2021年の通常国会において、国家公務員の定年を65歳まで段階的に引き上げるという「改正国家公務員法」が成立し、2023年4月に施行された。
これに伴い、地方公務員法の一部も改正された。
むろん公立学校の教員も対象である。
定年年齢は、一気に引き上げられるわけではなく、2年ごとに1歳ずつ段階的に延長され、2023年度から始まり、2031年で完了する。
2023~2024年度は61歳、2025~2026年度は62歳、2027~2028年度は63歳、2029~2030年度は64歳、2031年度以降は65歳である。
この定年の延長は私立学校でも同様であるが、まだまだ60歳定年の学校も少なくなく、働きたいと思っても61歳以降は再雇用となるのが一般的だし、65歳以上ともなると学校なら非常勤講師となる。
そうした先生方のなかで、人生を考え副業(公立では難しいが)をしたり、退職後にどのような仕事をしようかと考えることもすくなくないであろう。
かくいう私は、49歳で退職して自分で仕事をするようになった。
そこで始めたのが「小論文と日本史の専門塾」である。
もうそろそろ始めて7年になる。
先日、はじめていらしゃった保護者の方はこのように話されていた。
「珍しい塾でどうなるかと何年も前から気にしていたが、ずっと続いているので話を聞いてみようと思いました」
そりゃそうであろう。
なんとも奇妙な塾である。
当時としては、「小論文専門塾」などは関東でも珍しかった。
またある名古屋市議の方は、なかなか政治家らしい方で、初対面で名刺を交換したときにぞんざいな口調で話された。
「こんな塾、続くわけないでしょ、無理にきまってるやろ」
これもある意味、正直な感想だろう。
教員を退職して、独立することは新たな挑戦としてとても楽しいことである。
ただ、リスクもあるし、できればそんな先生方にもぜひ成功してもらいたい。
そこで私なりに思うことは・・・。
まず平均的に教員はマナーが苦手だし、なんというか「頭が高い」。
むろんご本人はそう思っていないかもしれないが、世の中からみれば若い先生でも恐ろしく「頭が高い」し、年配ともなるとなかなかすごい「頭が高い」ケースが多くなる。
これが独立する際の最大のネックだ。
これを心底気を付けたい。
つぎに「お金」に苦手だ。
むろん経営的な能力も必要かもしれないが、どうも教員は「授業料」という対価で授業をしたり指導したりの意識が低い。
むろん公立学校でも、「税金」という対価で仕事をしている。
つまりは労働には対価が発生し、その価値は誰しもが同じではなく、価値がなければ対価は発生しない。
これを当たり前の感覚として持っていないと、たぶん成功はおぼつかない。
つぎは「過信」である。
例えば塾をする場合、数学の先生、英語の先生は、数学や英語を教えることに「自信」があるであろう。
それが「過信」だ。
なぜなら、学校は「過信」であっても生徒は教室にいるし、そこで教える側が改善を繰り返さなくても生徒はいるし、さらに生徒が熱心に取り組まなくても生徒の「怠け」であるとすれば、問題を解決できる。
しかし、独立して教えるとはそうではない。
いかに自分に「自信」があっても、他者から評価されなければ「過信」にすぎないからだ。
「過信」より、いつも「足りない」と思い続けるほうが良い。
最後が、批判的思考や、創造的思考、論理的思考を持つことだ。
当たり前や常識に縛られていては、独立してもなかなか競争に勝つことは難しい。
私の場合は、従来の、もしくは世の中での小論文や日本史指導の「常識」を根底から「疑う」ことから始めている。
だから「模倣」もないし、他者との「類似」もない指導を見出せる。
特に小論文・面接・志望理由書指導は、世の中のほとんどすべてと言っていいくらい、常識の「テンプレート」や「コツ」に頼り切っている。
だからこそ創造的な指導ができれば、大いにチャンスがある。
そのためには正しいこと、当たり前、常識を「疑う」能力、つまりは「批判的思考力」がもっとも大切である。
むろん、ここに書いたことは「塾」をやることに限らず、どのような新しい挑戦でも同じ事だ。
でもいつも新しいことをやることは楽しいし、それが仕事でもリカレントでも、さらには趣味でもきっと楽しい。
それを過去の経験や常識ばかりに捉われず、世の中にはこんな世界があるんだという気持ちで挑めば、きっとその先には素晴らしい世界が待っている。
それはあり得ないような経験や、驚くような出会いだ。
今の仕事に悩みや問題を抱えていて、ついつい下を向いて歩くようになっていたとしても、新しい挑戦は空を見上げることを学ぶ。
そしてきっと自分らしく生きることができるのではないだろうか。