これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

2017年12月1日 日本テレビ「スッキリ」

昨年まで
7年間
兵庫県の百合学院高等学校で、春休みに、日本史の受験対策講座を担当させていただいた。
とにかく伝えたかった



「覚えるしかない」
ではなくて
「日本史の勉強法」



生徒さんたちはいつもとても真面目で良い子たちばかりで、時に関西らしくお笑いで突っ込んでくれて、とっても楽しい7年間だった

先日、塾に問い合わせがあった。
「浪人していますが、日本史講座に入れますか」
もちろん大丈夫
遠方でのオンライン参加となった

そうお返事をして、しばらく話をすると
「私より百合学院で先生の授業を受けました」
なんと、この写真の中にいた誰かが遠く兵庫県から連絡をくれた。



ちょうど
日本史の夏季講習が始まったばかりのタイミングで、そちらにも参加してくれることになった。

1年に1度だけ
教員に戻らせてもらえる
この夏から、なんとなくその続きをさせてもらえる。

楽しいなぁ

教員をやってる時は、自分の存在が何であれ、教室に入れば生徒がいて、自分の力量や存在価値と関係なく授業をすることができた。

それが自分の力だとしばしば錯覚していた。


しかし、塾という世界に身を置くようになってから、生徒はいつもいるものではないという現実を知る。



自分の存在価値とは、指導を受けたいものがいてこそ、なり立つ。

時々、ネット上などで、良い授業をしているのに、生徒が集まらないのは集める仕組みがないからだ、そんな宣伝を見る。

いくら宣伝とは言え、舐めるなと言いたい。

集める仕組みはいくらあっても、評価や存在価値はゆるぎもしないのである。

つまり、価値がなければ、いくら集める仕組みがあっても、生徒は集まってはくれない。


7月もあと1週間。

今月も多くの生徒が増えて、それはそれで存在価値を確認できる。

もちろん、単に受験の道具として評価されている、そんなふうに感じることもある。

それはそれだ。


来週も月曜日から土曜日、朝から夜中近くまで予定がぎっしりだ。

新聞記事やニュースを送るLINEのグループの人数が日に日に増えていって、以前からいる生徒が驚く。

これはもしかすると道具としての評価かもしれないけど、でもやっぱり、人と人との関わりの中で、AIやテンプレートやマニュアルではない、対話をすることによる評価だと信じていきたい。


だんだんと、やってくる高校生と仲良くなり、単なる道具はなく年齢や立場を超えた関わりができるとうれしい。


彼らがどんな人間に育つのか、いつも30年後のことを考えながら対話をする。

30年後の彼らの姿を見ることを多分できない。

でも、きっと彼らが良い30年後の良き未来社会を作っていってくれる、そんなふうに信じていると、1日14時間、授業をして対話をしても、良い1日が終わったと感じることができる。


毎日暑い。

名古屋は40℃の世界。

そんな世界にいながら、毎日暑い中をやってきてくれる生徒たちと、人と人との話ができる日々に感謝している。






私は6人兄弟だ。

女性が3人、男性が3人、みんな名古屋市昭和区に生まれた。



今のこの地区にいるのは、もう私だけになり、海外に3人、日本の県外に2人。


私の父は、長野県の松本市で生まれ東京神楽坂で育った。

牛込の愛日小学校に通い、1941年12月8日、太平洋戦争が始まる前日に20歳になったなった。

多くの同級生の男子は戦争で命を落とし、同級生の女子も空襲で死んだ方がたくさんいる。

だから晩年まで、小学校の同窓会にずっと通っていた。


父は戦争に翻弄され、大学に入ったのは25歳、結婚したのは38、私は父が41歳の時の子供だ。

そんな私は

勉強しろとか

こんな仕事につけとか

大学に行けとか

父に言われることもなく、

自分のやりたいことを見つけたら、一生懸命を応援する父親だった。


戦争で、自分の好きなことができなかった亡くなった友人たちに、ずっと申し訳ないと感じていて、自分の子供たちが好きなことをやったら良いと言っていた。

それが勉強でなくてもいいし、もちろん大学に行かなくてもいいし、どんな成績を取ってきてもいいし、高校卒業してフリーターのように遊んでいた私に小言1つ言ったことがない。


だから、兄弟たちは、常識、当たり前に縛られることなく、自由にいろんなことに挑戦して生き、女性の3人は、みんな海外に行ってしまった。

今と時代と違って女性が大学に進学するのも10% 20%の時代だ。

でも、それが凄いのではなく、自分らしく生きることとを父は喜んでいた。


最近は少子化なので、6人兄弟なんてめったにいない。

その分だけ親が一生懸命子供の面倒を見て、手間ひまをかけて大切に育てる。

それはそれでとても良いことだ。


その中から自分らしく自分の道を見つけていったら良いと思う。

ただ、それでも、やっぱり、親の期待っていうのは大きくて、親の常識っていうのは、ときには子供を束縛する。

それだけではなく、子供のイニシアティブを奪い、当たり前や常識に強く縛る。

正解が大好きで、他者との違いを恐れ、比較で勝つことが全てになってしまう。

特に勉強はそのための道具だ。


父が私に言ってくれた言葉で忘れられないことがある

「そもそも勉強は楽しい」

「勉強は競争のためにするものじゃない」

そんなこと受け入れられない大人もたくさんいるし、そんなはずはないと考える教員もたくさんいる。

そりゃそうだろう。

それは理解できる。


父にとっては、私が中学卒業して働いていてもよかったし、自衛隊に入りたいなんて適当なことを言ったら、家に自衛隊の人を呼んでくれて、話を聞かせてくれたりする。

教員をやっていて、辛いなんて言うと、明日辞めて来いなんて軽々と言う。


何が正しいか、何か正解か、そういう事はあんまなくて、自分で考えて、自分のやりたいことを見つけて、それがダメな道だったら応援してやる、失敗したら応援してやる、そんなスタンスだった。


だから、父は大学教授で副学長だったけど、鈍感な私は何のプレッシャーもなく、妙な劣等感を持つこともなく、楽しくたくさん本を読んで、たくさん寝て、好きな歴史と遊んできた。


そんな父が亡くなって、もう14年

「そもそも勉強が楽しい」

ろくに勉強しなかった私が一生懸命にそんなことを高校生に伝え、今日も教える仕事をしている。

きっと、父はそんな私に笑いながら

「よかったな」

そんなふうに言ってくれる。





「まず筆者の考えに賛成か反対かを決める」

小論文を書く「コツ」で、洗える指導者からよく言われるアドバイスである。


さらに

「賛成の方が書きやすいぞ」

そのように指示される。

そうするとこのような書き出しになる。

「私は筆者の意見に賛成である」

その続きは

「なぜなら」

そして筆者の文章を引用して

最後は

「したがって私は筆者に賛成である」

これで完成

さらにアドバイスが3つある

1.字は綺麗に

2.誤字脱字はするな

3. 80%以上書け


これが、いわゆる小論文の書き方のコツ

つまり、2項対立だ。


この書き方には大きなメリットがある。

深く考えなくても、誰でも原稿用紙を埋めることができて、なんとなく、もっともらしくもなる。

何より、指導するのも、書くのも楽だし、添削で何とかなる。


一方で、大きな欠点もある。

小論文の問題とは

「あなたの考えを述べなさい」

であるが、これで書けば、基本みんな同じになる。


つまりは「正解」だ。

するとコツも「正解」になる。


正解はとても心地良いし、他者と異なることもないので不安感も小さいが、そもそも、自分の考えではない。

そうすると、

原稿用紙の「見栄え」を良くすることに力が注がれることになり、字はきれいに誤字脱字はせずに、最後まで埋めろになる。

「80%」も同じだ。

そもそも、そんな80%ルールがあるわけでは無いのだが、こういった正解があると、それにやはりすがりたくなるし、その通りやっとけば安心だし、見栄えも良くなる。


こうした能力に最も長けているのがAIだ。

だから、人間の添削以上に、AIの添削は、コツに対しては、極めて能力が高い。


もちろん、人間の添削も、正解に沿ってるか沿ってないかで判断をするので、やはり、コツがあったほうが添削しやすい。


そうすると、指導する側も、書く側も、やっぱりみんなコツに縋る。

仕方ないことであろう。



物事をより深く考え、問題の本質を探り、他者とは、異なった視点で、解決策を見出す。

個人的にはそちらの方がいいんじゃないかなと思う。

受験に、そんな能力はいらないと言われればそうかもしれないが、未来に向けて本当にコツで良いのかなって思う。


誰しも選択する権利がある。

どれが正しくて、どれが自分に適性があり、どの道を行くかは、全部自分次第だ。


当たり前や、常識を疑え


そう思うのであれば、コツを疑うことが、クリティカルへの道への最初の1歩だ。

その道の方がコツより困難な道だと思うけど、でも、きっと楽しい。


コツと思考


指導する人、受験をする人も、どれを選ぶかは自由だ。

ただ、世の中には、いろんな選択肢があって正解ばかりじゃないことも知っておいた方が良いと思う。

金沢は加賀百万石の城下町である。

名古屋ゆかりの前田利家が築いた城下町だ。

7月9日に、その金沢を訪れた。


北陸地方で最も大きな街であった金沢が、地方の衰退、少子化の中で、どのような姿を見せているのか。

富山方面から金沢市に入っていくと、金沢大学が見える。

金沢大学は、かつては金沢城近辺にあったが、移転しても何年になるのだろうか。

昔、訪問した時は新しく綺麗だったら、少し建物も疲れている印象。


金沢城や兼六園は、予想以上に多くの外国人観光客が訪れていて、特にヨーロッパ系の人たちが多い印象だった。


すぐ横のお店で、金沢のグルメをいただく。

なかなかお高い観光地価格だ。

街はきれいに整備され、今まで訪れてきた地方都市の中では、比較的良い状態であったと感じた。


夜はもう一つの目的である桑田佳祐さんのライブへ行く。

街の中心地から車で走ること20分。

石川県産業展示館4号館でのライブだ。

今回は、新しい経験と学びとしてCDのシリアルナンバーでチケットを確保してみた。

なるほど、こういう風にするのかと感心。


会場は7000人ほどのキャパであるが、駐車場が3500台分あり、金沢が車社会であることを表している。

駐車場で眺めていると、本当に様々な件の車のナンバーを見ることができる。

こうしたライブを誘致することができると、多くの他府県の人たちが金沢を訪問し、消費活動をする。

同時に、それは復興支援の小さいながらも1つとなり、桑田佳祐さんも、ライブの中で、復興支援を何度も訴えていた。

金沢市は、現代の日本の地方都市の典型かもしれない。

極端に衰退することもないが、やはり徐々に人口は減少し、インバウンドへの依存が強くなるかもしれない。


今回は日帰りをしたので、自宅に戻ったのが夜中の2時ごろ。

行きは東海環状自動車道、帰りは北陸道から名神高速で帰ってきた。

すべての道路がつながり、ずいぶんとインフラも便利になった印象だ。

こうしたインフラの整備は、地方都市を支えるものになるのか、それとも未来の負担になるのか、これからの政治が大きく問われるところであろう。

こうした街が50年後、金沢城が100年後の同じ姿を見せてくれることを心から願っている。