これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

2017年12月1日 日本テレビ「スッキリ」

もうすぐ夏休みもうすぐ夏休み。

総合型選抜の出願の開始まで2ヶ月を切った。

多くの受験生は、志望理由書を作ることに一生懸命だろう。そんな仕事を何十年としてきた私から少しだけアドバイス。



ます、確かにアドミッションポリシーは大事だ。

どうでもいいわけではない。

でも、最初に見るのはアドミッションポリシーではない。

アドミッションポリシーとは、その大学の建学の精神や教育の理念を基盤にして作られている。

つまりまずは建学の精神である。

例えば、愛知県の南山大学であれば、日本に2つしかないカトリックの総合大学であり

キリスト教主義

に基づいた教育を行っている。

そこからアドミッションポリシーが作られる。

という事は、キリスト教主義を理解しなければならないと言うことになる。

これはなんだろうか?

私は自分がたまたまカトリックなので、こういったことに敏感なのかもしれない。

でも、私のもとに来る南山志望の生徒さん達には、まずキリスト教の説明をする。

人によっては、この説明を無駄だと感じる人がいるであろう。

もっとコツやテンプレートを教えてくれと思う人がいるであろう。

それは1つの道だ。

それは、きっと私の指導とは相性が悪い。


だけど、総合型選抜とは大学と恋愛をしなければならない。つまり大学の本質を理解しなければ、表面的なものをいくら書いても、心を打つものにはならない。


2つ目が学問である。

一般入試は、自分の学問への意欲や興味、関心などは問われない。

正解を多く書くことができれば勝てる。

でも、総合型はそうではない。

「興味のある授業の名前が2つ書いとけ」

「進みたいゼミを選んどけ」

この程度は学問への興味関心とは言わない。

経営学であれば、ブランディングやマーケティングはどのようなものであるのか、また、その具体的な例として、例えば丸亀製麺のマーケティングやユニクロのブランディングを考えるべきであろう。

大学の先生とは、その学問領域に人生を捧げている人たちである。

その人たちが、小論文や面接を通じて、一緒に学問に取り組む仲間を探しているのが総合型だ。


3つ目があなただけの秘密だ。

なんだかちょっとわかりにくい。

これは決して人がわかるはずがないあなたの秘密

人生の経験や思い出、家族のこと、友人のこと、怪我をしたこと、どこかへ行ったこと、いろんなことがあるはずだ。

それを大学の建学の精神や学問領域と「接続」するのである。

なんだかとても難しそうに見えるが、今まで取り組んだ例を挙げると、

国際教養

南山大学

プリキュア

ショートカット

デヴィッド・ボウイ

多感

これらを接続して、壮大なストーリーを作った。


志望理由書とは、大学や学問へのラブレターだ。

テンプレートでみんなと同じようなラブレターをもらったら、あなたはときめきますか?


私は良い志望理由書とはときめくものだと思う。

参考になればと思う。



32年間の教員生活は、決して、満足のいくものでもなく、いつも足りないを自覚していた。


ただ、唯一

「他責」

で、物事を解決しようとは思わなかった。


学力が伸ばせないのも

保護者と良い関係が結べないのも

クラス運営がうまくいかない時も

すべては

「自責」


ワールドカップサッカーで日本代表がブラジルに敗れた後、堂安律選手がインタビューを受けていた。

最初の一言はこれだった。

「自分の力不足です」

くじ運が悪かったとか

怪我人が多かったとか

日程が不利だったとか

「他責」

にしなかった。

若いのに本当にかっこいい。


小さい頃から怠け者でダメな人間だったけど、教員になってからは、自分に一生懸命厳しくした。

小さい頃から、自分に厳しくなんかしたことなかったから、とってもそれが難しいことだったけど、満足したら成長できないとずっと思ってた。

だから、いつも

「足りない」



今は小論文、志望理由書指導をしてる

もちろん、教員をしてた時代も、ずっとずっと指導していて、35年くらいはやってる。

だからこそ、昔の指導した生徒さんたちには本当に申し訳ない。

自分の力が全然不十分で、良い指導したとは思えない。

テンプレートを使ってしまったこともあるし、2項対立で、コツのようなことをやったこともある。

でも、

「足りない」

そう思ってたからこそ、その指導を疑うことができて、自分の経験を否定し新しいものを少しでも創り出して、自分だけの世界を作ろうと努力し続けている。


「自分をそんなに否定しなくても、充分すごいです」

信頼する人から、そんなふうに言われる。

そんなふうに言っていただけると、照れくさいけど涙が出るほど嬉しい。

それでも、やっぱり自分はいつも

「足りない」

そう思って、努力して挑戦している方が自分らしい。

あんなにあんなに怠け者だったのに、人間はこんなふうに変わることができる。

中学や高校の友人、大学時代の私を知っている人から見たら驚くべき変化。

兄弟から見たら、もはや奇跡のような出来事。


高校生や中学生、小学生だって、たくさんたくさん怠けている人がいる。

親から見たら、ほんとに歯がゆい思いだろう。

でも

私だって変われた、みんな変われる。

良い人と出会い、良い経験をすれば、必ずみんな変われる。


私は、そんな出会いの1人になり、指導する中で、良い経験を贈る、そんな存在になりたい。

だから、いつも人生はずっと

「足りない」

でも

「希望が有る」

そしたら、人生に最後にありがとうって言える。


6月は良い季節だ。

人によっては、梅雨が苦手な人もいるかもしれないけど、6月は良い季節だ。

古い神社の苔は、1番美しい季節だし、何より、紫陽花が素敵だ

そんなことで、愛知県の形原温泉あじさいの里に行ってみた。



こうした新しい取り組みは、地域にとってとても大切だし、何よりも訪れている人が、若い人たちが圧倒的に多いのが印象的だ。

さらには、紫陽花もとても素敵なのだが、駐車場の数横の小さなお店で売っていたみたらし団子が絶品!

おばあさんがお孫さんと一緒に販売をしていて、何とも良い雰囲気❣️


私たちの国は少子高齢化が進んでいる。

でも、こうして新しい取り組みをして、おばあちゃんとお孫さんが一緒に楽しくお団子屋さんをやっている。

もちろん、このお店では、電子マネーなんか使えない。


AIの時代だけど、こうしたことに価値を見出せる新しい未来を見た気がする。

小学校や中学校の頃、勉強ができなかった。

正確に言えば、先生の話は、もはや日本語ではないほどだ。

だから私のところに学びに来てくれる現在の小学生や中学生の賢さには日々驚かされる。

小学生なのに、イラン情勢に興味があるとか言われると、かつての自分が小学生だった頃、そもそも、イランなんて国も知らなかったし、「情勢」なんて、全く未知の言葉だった。

中学生になっても、

「面白い」を「めんじろい」

「真面目」を「まめんめ」

なんで誤読しながら本を読んでいた。

でも本は楽しかった。

 

周囲の友達はみんな勉強ができた。

名古屋地区の方しかわからないことだが、仲の良い友達は、瑞陵高校、明和高校、千種高校なんかに進学していった。

それでも仲良く付き合ってくれた。

中学3年生になって、さらに成績が下がった私は、底辺の公立高校に進学し、そこでも、学年最下位の順位をとって、評定「1」が一度に7つもあったこともある。

 

自分が勉強できないことすら理解できなくて、あまり劣等感もなく、屈辱感もなく、悔しさもなく、1日12時間も寝ながらたくさん牛乳を飲んで、ビリー・ジョエルを聴いて、司馬遼太郎を読んで、日々を過ごしていた。

結果として、中学校まではとても小さな男の子だったけど、高校3年生のときには、身長が181センチ。

まさにウドの大木。

 

 

教員の世界とは、学歴大好き社会である。

学校とは勉強する場所であり、その勉強の成果を最も表すものが学歴だからであり、学歴が悪いものは、そもそも教員にはほとんどなれなれず、学歴大好き社会となる。

役に立たないウドの大木が間違って教員になり、学歴大好き社会に登場する。

きっと周りから見ると、恐ろしいバカやってきたと思ったであろう。

 

でも、実際のウドの大木は、自分がバカであることに気がついてないので、脳天気なものである。

変な発言をしても、周りは優しいから何も言わないだけで、心の中では、何をバカなこと言っているんだろうと思われていた。

小学生や中学生の時もずっと一緒で、変なことを言ったり、人を傷つけたりすることがあっても、それすら気づけない。

小学校の時に仲の良かったS君

中学校の時に仲の良かったA君

気が付けば話をしてくれなくなった。

兄弟に聞けば、きっと

「なかなか酷かったよね」

そんなふうに話してくれる。

 

そんな私が32年間も教員をやってしまい、今なお小論文や日本史なんかを教え続けている。

そこにやってくる生徒は子は、すごく勉強ができる子もいるし、とてつもなく賢い小学生や中学生もたくさんいる。

そういう子たちを見てると本当にすごいなぁって思う。

どうしたらこういう風に育つんだろうかと、保護者への方へも驚愕の世界だ。

 

私は暗記が苦手だ。

日本史なんて専門にしてるけど、人生で知識を覚えようと思って努力はした事は1度もないし、人の名前を覚えるのが苦手な教員だったし、今も昔もモノはなくすし、今日もベルトはちゃんと通ってないし、よく行く店の名前を一向に覚えられない。

新しい人と知り合うのは、小さい頃からずっと苦手だ。

今更ながら、学校の勉強に向いているわけがない。

 

人から評価されるっていうのは、実はすごいことなんだと思う。

ましてや、良い評価を得る事は、とてつもなく大変なことである。

例えば勉強やスポーツの評価は明確でわかりやすい。

 

でも、、、

人よりも優しい

笑顔が素敵だ

花火を見て未来を想像できる

いつも話を楽しそうに聞ける

外で遊ぶのが楽しい

虫をずっと見ている

大好きな人がいる

ひとつのことに深くこだわる

空と話せる

こういうのってもっと評価したほうがいい。

 

私たちの社会は、ちょっと勉強や偏差値の評価が高すぎて、私のようにそうした価値観にうまく適応できない人間は、評価が低くなる。

所属している学校の名前だけで、人格の評価につながったりすることもある。

それも当たり前だ。

 

 

私は相変わらず勉強さんとは相性が悪く、仲良くはなれない。

だからこそ、

勉強は競争のためじゃなく楽しいし、勉強は道端を歩いていてもできると思っているし、それを評価するのが、きっと総合型選抜だ。

 

「総合型選抜で逆転で難関大学に合格できます」

こんなキャッチフレーズを見たりするけど、それはちょっと違う。

逆転ではない。

評価の価値観の基準が全く違うだけだ。

特別なすごい経験がなくても、優しさや笑顔は立派な個性で、それが評価してもらえる時代がようやくやってきたような気がする。

 

こんな私が1つだけ、不思議な能力がある。

それは

全く関係のない10個のエピソードを1つのテーマでくくり

そこに壮大なストーリーを作り上げ人を感動させる

それを結構あっという間にできる。

 

いつからできるかわかならいが、なぜか得意だ。

もちろん、学校の勉強には全く役に立たない能力だけど、意外と人生を豊かに楽しくしてくれる。

 

いつもいつも何かが「足りない」、そんなふうに思ってるけど、想像したり考えたりする世界は

「希望が有る」

 

育ちすぎたウドの大木は、こんなふうに生きている。

 

 

 

 

 

 

 

不思議だなと思う。

なぜ疑問に思わないのだろうか?


志望理由書のテンプレを使い、アドミッションポリシーを見て写せ、書く順番が決まっている、そんなふうに指導したら、みんな同じ志望理由書になってしまう。

しかも、真似して書かせて後は集めて、添削するだけ。

相手の人間と対話しようともしない。

そして、こんな感じになってしまう。




愛知県のどの高校の生徒がやってきても、みんなこんなテンプレの指導を受けている。

なんでそんなに画一的にしたいのだろうか?

例外がない。

もしかしたら、テンプレがテンプレじゃないと思っているのだろうか?

個性や人間性を重視する総合型選抜なのに。


小論文を書くのに、学校で指導を受ける。

全てがワンパターンな2項対立だ。

1,まず筆者の考えに賛成か反対か決めなさい

2.賛成の方が書きやすいぞ

3.テンプレに従って書け

私は筆者の意見に賛成である

なぜなら、、(本文から写す)

従って、私は筆者の意見に賛成だ

あとは、

1.字はきれいに

2.誤字脱字はダメだぞ

3. 80%以上かけ

誰が80%なんて決めたのか?

これまたみんな同じになってしまう。


こうした指導をして、どうやって人間が育っていくのだろうか?

みんな正解やコツばかり。

これが教育と呼べるのだろうか?


やってくる高校生がいろんな学校に在籍しているのに、みんな同じ指導を受けている。

英語や数学ならまだわかる。

明確に正解があるものならわかる。


そうじゃないのに、どうしてそんなに画一的にしたいのか?

悲しいけれど、そうしたテンプレに何の疑問も感じないか、それはこれからの未来に、本当にそれで教育は良いのだろうか?


政治家の皆さんも同じだ。

授業料の無償化やAIを使うか使わないかとか、そんなことばかりで、教育の本質に全然踏み込もうとしていない。

まるでロボットを作ってるみたいだ。

確かに支配には便利だろう。


志望理由書も小論文も、テンプレがあって、書き方のコツがあるって、本気でそう思ってるのか?

それがおかしいんじゃないかって疑ったり考えようともしていない。

いや、それが正しいことだと思い込んでいるのかもしれない。


こんなことをまた、元教員が言うと、現職の先生たちから

「やめた人間が偉そうなこと言うな」

32年間も教員をしてきたけど、そういう人たちからは何のリスペクトもない。


この国の教育はどうなってしまうのか?

もっと学問を大切にして

疑問を大切にして

考える過程を尊重して、

個性や人間性を豊かにする

本気で教育に取り組もうよ


元教員が偉そうに言うことではないと思うけど、

せめて高校生や保護者の方は、こんなテンプレに惑わされず、本気で考えることを学んだ方が良い。

そもそも勉強は楽しいぞ!

心の底からそう思う。