緊急事態宣言の下、自粛生活が続く中、我が街大阪では新規感染発生も一桁が続き、漸く、「新しい生活様式」を踏まえた段階的な休業要請の解除を迎えた。今や時の人となった知事にとっても、「病気で死ぬ人」と「経済で死ぬ人」の天秤を量りつつ、これから、如何に社会生活を回復させていくべきか、何百万人もの命に関わる過去に例のない舵取りを担わされているのだから、その重圧は計り知れないものだろう。報道によれば、5月21日には、関西圏の緊急事態宣言は解除される見込みらしいが、私自身も知事の要請に従い、「正しく怖れつつ」日常を過ごして行きたいと思っている。

 

 京阪神間での学校の授業もどういう形をとるかは定かではないが、6月1日からは再開の予定のようだ。高等学校でのリモート授業のなされようは、職場の同僚や知人の通われている私立の中高では4月の早い時期から、或いは中には早々と3月から、既にwebを用いた双方向性の在宅授業がなされている学校もある一方、公立学校では、そのような話は聞かれず、学校間の格差は恐ろしく開いている。因みに、所謂、進学校と言われる我が愛する相棒の通う学校では、漸く最近になって、一方向性の配信だけが行われるようになったものの、それも決まったフォーマットはなく、まさに担当教員任せという状態で、「勉強とは自分でするものです!」というのが、学校からのメッセージなのだろうと解釈するしかない有様である。

 

 高校生、いや、全ての学生にとって、何より大切なことは学業であることに異議はないが、学校教育の中では様々な部活も重要な役割を果たすこともまた異議のないところであろう。そして、こちらは、中々、リモートでは成立し難い。

 体育系であろうと文科系であろうと仲間とともに語らい、或いは、汗を掻きながら、共に喜びを分かち合い、共に悔し涙を流し、共通の目標に向かって時には、ぶつかり合い、時には、励まし合い乍らも懸命に努力することの価値は、大人になる道程では何にも変え難い経験である。コロナウイルスによる学校の長期の休校は、学業のみならず、そんな部活で得られる貴重な経験も奪い取ってしまった。

 そして、ついに、高校野球の夏の選手権も中止が発表された。3密を避けて他県からの移動にも制限を付ければ、各都道府県の県内大会だけならば可能なのでは、と一縷の望みを持って期待していたが、どうやらそれも見送られたらしい。野球以外の全ての競技も高校総体が中止となったのだから、致し方ないと言えばそれまでだが、ついこないだまで、高校球児のオヤジを体験してきた者としては、何とも言えない思いがする。

 

 倅の所属していた野球部の同級生達のほとんどの子らは、中学から本格的に野球を始めて5年間、途中で引退した倅と共に本当に来る日も来る日も一生懸命に練習を続け、どの子も、今では見違えるような体躯となって、誰が見ても「高校球児」と言われるほどに成長した仲間達だ。1勝するのがやっとだった歴史の中で、去年の秋の公式戦ではコールド勝ちもやってのけた。三年の夏まで!と練習に明け暮れたそんな三年生の倅の同級生達のことを思うと、彼らの努力の成果を披露する機会が奪われたことが可哀想でならない。

 

 次のステージでも頑張れ!君達なら何でもできる!

 応援団長のオヤジからのこんなエールが届くことを祈っている。