これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

2017年12月1日 日本テレビ「スッキリ」

私の人生は負け続けだった。
小さい頃から
スポーツをしてたけどいつも負けるし
勉強だって、良い成績になったことなどない。
偶然のように、教員に慣れてしまったけど、教員世界とは一般社会の何倍も、学歴至上主義なので、やっぱり負け続けだ。
ただ、私の場合は、あんまり負けてることを認識する能力すらなかったので、それはそれで脳天気なものだった。
もちろん、あんまりその失敗を次に生かすことはできなかった。

人間社会は、様々な意味で競争社会だ。
何をしても順位はあるし、評価はある。
それ自体は、才能がある証であるし、努力だって認められるし、何よりも自己肯定感が高まる。

だだ、その長い間の努力が評価されないことであってある。
受験の結果ってその一つだろう。

でも、当たり前のことだけど、たくさん努力した事は無駄じゃないし、評価されないことから学ぶことだってたくさんあるし、だからこそ「失敗は成功のもと」なんて言うことわざが生まれる。

学校でも塾でも
受験指導がある。
学力の向上の責任がある。

教員をしている時から、一貫して

学力が伸びれば、生徒の努力
学力が伸びなければ、教員の責任

この姿勢をずっと守り続けている。
生徒の怠けや、カリキュラムの問題、設備が不足しているとか、入学者の学力差とか、指導時間が少ないとか、そういった他責にした事は無い。

それでもなお思うことがある。

指導していて、良い方向に導けなかった時、何を伝えたことになるのか?

ずっと思うことがある
それが
「最低でもGood Loser」

そうすれば、失敗したって成長してるし、きっと次の評価を勝ち取れることができる。
何より前を向ける。
それだけが、小さな小さな信念だ。

私のような努力を怠ってきた人間には、そんなすごい力はないし、誇るべき得てきた評価も多くは無い。

生きていくと、失敗は本当に多い。
負けることだって圧倒的だ。
高校の時は352人中352番だったこともあるし、通知表に7つ「1」がついたことがある。
大学なんて、11個不合格で、1個だけしか合格できなかった第12志望だ。
つまり、ずっと敗者。

だからこそ
Good Loserになるためには、どうしたらよいのかをずっと考えている。



人には、
優しさや思いやりがあって、
考えることや、想像することができ、
新しいものを創りだし、
社会の問題を解決して、
周囲の人々に感謝して、
恵まれない人々に対して手を差し伸べ、
人々を幸せにしたい
何かに貢献したい
そんな素敵な気持ちがある。

もし、受験に失敗しても
そんな気持ちを育てることができれば
きっと、その若い人は
Good Loserになる

怠け者だし
いい加減だし
成功経験は少ないし
そんなふうにしかひとを育てることはできないけど 
そんなふうにして、
私自身がGood Loserにまずなることが、
きっと「最低でもgood Loser」を育てることにつながると信じてる。

AIが進化している。

AIが進化し、より便利になると、

「AIに仕事を奪われるぞ」

そういった声がどんどんと教育現場でも大きくなる。

確かにそうかもしれない。


しかし、

例えばだが、

エルメスやコンラッドの接客を全てAIがするようになると、そこにお客さんは行くだろうか?

高いカバンを購入し、高い宿泊料金を払うだろうか?

つまり、そこにプロフェッショナルな接客がある前提を持てば、むしろ、人間の接客の方が高級になる可能性も十分にある。

今日のテーマはそこではない。


学校で何らかの宿題や課題が出ると、現代の高校生の多くは、AIを使う。

もちろん、社会人だってメールの返信や業務上の文章を作るときにAIを使うので、そういう意味では同じかもしれない。

それによって作業を効率化し、なおかつ良い評価を得る、それだけではなく、生産性が高まり自分の時間を持てるようになるかもしれない。

良いこともたくさんある。


一方で、

AIによって、いきなり弁護士の仕事が失われるわけではない。

最初は、有能な弁護士が、業務の一部をAIに託し、効率性を上げていくであろう。

本来は、その業務の一部と言うのは、若手の弁護士を雇用して行っていたかもしれない。

それがなくなるのである。

すると、若手の弁護士は「修行」の機会を得ることが困難となってしまう。

つまり、弁護士になったスタート時点から完成されていなければならない。

まさにスタートアップだ。



すると「修行」が学校になってしまう。

ところが、そこで考えることなく、AIを使ってレポートを作ってしまったり、AIを使って志望理由書を書いてしまえば、論理的思考を積み上げる「修行」の機会を失い、将来的な人材になれなくなる。

これがAIによって、仕事を奪われると言うことではないか。


私は今年、指導をすることで、様々な学校に通う50人の高校生に聞いてみた

「チャッピーを使って先生ちょろまかしてる?」


回答は、1人を除いて、全員がチャッピーを使っていた。


また、国立大学の医学部の生徒が答えた

「レポートはみんなAIです」


AIは便利だし、生産性を高める。

しかし、本当に「修行」の機会を無くして良いのだろうか。

AIを超えた人材になりたくないのかなとちょっとだけ心配になる。


そんなことで私は、生産性は低いけど、高校生と一生懸命に対話して、テンプレートも使わず志望理由書を作って、「伝える」と「学問」を目的とした論理的思考を育てるために小論文指導をしている。


なんだか、日本では、宗教に熱心って言うと、ちょっと怪しい人に見られたりもする。
ましてや、外国人で、イスラム教徒なんて言ったりすると、最初から怖い感情が立ったりする。

南山大学の総合型選抜を受験した生徒が、志望理由書にカトリックのことを勉強して書いたら
「宗教の事なんて書いたら、不合格になるぞ」
そんなふうに公立高校の先生から言われたそうだ。
カトリック大学に受験するのですら、そんな偏見を持たれる。
 
かくいう私はカトリックの「宗教2世」だ。
いわゆる幼児洗礼(生まれたときに洗礼を受ける)である。
 
両親とも熱心なカトリック信者であり、食事の前は家族でお祈りすのが当たり前の習慣だった。

こういう不思議な価値観は、カトリック学校に勤めるようになり、
したり顔で
「カトリック学校では・・・」
などと話す非信者の先生とは分かち合えたことがなく、周囲からは理解されない信者だった。
 
幼少の頃は、自分がカトリックであることをなんだか恥ずかしい気がして人に話すようなことでもなかったし、ましてや自分の洗礼名(フランシスコ 、ザビエルではない)を教えるなどは皆無であった。
 
中学生の頃にはすでに教会にいくことも少なくなり、高校以降はまったくの皆無となった。
そんな自分がろくに勉強もせず、カトリックである(これをコネという)ことを使い、うまいことにカトリック学校の教員となったが、
 
教会に入るときは服装を正せ!!!
カトリック学校の誇りを持て!!
 
などと真面目な顔をして生徒指導する非信者の先生には、やはりついていけない緩い緩い信者だった。
 
カトリックの信者の父は亡くなるとき、こう言った。
「何を悲しむことがある、あんな幸せな場所にいくだけじゃないか」

カトリックから1円も請求されたことも
何も売りつけられたこともなく、
名古屋市のカトリック大学に奉職し、
カトリック信者としての人生を終えた。

その息子はいまもまともに教会に行かないが、他の兄弟は、世界各地に住んで、真面目にカトリック信者をやっているらしい。
 
でもそれが理由でカトリックと縁も切れないし、カトリックの「信者2世」は、神社が好きで、寺巡りが趣味で、右翼ははやめたけど日本の歴史や文化が大好きだし、イスラム教にも興味津々である。

「信者2世」とは、仏教でもキリスト教でも本来こうあるものであると思う。

そう思えば、やたらとお金を請求する宗教団体は宗教じゃないし、それと付き合う政治家は、政治家としての良心や志がなく、とてもじゃないけど、支持できない。
そんなわけでクリスマスだけ教会に行く「2世信者」を今日もやっている。
なんだかちょっと誤解されてる。
もちろん、自分の投稿が良くないのだが、すべての政治家を私は嫌っている、そんなふうに誤解されている。
全然そんな事は無い。

私も尊敬する政治家がちゃんといる。
戦前の政治家である斉藤隆夫だ。



軍国主義が拡大する中で、
自分の政治信念を曲げず
国会議員から除名されようと
暗殺されそうになっても
決して自分の信念を曲げない。
軍部が恐ろしかった時代に
堂々と粛軍演説をした政治家だ。

そんな政治家は現代にいない?
そんな事は無い。
私が知らない人を含めて、立派な政治家は必ずいる。

私の塾がある名古屋市議さんにも立派な政治家がいる。
もう知り合って10年になる。
10年の間に4回だけ会い、しかも私の塾まで学びに来てくれて、
信念を持って颯爽と政治家を続けていらっしゃる。
心から尊敬できる政治家だ。
いつか、名古屋城でお会いできたらと思っている。

教員の方だってそうだ。
立派な方が本当にいらっしゃる。
尊敬すべき先生もいらっしゃって、常に新しいものに挑戦して、自分の苦労は気にせず、生徒との対話をすごく楽しんで、何より笑顔な素敵な先生だ。
私はそんな素敵な先生に兵庫県で出会った。

私はとてもじゃないけど、
魅力的な教員でもなかったし、
政治家になろうとしても、誰も投票なんかしてくれない。
偉そうなこと言っても、そんなもんだ。

でも、いつも
そんな尊敬すべき名古屋市議さんに
恥ずかしくない教育をしようと頑張ってる。
ジェンダー問題の解決にも少しでも役立ちたいし、子供たちの問題にどうしたら自分が役に立てるかといつも思う。
でも、そんな力もないし、行動力だって乏しい。

だから、立派な政治家や教育者を少しでも応援することで、その人たちが良い社会を作って下さることを願っている。

世の中には
そんな人たちとは真逆の政治家もいれば
何の変化もしなければ挑戦しない先生もいる。
それぞれの生き方は自由だ
その人たちの生き方も自由だ。

だけど、できることであれば、こんなふうにそう尊敬できる人と時間を共にして語り合いたい。

10年で4回だけ会っていただいた。
本当にためになる素晴らしい時間だった。
できることであれば
次の10年では
5回ほどはお会いしたいものだ。

昨年まで
7年間
兵庫県の百合学院高等学校で、春休みに、日本史の受験対策講座を担当させていただいた。
とにかく伝えたかった



「覚えるしかない」
ではなくて
「日本史の勉強法」



生徒さんたちはいつもとても真面目で良い子たちばかりで、時に関西らしくお笑いで突っ込んでくれて、とっても楽しい7年間だった

先日、塾に問い合わせがあった。
「浪人していますが、日本史講座に入れますか」
もちろん大丈夫
遠方でのオンライン参加となった

そうお返事をして、しばらく話をすると
「私より百合学院で先生の授業を受けました」
なんと、この写真の中にいた誰かが遠く兵庫県から連絡をくれた。



ちょうど
日本史の夏季講習が始まったばかりのタイミングで、そちらにも参加してくれることになった。

1年に1度だけ
教員に戻らせてもらえる
この夏から、なんとなくその続きをさせてもらえる。

楽しいなぁ