高須神社……というよりこの地は、住吉大社と深いかかわりを持ちます。
神功皇后は長門の国から神女を連れて入畿。三韓との戦を守護した住吉神を現在の住吉大社に斎奉ると、神女たちは高須の地で遊女となり、旅人たちの労を癒しました。
それ故に住吉大社の御田祭では、現代になってもなお、芸妓たちが田植女を務めるのです。
高須の遊女のうち、もっとも有名なのが地獄太夫でしょう。
美貌と教養は、「聞きしより見て恐ろしき地獄かな」と、一休禅師を驚かせるほど。
しかも滅法酒に強く、何合煽っても、顔色一つ変えなかったとか。
近代に至るまで、遊女たちは文化の担い手でもありました。
歌を詠み、教養人を唸らせ、宴の場を豊かにしました。
しかし、私は手放しに遊女を褒め称えるつもりもありません。
人らしい扱いをされず、ただ苦しんで死んでいった遊女たちがいたことも、また事実だからです。
遊女は神に近い存在でもありました。
神の神託とともに各地をまわった歩き巫女たちは、客と夜を共にもした。
誰とでも寝るのは淫乱ではなく、それだけ多くの男たちを慰めたのだと受け止めることもできます。
一休は、仏道を求める地獄太夫に、
「五尺の身体を売って衆生の煩悩を安んじる汝は邪禅賊僧にまさる」
と諭したとか。
むろん、それは愛の行為でもあります。
その一面ではただの娯楽でしかなく、あるいは世継ぎを生むため、若い働き手を得るための生殖行為でしかありません。あるいは権力を手に入れる手段でもあるでしょう。
私は、セックスの過剰な神聖視が、弱い存在の傷を無意味に深めている面もあると考えていて……ジャニーズの問題においては話をややこしくさせ、加害者の数を無闇に増やしていると……性の問題は、もっとオープンに、熱心に議論をすべきだと思う。
なんでアンタッチャブルにしてるんだか不毛に感じて仕方ありません。
かつて地獄太夫がその美貌と教養で並み居る男たちの舌を巻かせたこの地で、現代の私たちは、一体何を思うべきなのでしょうか。
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