ、俎上に上げただけでも驚いていいことだろう。理路整然と積極的に「反対」をする正当な根拠も山ほどあるであろうし、反対を支持する教育界の権威ある識者も多かろう。

 確かに教育の制度改革は正に「国家百年の計」であり、緊急事態の最中に拙速に議論を進めるべきではないのは当然ではある。国民的議論とその醸成によってなされるべきテーマである。しかし、さればこそ、これを機にもっと真剣に議論を深めるべきではないだろうか。

 

 抑も、私は以前から9月入学を支持していた。

何も、国を挙げて全ての教育を9月開始にすることなどないのだ。

小中高等学校に関しては、今まで通り、桜咲く4月に入学のままで、大学に関してだけは、9月入学にすればいいことなのだ。

 であれば、移行期の生徒をどう吸収するとか、教員をどう増やすとか諸々の大掛かりな問題も生じることなく実施可能であろう。

 大学を9月入学にすることを支持する何よりの理由は、決して、グローバルにそうだから。という訳ではなく、全国規模の「共通テスト(センター試験)」が真冬に行われるからである。もちろん、その後の私立大学、国公立大学の二次試験とかなりの長期間に及び、受験生は、受験勉強で不規則になりがちな生活の中で、毎年、毎年、インフルエンザの流行に対するケアもしなければならない。一生を決めるかも知れない試験を敢えて、この時期にせざるを得ないのは一重に4月入学であるからに他ならない。また、真冬のお蔭で、東北地方や北海道の生徒達は大雪による交通機関への影響にも対応しなければならず、場合によっては前泊も必要であったり、地域間での不公平も避け難い。更に、部活についても、競技による不公平感が甚だしい。三年生の最後の大会が冬に行われる冬季スポーツ、サッカー、ラグビーの選手達は、センター試験の直前にまで大会が行われる。数年前、進学校として有名な浦和高校のラグビー部が花園に出場した際にも東大進学を目指す選手達が宿舎で数日後に控えるセンター試験の勉強を一生懸命にしている姿が報じられた。全国大会に出た数日後に受験本番というのは、5月や6月の地区予選で高校スポーツを引退した生徒とは、勉学に割ける時間にも相当な差を埋めることもできずに受験を迎えることになり、いくら彼等がハンパない頑張り屋だとしても、少なからず辛い日程であったろう。部活なんて、それも承知の上で好きでやっているとは言えばそれまでだが、こんな差も4月入学だから生まれるのだ。

 更に言えば、公立高校では3月の卒業までに終了する日程で履修するように組まれている教科は1月や2月の受験時期には修了していないことも珍しくはない。公立高校出身の私も遠い昔、実際そんな経験をした覚えがある。これも、進度の早い中高一貫校との間では明らかな不公平が生じていると言えよう。

 

 高校は3月末に卒業。大学入試の共通試験は全員が卒業を済ませた6月初旬。6月中旬から7月初旬にかけて私立大学や国公立大学の二次試験、夏休みを経て9月入学。 

卒業式は7月初旬として、書面上の大学の卒業は7月末か8月末の何れとするべきかは判らないが、こうすれば、上に挙げた全ての問題がそんなにも大きな社会問題とならずに簡単に解決するように思うのだが、如何だろう。

 小学校、中学校、高等学校にも其々、入試はあり、大学だけ9月にしても、彼等の入試は真冬では?となるが、小・中・高等学校では、全国一斉試験はない上、大学受験のように宿泊を伴い遠方の学校を受験することも滅多にないであろう。受験する学校の数も大学受験と比べれば少なかろうし、自ずと期間も限られていよう。

 大学進学を望むものは、(大学検定など除いて)全て、一旦高校を卒業(現在は現役生は「卒業見込み」)し、高校で履修すべき科目は不公平なく全て履修を終え、高校生活の最後まで悔いなく部活もし、大会にも参加し、その上で4月5月の2ヶ月間は受験勉強に打ち込み、既卒生として全員フラットな立場で試験に臨む。

 高校を卒業して、就職を希望する人はもちろん今まで通り、4月入社。

大学卒業組は9月入社(若しくは8月入社)と2通りに別れはするが、一括採用そのものが議論される昨今、その程度の問題の解決は然程の混乱も生ないだろう。

 

 コロナのお蔭で9月入学が、突然のように議論の対象となったが、どうも小学校から全ての学校教育に話が膨らみ、結局は実現される様子はまるでなくなった。

 9月入学に移行する問題点として挙げられた諸問題は、決して簡単に解決することなど無かろう。つまりは、実現することも、いや、再び、議論の遡上に上がることさえなくなるであろう。でも、インフルエンザの流行に加えて、これからはコロナ感染のリスクも加わった。大学に関しては、正しくグローバルな視点も益々欠かせない。

 「今でなくてもいい」ことは、このままでいいのか。

我が家の受験生の意見もゆっくり聞いてみよう。

 

 緊急事態宣言の下、自粛生活が続く中、我が街大阪では新規感染発生も一桁が続き、漸く、「新しい生活様式」を踏まえた段階的な休業要請の解除を迎えた。今や時の人となった知事にとっても、「病気で死ぬ人」と「経済で死ぬ人」の天秤を量りつつ、これから、如何に社会生活を回復させていくべきか、何百万人もの命に関わる過去に例のない舵取りを担わされているのだから、その重圧は計り知れないものだろう。報道によれば、5月21日には、関西圏の緊急事態宣言は解除される見込みらしいが、私自身も知事の要請に従い、「正しく怖れつつ」日常を過ごして行きたいと思っている。

 

 京阪神間での学校の授業もどういう形をとるかは定かではないが、6月1日からは再開の予定のようだ。高等学校でのリモート授業のなされようは、職場の同僚や知人の通われている私立の中高では4月の早い時期から、或いは中には早々と3月から、既にwebを用いた双方向性の在宅授業がなされている学校もある一方、公立学校では、そのような話は聞かれず、学校間の格差は恐ろしく開いている。因みに、所謂、進学校と言われる我が愛する相棒の通う学校では、漸く最近になって、一方向性の配信だけが行われるようになったものの、それも決まったフォーマットはなく、まさに担当教員任せという状態で、「勉強とは自分でするものです!」というのが、学校からのメッセージなのだろうと解釈するしかない有様である。

 

 高校生、いや、全ての学生にとって、何より大切なことは学業であることに異議はないが、学校教育の中では様々な部活も重要な役割を果たすこともまた異議のないところであろう。そして、こちらは、中々、リモートでは成立し難い。

 体育系であろうと文科系であろうと仲間とともに語らい、或いは、汗を掻きながら、共に喜びを分かち合い、共に悔し涙を流し、共通の目標に向かって時には、ぶつかり合い、時には、励まし合い乍らも懸命に努力することの価値は、大人になる道程では何にも変え難い経験である。コロナウイルスによる学校の長期の休校は、学業のみならず、そんな部活で得られる貴重な経験も奪い取ってしまった。

 そして、ついに、高校野球の夏の選手権も中止が発表された。3密を避けて他県からの移動にも制限を付ければ、各都道府県の県内大会だけならば可能なのでは、と一縷の望みを持って期待していたが、どうやらそれも見送られたらしい。野球以外の全ての競技も高校総体が中止となったのだから、致し方ないと言えばそれまでだが、ついこないだまで、高校球児のオヤジを体験してきた者としては、何とも言えない思いがする。

 

 倅の所属していた野球部の同級生達のほとんどの子らは、中学から本格的に野球を始めて5年間、途中で引退した倅と共に本当に来る日も来る日も一生懸命に練習を続け、どの子も、今では見違えるような体躯となって、誰が見ても「高校球児」と言われるほどに成長した仲間達だ。1勝するのがやっとだった歴史の中で、去年の秋の公式戦ではコールド勝ちもやってのけた。三年の夏まで!と練習に明け暮れたそんな三年生の倅の同級生達のことを思うと、彼らの努力の成果を披露する機会が奪われたことが可哀想でならない。

 

 次のステージでも頑張れ!君達なら何でもできる!

 応援団長のオヤジからのこんなエールが届くことを祈っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大方の予想通り、政府の緊急事態宣言が5月末まで延期された。そして、政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議から「新しい生活様式」なるものが提示された。その具体的な実践例は、「一人ひとりの基本的感染対策」「日常生活を営む上での基本的生活様式」「日常生活の各場面別の生活様式」「働き方の新しいスタイル」の4つで構成され、

 例えば、「人との間隔はできるだけ2m(最低1m)空ける」「外出時、屋内にいるときや会話をするときは、症状がなくてもマスクを着用」

「家に帰ったらまず手や顔を洗う」

「手洗いは30秒程度かけて水と石けんで丁寧に洗う」

「密集、密接、密閉の3密の回避」「咳エチケットの徹底」

「身体的距離の確保」「こまめに換気」「毎朝で体温測定、健康チェック」などなど今まで散々言われ続けていたことが改めて事細かに示されている。

 

 日常生活の各場面別の生活様式では、

「買い物」「食事」「公共交通機関の利用」「娯楽、スポーツ等」「冠婚葬祭などの親族行事」の5つの生活場面別に実践例が示され、

買い物では、「通販も利用」「1人または小人数ですいた時間に」「電子決済の利用」「計画をたてて素早く済ます」「サンプルなど展示品への接触は控えめに」「レジに並ぶときは、前後にスペース」などが示され、

食事では、「持ち帰りや出前、デリバリーも」「屋外空間で気持ちよく」「大皿は避けて、料理は個々に」「対面ではなく横並びで座ろう」「料理に集中、おしゃべりは控えめに」「お酌、グラスやお猪口の回し飲みは避けて」

などなど、これまた、微に入り細を穿つかの如くに、ご丁寧に

「新しい生活様式」が示されている。

 

 この「新しい生活様式」に従えば、当然、密閉空間で熱狂するライブハウスは、存在そのものが完全に不要、そもそも宴会、会食は全て不適切なのだから、大人数での結婚披露宴も、大会場での葬儀、告別式も催行は不適切であろうし、当然ビュッフェ形式の飲食が不適切で、全国規模の会議の開催も不適切であろう。

 買い物も所謂ウインドウショッピングは不適切のため、購買意欲を唆る洒落たディスプレーそのものが不要であろうし、百貨店などはこの新しい生活様式では、存在価値自体が怪しいであろう。

 娯楽スポーツでも「すれ違いには距離を取る」とまで指摘されれば、何より、汗だくで身体を密着させるあらゆる格闘技、ラグビーなどのスポーツは全て、不適切な存在なのだ。

 

 酒の上での楽しい会話も笑いもただ単に生きていく上では必要なかろうし、豪華な衣装も贅沢な食材もそもそも必要ないと言われれば必要ないものだらけなのだ。ここまで来れば、スポーツや娯楽などは人が生きていく上では必要なし。と片付けられてしまいそうな、そんな恐ろしい「制約」のオンパレードなのである。

 

 コロナウイルスとの闘いは長丁場であろうと識者は口を揃えるが、その戦い方が、こういう方法でしかないとすれば、一市民として粛々と従い、行動することに決して異は唱えないが、今のところ、どうなればゴールで、そのゴールがどこに定められているのか、全く示されてはいない。生活の補償のない中で工程表なき闘いに多くの人の不満が募るのも全く当然であろう。

そして、何より、こんな「制約」や「抑制」を「新しい」と呼んでいいのか。

 音楽もお酒を伴った宴会も会食も、豪華な服飾も、当てのないウインドウショッピングも、激しい格闘技も、何もかも、きっと人がより「人らしく生きる」ためには「必要」であるからこそ、消えることなく続いてきたことに疑いはない。

 今回の専門家会議の示す「不自由」な制約だらけの生活様式が、21世紀を迎えた日本人の「新しい」生活様式と呼ぶに相応しいのか。甚だ、合点がいかない。