神西湖はスセリヒメが生まれたとされる場所です。
先日も書きましたが、スセリヒメは、「罪喰い人」の影があると思うんですね。
また、神西湖から3キロほど南にある那賣佐神社は、スセリヒメを祭神としています。
滑狭の郷の項に、
「須佐能袁命の御子の和加須世理比売がおられた。その時、天の下をお作りなされた大神の命が求婚してお通いなされたが、その社の前に磐石があり、その表面が大変滑らかであった。そこでみことのりして、「滑磐であることよ」と仰せられた。だから南佐という」とあるので、ここはお参りしておかねばです。
また、出雲国風土記における、存在感のある女神といえばやはり、キサガイヒメとウムガイヒメでしょう。
ともに神魂命の娘ということになっていますが、神魂命は記紀神話のカミムスビというよりも、「すべての祖神」的な神ではないかと、私は考えています。
キサガイヒメは赤貝の、ウムガイヒメは蛤の神格化ということで、二柱とも海水に棲む貝です。
「出雲といえば宍道湖では?」
というのは、比較的新しい時代の話し。
宍道湖は、たたら製鉄のかんな流しによる土砂で埋め立てられ、できた湖だからです。
もし大きくて豊かな漁場にもなる湖があるのなら、貝の女神を対にするときは、海水貝と淡水貝にするのではないかと思うんです。
つまり、キサガイヒメとウムガイヒメは、古い女神ではないか、と。
キサガイヒメとウムガイヒメは、大国主の命を助けたことで知られます。
また、キサカイヒメはサダ大神の母親で、出産の際、金の矢で加賀の潜戸を作ったとされる女神。
加賀の郷の項に、
「佐太大神のお生まれになったところである。御祖の神魂命の御子・支佐加比比売命が「なんと闇い岩屋であることよ」と仰せられて、金の弓をもって射給うた。その時光が加加とあかるくなった。だから加加という」
とあります。
記紀神話におけるスセリヒメは、彼女たちの面影を受け継いでいるんじゃないかなと思っています。
でも、神話に現れない限りは、想像するしかないじゃないですか。そこで、神西湖一周なんです(^_^)/
スセリヒメは、日本書紀にはオオクニヌシの正妻と書かれていますが、出雲において、オオクニヌシの気配はあまりにも希薄です。
出雲国風土記において國造の神はヤツカミズオミツであり、意宇の郷の条に詳細があるにもかかわらず、序文にわざわざ、
「出雲と呼ぶわけは、八束水臣津野命がみことのりして「八雲たつ」と仰せられた。だから八雲立出雲という」
と、あるくらいです。
翻って、オオクニヌシが国を造ったエピソードはありません。
たしかに、母理の郷条に
「天の下をお造りなされた大神大穴持神は、越の八口を平定し賜うて」
とありますが、出雲国内ではなく、越の話になっています。
那賣佐神社まで乗せてもらったタクシーの運ちゃんは、
「オオクニヌシは出雲の神様じゃないです」
と、明確に否定されました。
もっと出雲郡に近づいたら、話は変わってくると思いますけどね(^_^;)
観光客に話を合わせると思うし。
ただ、オオクニヌシの正妻とされるスセリヒメのモデルは、出雲古来の女神ではないかというと、賛同してくださいました。
また、ここからまだもう少し南下した場所にある須佐神社、佐太神社はスサノヲと関係が深い、と、おっしゃり、スセリヒメがスサノヲの娘であるという下りは出雲由来じゃないかとのことです。
ただ、それ以上の神話が残っているわけじゃないようで、妄想するしかありませんな(笑)
取材や執筆の依頼・お問い合わせは
![大阪の取材ライター醸工房](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.norichan.jp%2Fimage8%2Fbanner.png)