他人と比較して生きているわけじゃなくても、なんだか自分だけ可哀想に思えるときってありますよね。
朝ドラで、主人公の寅子は、
「女性は早く結婚する方がエライ」みたいな風潮の中、女学校を卒業しても法律を学び、
「女が法律をやるなんて生意気」な雰囲気の中、並大抵ならぬ勉強をして司法試験(当時は高等試験)に受かり
「女は男より劣っているべき」な考え方が主流の中、どんどん活躍して「家庭裁判所の母」何ぞと呼ばれるまでになり
「女は家庭を守るもの」とか言われまくる中、休み返上で働き、
挙句の果てに女性からは「女性の味方になってくれると思ったのに、私が不貞を働いたのが原因で離婚を言いだされている件に関して、まったく私を贔屓してくれない!!」と剃刀で切り付けられそうになるわけです。
それなのに、家庭に帰ると、
「家族を顧みてくれない」
「偉そう」
「話を聞いてくれなかった」
と文句ブ~ブ~言われるわけです。
でも家族は、自分が切り付けられそうになったことも知らず、どれだけ身を粉にして働いてるかも知らない。
「いつも働いてくれてありがとう」
と言われているシーンは一度もなかった。
これで、
「私って可哀想」
ってなってるような描写が一切ないのは、すごいのかリアリティがないのかどっちだろう(笑)
私は、あれもこれも私の担当で、あげくのはてに、
「言い方がキツイ」
とか言われて、ブチ切れたことは何度もあります。
最初に勤めた金融機関でもそんな感じで、アホらしくなってやめましたが、
「裏切られた気分」
「あなたの仕事は3人分、辞められたら効率が悪いのよ!」
「先輩がいなくなったら、私、どうしたらいいんですか?!」
と、責められたのなんので、本当に辞めてよかったと思う。
でもこういうとき、共感してくれる人が周囲にいないと、本当~にキッツイです。
私と同じ立場になったことがない人は、絶対
「頼られてるんやん」
「ありがたいやん」
って言いますからね……。
そして、こういう立場になる人間は、どこへ行っても、だいたいそういう立場になってしまいがち。
でも、この「私ばっかり可哀想」にとらわれてしまうと、人生が本当にしんどいです。
どうしたらいいんでしょうか。
私は、ズバリ「上を見る」ことだと思う。
私なんかよりずっとすごい人を見て、
「あそこまで行こう」
と思えば、自分が可哀想になりません。
まぁ、あそこまで行ってしまえば、もっと大変になるかもしれませんが、力をつけることは悪いことじゃないし。
だから、朝ドラで、ヒロイン寅子が、お仕事バリバリ3メンズに、
「俺たちは君をとても気に入っている」
と言われたことは、十分な報いとなったと思います。
それがちゃんと描写できたということは、この脚本家さんも、
「できるがゆえに押し付けられてきた人」
なのかもしれないですね。
最初の会社では、尊敬できる人……つまり「見上げられる人」が一人もいなかったので、ど~しょうもなかったです。
フリーランスの組合を辞めたのも、同じ理由でした。
でも、「私よりすごい人」ががんばってる組織では、大変でも、
「もうちょっと私がやりますよ」
って言えたりします。
だから、何かの組織に入るなら、「自分よりずっとすごい人」が目に見えるところにいる組織にすると良いかもですね。
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