おから、豆腐、豆乳、野菜のお菓子
今日は、私がなぜ、料理に強い関心を持つようになったかと言うことを、少し書こうと思います。
その前に今日の一品。
はい、これは何の料理でしょう?
写真がわかりにくいですね・・・すみません
ヒント、珍しいものです。
とても大きい動物です。
ある地域では、今でもよく食べられていると思いますが、東京ではあまり見かけません・・・。
にいるけれど、ではない。
そうです。鯨(くじら)!のステーキです。
少しにんにくをきかせた甘辛いたれで、照り焼きにして、庭の木の芽を添えました。
この、鯨が、私が料理をするようになったきっかけと関係があるのです
私が料理に目覚めたのは、いろいろな理由が挙げられるのですが、
その大きな理由の1つが、私が小さい時からずっとかわいがってもらっていた鎌倉の叔母がとても料理上手だったことです。そして、そこに遊びに行くと、よく鯨のお刺身をごちそうに出してくれていたのでした。
伯父が遠洋漁業の会社にいた関係で、常に冷蔵庫には、珍しい鯨の生食用の肉や、立派なかになど、いろいろな食材が入っていました。
小学校低学年のころから、夏休みに泊まりに行くと、必ず鯨のお刺身を食べさせてもらいましたもちろん普通に食べられるようなものではなく、珍しい高級品だったと思います。そして、子どもながらにこれほどまで優しくされることはないと思うほど、楽しい思い出がたくさんありました。お風呂に入っているときに、「ここで食べるのがいちばんおいしいよ!」と叔母はいたずらっ子のような目をして、アイスクリームを持ってきてくれたり、昼間はテラスで(その頃はテラスから、遠くに海と江ノ島が見えました)リクライニングチェアを出してもらって昼寝をしたりと・・・だから、叔母の家に泊まりに行くのが大好きでした。
来客も多い家で、お正月など、50人ものお客様で入れ替わり立ち替わり大変で、そのために用意するおせち料理も大変なものだったと記憶しています。
その中で私がいちばん好きだったのが、栗の渋皮煮でした。
何樽分、叔母は作って保存しておいたのでしょうか?大変な量だったと思います。
大きな栗を丸のまま、しかも渋皮がついたまま、甘く柔らかく煮てあって、どうしてこんなにおいしいものが作れるのかと思う程でした。高校生の頃、どうしても作り方を知りたくなり、叔母に教えてもらったときに書いたメモは、私のレシピ帳に今でも大切に張ってあり、私の料理教室でも生徒さんにお教えしています。
その頃から、少しずつは料理やお菓子を家で作るようになりましたが、まさか、私が本を出すようになるとは、叔母も驚いていることでしょう。
叔母が亡くなってからもう20年以上経つのですが、その思い出は強烈に私の中に残っています。
叔母が書き残した多くのレシピを、いとこ(叔母の息子)のお嫁さんが、整理して私たちにプレゼントしてくれました。
その料理も、少しずつですが作ってみては、叔母のことを思い出しています。
いまでこそ、レシピの本も多く売られていますし、ネットでもいろいろ調べることができますが、少しレトロな、叔母が数十年前から書き貯めてきた直筆のレシピは、私にとって間違いなく大切な宝物なのです。いつか、これも皆さんに紹介できたらと思っています。
そして、美味しいものが好きで、食べることにとても関心のあった人たちに囲まれてきたことも、私が料理に目覚めた要因の1つでもあります。
両親や親戚、25歳のときに結婚した夫、夫の両親や親戚、友人たち・・・本当に恵まれた環境にいることができたと思います。
もう1つの大きな要因は、結婚後、イギリスとアメリカで約3年生活したことです。
世界各国の多くのものを食べることができたことに加え、珍しい食材に出会う楽しさ、日本で手に入るものがないことで編み出した工夫、子どもが生まれたことで食材の安全性や離乳食作り、アレルギーの問題に直面したことなど、色々な経験を積むことができました。
いろいろなところで、様々な美味しいものを食べてくることができたことを、本当にありがたいと思っています。そして、これからは、少しずつ、その経験や自分の思いが、誰かのお役に立てることができたら・・・と思って、今回の本作りに臨みました。
ちょっとでも著者のことをわかっていただけたらなんて思って、長く書いてしまいました
おから、豆腐、豆乳、野菜を使って、ヘルシーでおいしくて、見た目がおしゃれなものを紹介しています。あと、なるべく簡単にできるように、2つしか材料のいらないものや、市販の煮豆を使うようなレシピも多く載せてあります。
ぜひ、ご覧くださいね。
では、次回は、素敵なスタッフのご紹介をしたいと思います!
高橋 典子
その前に今日の一品。
はい、これは何の料理でしょう?
写真がわかりにくいですね・・・すみません
ヒント、珍しいものです。
とても大きい動物です。
ある地域では、今でもよく食べられていると思いますが、東京ではあまり見かけません・・・。
にいるけれど、ではない。
そうです。鯨(くじら)!のステーキです。
少しにんにくをきかせた甘辛いたれで、照り焼きにして、庭の木の芽を添えました。
この、鯨が、私が料理をするようになったきっかけと関係があるのです
私が料理に目覚めたのは、いろいろな理由が挙げられるのですが、
その大きな理由の1つが、私が小さい時からずっとかわいがってもらっていた鎌倉の叔母がとても料理上手だったことです。そして、そこに遊びに行くと、よく鯨のお刺身をごちそうに出してくれていたのでした。
伯父が遠洋漁業の会社にいた関係で、常に冷蔵庫には、珍しい鯨の生食用の肉や、立派なかになど、いろいろな食材が入っていました。
小学校低学年のころから、夏休みに泊まりに行くと、必ず鯨のお刺身を食べさせてもらいましたもちろん普通に食べられるようなものではなく、珍しい高級品だったと思います。そして、子どもながらにこれほどまで優しくされることはないと思うほど、楽しい思い出がたくさんありました。お風呂に入っているときに、「ここで食べるのがいちばんおいしいよ!」と叔母はいたずらっ子のような目をして、アイスクリームを持ってきてくれたり、昼間はテラスで(その頃はテラスから、遠くに海と江ノ島が見えました)リクライニングチェアを出してもらって昼寝をしたりと・・・だから、叔母の家に泊まりに行くのが大好きでした。
来客も多い家で、お正月など、50人ものお客様で入れ替わり立ち替わり大変で、そのために用意するおせち料理も大変なものだったと記憶しています。
その中で私がいちばん好きだったのが、栗の渋皮煮でした。
何樽分、叔母は作って保存しておいたのでしょうか?大変な量だったと思います。
大きな栗を丸のまま、しかも渋皮がついたまま、甘く柔らかく煮てあって、どうしてこんなにおいしいものが作れるのかと思う程でした。高校生の頃、どうしても作り方を知りたくなり、叔母に教えてもらったときに書いたメモは、私のレシピ帳に今でも大切に張ってあり、私の料理教室でも生徒さんにお教えしています。
その頃から、少しずつは料理やお菓子を家で作るようになりましたが、まさか、私が本を出すようになるとは、叔母も驚いていることでしょう。
叔母が亡くなってからもう20年以上経つのですが、その思い出は強烈に私の中に残っています。
叔母が書き残した多くのレシピを、いとこ(叔母の息子)のお嫁さんが、整理して私たちにプレゼントしてくれました。
その料理も、少しずつですが作ってみては、叔母のことを思い出しています。
いまでこそ、レシピの本も多く売られていますし、ネットでもいろいろ調べることができますが、少しレトロな、叔母が数十年前から書き貯めてきた直筆のレシピは、私にとって間違いなく大切な宝物なのです。いつか、これも皆さんに紹介できたらと思っています。
そして、美味しいものが好きで、食べることにとても関心のあった人たちに囲まれてきたことも、私が料理に目覚めた要因の1つでもあります。
両親や親戚、25歳のときに結婚した夫、夫の両親や親戚、友人たち・・・本当に恵まれた環境にいることができたと思います。
もう1つの大きな要因は、結婚後、イギリスとアメリカで約3年生活したことです。
世界各国の多くのものを食べることができたことに加え、珍しい食材に出会う楽しさ、日本で手に入るものがないことで編み出した工夫、子どもが生まれたことで食材の安全性や離乳食作り、アレルギーの問題に直面したことなど、色々な経験を積むことができました。
いろいろなところで、様々な美味しいものを食べてくることができたことを、本当にありがたいと思っています。そして、これからは、少しずつ、その経験や自分の思いが、誰かのお役に立てることができたら・・・と思って、今回の本作りに臨みました。
ちょっとでも著者のことをわかっていただけたらなんて思って、長く書いてしまいました
おから、豆腐、豆乳、野菜を使って、ヘルシーでおいしくて、見た目がおしゃれなものを紹介しています。あと、なるべく簡単にできるように、2つしか材料のいらないものや、市販の煮豆を使うようなレシピも多く載せてあります。
ぜひ、ご覧くださいね。
では、次回は、素敵なスタッフのご紹介をしたいと思います!
高橋 典子