3月30日に「コロナ」のブログを書いてから僅か2週間、コロナウイルス感染症の拡大は止まるところを知らない。首相による東京をはじめとする大都市圏での緊急事態宣言に続き、各自治体首長による休業要請が続々と発せられる事態となった。

 報道によれば、東京では1つの病院から90名を超える大クラスターが発生したり、神戸の感染症基幹病院でも10名以上の医療従事者の感染が発生し、重篤例以外の受け入れが不能になるなど医療現場における感染拡大の深刻さは日を追って増すばかりである。有名芸能人、報道番組のキャスター、世界に目を転じれば英国首相の罹患など次々に報じられるニュースは、普通に市井に暮らす市民にとっても、今や世界中で、いつどこで自分がその感染症に罹患しても全くおかしくない状態になったことを思い知らせている。

 

 感染症数理モデルの第一人者の西浦教授によれば、人と人の接触を通常よりも80%減じれば、短期間のうちに感染拡大は収束に向かうらしい。ここは明確に「80%」でなければならないようなのだが、政治的経緯でこれが首相の口から国民に向けて緊急事態宣言として発せられる時には、「8割減らさなければならない。」と言うべきところを、なぜか「7割から8割」と変貌させたようだ。こういう数理モデルでは「7割も8割も似たようなもの。」では決してないことが官邸に説明されていないとは思えないが、そこをねじ曲げる「配慮」の背景には何があったのか?問うてみたいものだ。

 

 私自身、市井に暮らす一人として、西浦先生の計算にしたがって「8割減」を遵守したいのだが、テレワーク、リモートワークのきかない仕事故、残念ながら、実践できているとは言い難い。

 一方、うちの倅と言えば、3月初めの休校以来、通学機会は、伝達事項や配布物のため学校に行った僅か2日のみである。通学のない時期に通い始めた塾に何日間かの通塾が少しはあったのだが、とうとう、それもなくなった4月7日の緊急事態宣言の発令以来、ずっと正に巣篭もりが続いている。受験生でもありながらも、今だ細々と続けている文化系の部活を含め、最後の「文化祭」に向けて毎日遅くまで学校での活動が盛り上がる時期である筈の倅が、政府が勧める「stay home」を我が家で唯一人ほとんど完璧な形で実践しているのも皮肉なことだ。

 

 また、このコロナ禍によって、高校生アスリートの多くは、もうすぐ始まるはずのインターハイ予選の中止が早々に決まったり、日程の決まらぬ延期となったり、きっと辛い思いをしていることだろう。3年生にとっては「最後の大会」が行われることなく、そのまま引退となってしまうのかと思うと、オヤジとしてはそれも可哀想でならない。

 本来ならば、今頃、オリンピックを直前に控え、どこのチャンネルでもJOCの「がんばれ!ニッポン」キャンペーンで盛り上がっている中で部活に汗を流している頃であろうに、学校にも行けず、巣篭もりの中、テレビをつけてもスポーツの話題そのものが全くと言っていいほどなく、一日中「コロナ感染」で埋め尽くされているのだ。

 それもこれも、きっと、もう少しの辛抱だ。朝の来ない夜はないと信じて、今日一日、明日一日を精一杯過ごして貰いたい。

  がんばれ!全国の高3生!

 

  そして 今こそ

  がんばれ!ニッポン!

 

 

 

 新型コロナウイルスが世界中で猛威を奮っている。

クルーズ船への対応に始まり、日本の検疫体制、検査体制などが欧米諸外国から非難の対象となってきたが、わずか数週間という間に当の欧米諸国では制御不能なパンデミックに陥った。

 

 現状の日本では、今のところ、諸外国の「都市封鎖」には至らず、「自粛要請」で踏み止まってはいるが、、いつ何時そんな事態に発展しても不思議はない。

 諸外国からの批判に反してコロナウイルス感染による死亡者がぎりぎり抑制できている間に、爆発的拡散に対する備えを怠らず、なんとか「医療崩壊」だけは避けねばならない。

 

 倅の通う学校でも3月はほぼ休校となった。3学期の期末試験はなしとなり、19日の終業式以外は休校、登校禁止が続いていたが、漸く3月30日から校内活動自粛の措置を制限付きで緩和され、「3つの密」を避ける形での部活や校内活動が許可されるようになった。

 例年ならば、部活以外にもこの時期は5月2、3日に1万人以上の来訪者を集めて催行される大イベントである「文化祭」の準備で、毎日、休む間なく沢山の生徒が登校し、準備に明け暮れている時期でもあったのだが、学校で集まらなければできないほとんどの準備は今年に限っては、きっと未だできていないままであろう。文化祭自体、今のところ、今年は、大人数が集うオープンな開催ではなく、入場者を招待制にして開催にしようという計画らしい。準備に奔走している多くの生徒のためにも予定通りに開催できることを祈っているが、コロナウイルス感染の状況によっては、それさえ流動的かもしれない。

 

 倅は昨夏で引退してしまったが、倅の中学入学以来、倅と共にどっぷり野球漬けの毎日を送ったオヤジとしては、こんな時も、野球部の活動が気が気でならない。野球部にとっても夏の大会のシードを決める春の大会は中止となり、登校禁止期間中はもちろんチーム練習も練習試合も一切できていなかった筈だ。やっと、グラウンドで集まることができるようなり、部員も少しはほっとしているのだろうが、練習試合の日程もきっとまだ白紙の状態であろうし、何より、まだ感染症の不安も抱えたままでの再開であろう。

 文武両道を貫く立派な同期の3年生にとっては、何にも代えがたい最後の夏の大会まであとたった3ヵ月。ここまで多くの犠牲を払い、いろんな我慢をして懸命に続けた部活なのだ。どんな形であれ、コロナウイルスの不安なく、思いっ切り、悔いなく、各々の青春を燃焼しきって貰いたい。グラウンド狭しと駆け巡る姿を見せて貰いたい。

 

 春の選抜、オリンピック、大規模イベントが尽く中止や延期となり、世界中で先の見えないウイルスとの闘いが続く。

しかし、人類は多くの感染症を乗り越え今日の繁栄を築いてきたのだ。

朝の来ない夜はない。1日も早く、コロナウイルスの憂いなく、過ごせる日が来ることを、そして、愛すべき高校生達の明るい声がグラウンド一杯に響きわたる日が来ることを切に祈っている。

 

 

 毎年、大学入試センター試験が行われる1月の第3土日は、倅の通う学校の入試も行われ、今日はその合格発表である。

 本当に早いもので、あの日から、もう5年が経過した。

 倅が受験した時も発表は翌日の午前中だったのだが、事前に、その時間には遠く離れた奈良県の中学校の入試を受ける手筈になっていた倅に「僕の受験中に、絶対に先に見に行かんといてな。昼休みの雰囲気で分かってしまうの嫌やから。」と言明されていた為、奈良で受験を終えた倅を待ち、夕方になって、ドキドキしながら発表を見に行ったあの日のことがまるで昨日のことのように鮮明に思い出される。

 

 そう言えば、5年前の入試の前日、倅に手紙を渡した。

 兎に角、挫けずにここまで来たことを最大限に称えた。そして、合格しようがしまいが、ここまで頑張り続けられた倅をそれだけで父は誇りに思っていることを私なりに伝えた。

 中学受験は、当人のみならずサポートする家族を含めた長い長いチャレンジでもある。当時の私にとっては、本当に、その長い戦いを放棄せず、やり遂げただけでも父親としては何にも変え難い喜びであったと言うのが偽らざる本心であった。

今となっては、それもこれも懐かしい思い出だ。

 

 来年は、色々あったが、大学入試センター試験が共通テストに変わる初年度となり、我が家もまた受験生を抱える一年となる。

 親としてできるサポートは何でも引き受けようとは思いつつ、流石に今度は、自分独りの戦いである。どんな目標を立てるのか、そのために塾や予備校に通うのか、どんな講義を取るのか、どんな風に勉強をするのか、、、。

何もかも、自分で考え、自分で取り組むしかない。

 最早、親が何か手伝いをできる訳でもなく、抑、干渉することでもなかろう。今や親の務めは授業料を滞りなく納めることぐらいだろうかと思うと、子供の成長は頼もしくもあり、少し寂しいものでもある。

 

 今年、倅は、センター試験の同日、大手予備校が主催する「同日試験」を受けに行っていた。どういうルートで入手するのか分からないが、同日に行われているセンター試験と全く同じ問題を少し時間を遅らせて同じ日に高1高2生が試しに受けてみられる模擬試験らしい。

 

 一年後、今度は本物の共通テストが待っている。

結果はどうあれ、また、挫けず頑張ったことを称えてあげられる一年を過ごしてくれることを願っている。

 

  バブル期、日本中のゴルフ会員権は地価の上昇と同様に天井知らずに高騰を続け、関西の名門コースでは1億超えも当たり前、いたって普通のゴルフコースのメンバーになることでさえ庶民にはとても手の出ない高嶺の花であった。当然、ゴルフは現在とは桁違いの人気スポーツで、男子プロのトーナメントは勿論、毎週地上波で放送され、AONと呼ばれた青木、尾崎、中嶋選手の人気振りも今のゴルフ人気とは比べものにならないものであった。

 

 まさしくこの時代を大学から社会人になりたての頃に過ごした私も当然その洗礼を受け、父親のお下がりのクラブセットを手にゴルフを始め、ゴルフ好きの仲間と足繁くラウンドし、一時期それなりに上達もしつつ、、私にとっては大好きな身近なスポーツでもあった。ところが、倅が生まれてから17年間、一切、ゴルフクラブを握ることさえもなくなっていた。

 特にゴルフをやめようと決意した訳でもなかったが、倅が赤ん坊の頃は、唯一家内の子育てを手伝ってあげられる週末、ほぼ一日を使うゴルフにとても出かける気にならなかったし、子供が成長するに応じてその時々に、倅と遊んだり、家族で出かたり、お受験期には塾の送迎をしたり、中学に入学以来は野球の応援一色になったり、、。それが、その時、その時の自分にとっては、何より楽しい週末の過ごし方となってしまっていたからであろう。

 ところが、倅が高校2年で野球部を辞めてからと言うもの、その週末にぽっかり穴が空いてしまっていた。

 倅自身、週末の活動は、特に野球以外にするスポーツもなく、たまにある文化部の活動のみになっていた。

 

「ゴルフやろうぜ、〇〇。」

ゴルフのゴの字もない生活ではあったが、

 いつか、家族でゴルフのラウンドを。というのも、私にはかねてからの小さな夢でもあったのだ。

倅も、なんでもスポーツは大好きではあるし、案外、野球の基礎はあるだけにそこそこ、ゴルフには興味を持つかもしれない。

そんな思惑もあり、誘ってみた。

「いいよ。やろか?」

 

 秋になって、私の18年間お蔵入りしていたクラブを倅に譲り、私はオヤジ用の今時のクラブを調達し、近くの練習場に連れて行った。

倅は、予想通り、野球をしていただけあって始めから空振りを連発するようなこともなく、全くの素人としてはそこそこマシな方だろう。滅多に当たりはしないが、何度か通ううちに偶々クリーンに当たれば、私よりもはるかに飛ばしたりもした。

 私と言えば、およそ20年間のブランクは想像以上に厳しく、スマホで撮影してみると全くイメージとはかけ離れたヘンテコなフォームでしか振れない自分に愕然として、とても人に教えるなんてレベルではなかった。それでも、なんとか1月中に倅とのラウンドデビューを目標にして週に3〜4回は練習場に通い、練習に励んだ。

 

 冬休みになり新たな塾の講習にも行くようになり、練習場に通う機会もさほど得られないままであったが、とうとう河川敷のパブリックコースに二人してデビューすることとなった。

 河川敷の激しい吹き曝しの風の中、二人共スコアは酷い有様で合ったが、倅は2ホールでパーを取ったり、私も1ホールでバーディを取ったり、久し振りにお互い笑顔の溢れる半日となった。

考えてみれば、そもそも、半日二人で体を動かして「遊ぶ」ことができる週末なんて、いったい何年振りだろうか。

 

「〇〇、天気も良くて、今日はよかったなぁ」

「、、、、、」

うん??

「Zzzzzz、、、。」

車に乗り込むや、寝始めた。

そう言えば、昨夜も遅くまで勉強していたようだ。

 

少しは、いい気晴らしになったか、それとも、親の夢を叶えてくれただけの疲れる1日だったか?起こさないで少しまとめて眠れるように家に着く前にコンビニの駐車場で20分ほど時間を潰した。

 

 今日は、この後、新しく通い始めることになった塾の初回授業があるらしい。一旦帰って身支度を整え、空腹を満たして出かけて行った。

受験まであと丁度1年。次にラウンドできるのは一体いつになるのか今のところ想像もつかない。受験生生活は1年で済むか、2年かかるか、もっとかかるか、、、。

「頑張れよ。」

頑張る倅の意思次第、こちらは応援するだけである。

 

 兎に角、また一つ私の小さな夢を叶えてくれた愛すべき相棒に感謝である。

 

 今年も例年通り、期末試験の最中、倅は17歳の誕生日を迎えた。野球部を引退して早や5ヶ月が経とうとしているが、中学に入学以来の部活仲間とは相変わらず仲良くしてもらっていて、日曜日というのに朝から図書館に集まって試験勉強と言うことで、いそいそと出かけて行った。まぁ、確かに、来客やらテレビやらの雑音で家では何かと勉強しづらいのかも知れないが、果たして、集まって何をしているのやら?

 休日に高校生が集まって、大人しくお勉強っていうのも我が身を振り返れば甚だ怪しいものだが、公序良俗に反しない限り、楽しくやってくれているのならそれはそれでこれも「正しい」青春のあり方だろう。

 

 何も以前から怠け者であったと言う訳では決してないのだが、何事も短時間で要領良く立ち回ると言うことが苦手な倅にとっては、全ての週末を試合で潰していた生活と比べれば、少しは自分の時間が持てるようになったことは確かに大きな変化なのだろう。どうやら、2学期になってからは少しは勉学にも真っ当に取り組み始めたようである。しかし、当然ながら、ここまでの蓄積は甚だ大きく、目に見えた結果に結びついているとは言い難いのも現実のようなのだが、彼もそんな事は百も承知であろう。彼は彼なりの危機感を感じているに違いないであろうし、言わずもがなである。

 

 中学に入学以来、本当に仲間に恵まれ、野球では何年か振りの公式戦での勝利も味わい、文化部でも「甲子園」と名付けられた全国大会に出場し、優勝校に敗れはしたが、大会場での決勝リーグも経験し、部活を中心に過ごしてきた彼の今までの学生生活は、きっと充実した楽しいものだったに違いない。オヤジとしては、ここまでのところ、いい青春を過ごせて本当に何よりなのだが、これから先の1年は、果たして、その中心が受験勉強となるのであろうか。応援団長としては、部活同様、それはそれでできる応援はしてあげたいのだが、最早、勉強の手助けなどできるはずもなく、息抜きの相手でもしてやる以外にはなさそうなのも、妙に寂しい気がしている。

 

 しかし、そんなオヤジの思いとは別に17歳になったこれから、部活に一生懸命であった程、勉学に打ち込むのかどうか。確かに勉学に打ち込む意識の高い同級生も数多い環境ではあるが、

 今のところ、そこまでの気配は感じ取れないでいる、、、、。

ま、これも言わずもがな、である。