是枝監督の『怪物』のノベライズを読んでみました。
私個人としては、映画は映画として完結すべきで、小説で情報を補わなきゃいけない映画なんてのはちょっと考えづらい。
是枝監督がそんな映画を作るはずがないと思うのですが、ラストをどう考えたらよいのか、ちょっとよくわからなくて、ノベライズなら裏設定まで説明されてるだろうと購入したんです。
結果、よくわからなかったことはスッキリした。
でももし、この小説だけを読んでたら、
「説明が押しつけがましい」
と感じたんじゃないかって気がします。
つまり、「想像力を遊ばせる余地を与えてくれない」と感じたんじゃないかと。
読んでみたら、映像の中で説明されていたことに、私が全然気づけてなかったことがわかりました。
私は是枝監督のファンなので、好きな映画は何度でも見直します。
「奇跡」や「万引き家族」はあんまり刺さらなかったので、映画館で一度見たっきりですが、「三度目の殺人」は、何度見直したかわかりません。
見直すたびに発見がある。
でも、じゃあどこまで明確に語ればいいんでしょう。
時々、
「前は違うことを言ってたじゃん」
と、責める人がいますが、なぜ「前は違うことを言っていた」ことが責められるのか、私にはよくわかりません。
言ったことがすべてではないし、そもそも自分でも気づいてないことがたくさんある。
どんなワンシーンにも、私が気づいていない「事実」が内包されている。
そして、すべてを語るのなんて無理です。
語っても語っても、本当に言いたいことなんか相手に伝えられるはずがない。
でもだからといって、「どうせ伝わらない」と投げ出すのもよくない。
だからいつも、「ここまで」と折り合いをつけるほかありません。
でも、どこで折り合いをつけるかが難しいんですよね~……。
私たちが原稿を書くときも、どこを削るかは大きな問題。
表現がくどくて文字数をとってるときは、そこから削いでいきますが、それだけでは足りず、どこかの情報を消さなくちゃいけないことがほとんど。
だいたいは優先順位がわかりますが、悩むときはむっちゃ悩みます。
「いや、こっちの方が例としては相応しい」
「でもこっちの方がわかりやすい」
どうしたらいいの~!!!!!!
ってなるのね(笑)
文化庁の友人は、博物館の展示解説文について、やっぱり同じようなことを言っています。
「長すぎると読んでもらえないし、短すぎると伝わらない」
って。
いやはや、ほんと難しい問題ですよ。
是枝監督はどう考えてらっしゃるのかなぁ。
一度流してみるだけの人でも、その人それぞれに刺さるところはあるはずで、それさえあれば良いと考えてらっしゃるのかしら。
でも、「誤読は読者の権利」って言葉もあるように(あるのか?!)、読み手がどう読むのかはその人の自由のはず。
でも、でも、でもさ~~~~~~!!!!!!!
この手の問題は、考え出すとドツボるので、あんまり考えたくないんですけどね(^^ゞ
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