大河ドラマは今のところ楽しんで見てるんですけど……。
道長があまりにも善性に描かれすぎているのがすごく気になり始めているワタクシです(´-ω-`)
民のための政治を志して、まったく自分のことは考えない人にするのは、無理があるんじゃないかなさすがに……と、思い始めてきた(^^ゞ
でもそれ以上に、
「そっか~……清少納言に逆恨みさせるんだ~……」
ってのが……(笑)
いや、史実の藤原道長なら、恨んで当然です。
かずかずのっ!!!
か~ずかずのっ!!
いやがらせをしたわけですからね~。
でもドラマの中の道長はそういう風に描かれてないし。
っていうか、定子様が亡くなり、伊周が
「すべて左大臣のせいだ!!」
と叫んだとき、
「いやいやおまえのせいやろ」
と、視聴者の多くがつっこみましたよね?
長徳の変……花山上皇が射かけられた事件……の実行犯は弟の隆家ですが、原因をつくったのは伊周とされます。
伊周が自分の女に花山上皇が通っていると勘違いしたんですね。
当然、伊周と隆家の二人は罪に問われます。
伊周は大宰府へ、隆家は出雲への左遷が決まります。
そこでさっさと配流先に行ってりゃ、定子はそこまで追いつめられなかった。
二人があがきまくったから、定子は出家しなくちゃならなかったんですよ。
しかも、それでも伊周はあがく。
母親と一緒に大宰府へ行くんだ~と泣いたというんだから、みっともないにもほどがあるですねぇ。
そういうのを見てきた清少納言が、
「伊周さまが悪いのですわ」
と言わずに
「道長のせい」
と言うのは……違和感あるわ~……。
いくら定子様を妄信的に愛していたとしても。
う~ん……。
個人的に、「頭が良い」というのは、「脳みその体力がある」ことだと思っています。
つまり、それだけたくさんのことを考え続けられるということ。
たったそれだけだと思うんです。
たくさんのことを考え続けられるなら、多角的にもなるだろうし、いろいろな人の立場にも思いが行き届くようになります。
たまに、考えると言いつつ堂々巡りをしてるだけの人もいますが(ええ、私です(笑))、それは「考えられてない」んですよ。
考えてるふりしてるだけで、実は脳みその体力使ってない。
本当に賢い人は、同じところをグルグルしたりなんかしません。
一つとっかかりから、どんどん発展させていくものです。
愛し、尊敬したてまつりまくっていた定子様が亡くなった直後で、清少納言の脳みそは疲弊して動かないだけかもしれませんが、今後清少納言が変な方向に行ったら、見るのやめる(やめないけど二倍速で適当に見るようになる)かもなぁ……。
無理あるよね~、あの道長さ~……。
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