我が家の姫君に微笑まれると、全て許してしまう。

そんな親ばかのりおです。


さて、そんな我が家の姫君。

実は、何かあると笑ってごまかすタイプらしい事が、近頃判明した。

「め~めだよ」と妻に注意されると、舌を小さく出して、「えへ~」と笑うのだ。

例えば、妻の髪の毛を掴んでひっぱったり。

例えば、妻の顔をつねってみたり。


昨夜は、お風呂上がりに私の脇の下をぎゅ~っと鷲掴み!

思わず

「いたたたたっ」

と、北斗神拳伝承者なみの高い声が出てしまった。


果たして、娘は「えへ~」と舌を出して笑ったのだ。

こちらの声色や態度で、何となくいけない事したかな?と自分で分かっているらしい。

そんな姿を見ると、賢い子や~♪と、親ばか登場である。


3才までは、命に関わる事以外はしからない。


テレビで誰かが言っていたのか、何かの本に書いてあったのか。

妻からそう聞いて、私も出来るだけそうしようと思った。


我が子だからなおさらだが、子供の笑顔は見ていて本当に心が安らぐ。

妻と娘の笑顔が絶えないように。

父ちゃんがんばるぜ!

な気分だ。


のりおのりお-rio1

少々びっくり顔の我が家の姫君である。

生まれた時からなぜか、頭髪がぴょんっと立っている。モヒカンと言うより、リーゼントのように。

ぱやぱやのベビーヘアーなのに、お風呂以外ではなぜか立っている。お風呂上がりに櫛を通すのだが、効き目は気休め程度。

ロックンロール?

ロカビリー?

不思議だ。


「怒っている子の髪の毛って、立ってるらしいよ」

と、妻がどこかから知識を仕入れてきた。

生まれながらにして、何か気に入らないのだろうか。


陣痛79時間。

促進剤を使っても出てこず、最後は切開&吸引。

妻の胎内がよほど居心地良かったのだろう。

「あたちは、まだゆっくりしていたかったのよ!」

と言いたかったのかも知れない。


病床の関係から、妊婦を一列に並んだベッドに寝かせ、次々に促進剤&切開で分娩する病院もあると聞いた。

産院減少の余波と言うには、大きすぎる波だろう。


何はともあれ、現在娘は順調。産後の肥立ちが悪かった妻も、まだ完全ではないが復活を果たした。


写っているのは、妻が一目惚れしたレッグウォーマー。

お散歩の時に足が冷えてはいけないからと、早速試し履きさせてみたのだが、どうやら姫君のお気に召さなかったらしい。


娘は、着ている服の言葉通り、我が家のプリンセス。

ぜひとも、ご機嫌麗しい花のような姫君に成長してもらいたい。

最近、寂しいという感情が芽生えたのだろうか。

ちょっとでも姿が見えなくなると、すぐに「ひゃ~」と、鼻にかけたような声で呼ぶ。特に妻の姿が見えないと覿面である。

一日中一緒にいるから、少しでも離れると不安になるのだろう。


寂しいとか、嬉しいとか、楽しいとかの感情。情緒という言葉もあるが、いったいどうやって培われていくのだろうか。

両親とのスキンシップや、話しかけが、子供の情緒を育てるのに、おおいに関係があると聞く。

数十年前、アメリカでは子供は泣いても放っておくのが、子供の自立を促すのに良いとされていたが、その後、情緒不安定な子供に、そのまま大人になったと、ある本で読んだ。

その為、今ではアメリカでも、泣いたらだっこする方が良いと変わってきているらしい。


私の回りでも、「抱き癖がつくから、泣いても放っておきなさい」と、年配の方から言われる事があるが、抱き癖ついても、「こうやってしがみついてくるのなんて、今だけだし」と、我が家ではだっこし放題だ。

娘がすぐに「ひゃ~」と呼ぶのはその為だろうか。


家の掃除も、ちょこっとやっては呼ばれ。

家事も、ちょこっとやっては呼ばれ。

正直、妻は何にも出来ない状態。それが毎日。休日には私も多少手助け出来るが、妻に休みはない。

それでも、笑顔でいてくれる妻には、感謝の言葉しか浮かばない。


いつか「一緒に歩かないでよね~」などと言われてしまう日が来るのだろうか。

それを思うと今しばらくは、「ひゃ~」と呼んでもらいたい。

父親としてはそう思ってしまうのだ。


間もなく6ヶ月。

娘の母乳生活が、終わりに近づいている。いよいよ離乳食の始まりだ。

WHO認定の、母乳育児推進の産院だった為、6ヶ月までは母乳のみ!である。


さて、その我が娘。

両親に似たのだろう。積極的に食べたがっている。

3ヶ月の頃、だっこしながらご飯を食べていると、自分も食べているみたいに口をぱくぱくさせていた。その時は、単に私の口に動きを真似していただけなのだろうが、最近は違う。

食べている姿を見ると、よだれを流しながら、物欲しそうに口をあむあむさせるのだ。

時には手を伸ばして、茶碗や箸に触れようとする。


先日母から聞いたのだが、私は離乳食を食べようとせず、食べたくないと逃げる私を追いかけて食べさせていたらしい。

もちろん、自称食いしん坊の私からは、想像もつかない。


昨夜も、煮込みうどんを食べる私を見つめては、一緒に口をあむあむさせていた。

「この子は食べるね~。誰に似たのやら」

そんな娘を見ながら、二人で言い合っている。


離乳食はアレルギーの心配もあるから、休日の昼間からが良いらしい。

カレンダーと相談し、冬至の21日から娘の離乳食を始める予定だ。

離乳食の本を揃えた妻はそれらの本を読みながら

「まずは十倍がゆから。他にもかぼちゃとかいろいろ作るの楽しみ~」

と張り切っている。


離乳食の練習にと、スプーンを口へ持って行くと、嬉しそうに舌を出す娘。

この様子なら、すぐにでもあむあむ食べてくれそうである。

娘が日々成長している。

最近は自分の足を掴む事が楽しいらしく、つま先を掴んでは「えへ~」と笑っている。

体がすっかり硬くなってしまった私には、とうてい出来ない芸当だ。自分の子供ながら、スゴイな~と思ってします。

実を言えば、私は小学生の頃から体が硬く、立位体前屈は常にマイナス記録。

妻からYOGAを教えてもらい多少は改善したが、まだまだのレベルである。


そんな娘がついに!と言うのだろうか。

気がついた時には、自身のつま先を食べていた。

もちろん

「けへ~」

と、ご機嫌である。

妻と二人で

「すごいね~」

と言えば、益々ニッコリして得意顔。

その笑顔に瞬殺される親ばか夫婦。


ものすごく汚れている訳でもないし、免疫つくかな?と思って、今のところは好きにさせている。

一時期の飛行機ごっこのように、そのうち飽きるだろう。

今の娘なら、YOGAのポーズも難なくこなしてしまうのだろうなぁ。

「父ちゃんみたいに硬い体になっちゃダメだよ」

そっとそう言い聞かせておいた。

娘の首が据わってから、お風呂に入れる事が、ぐっと楽になっている。

頭と体と両方を支える必要がないからだ。


そんな油断が、思わぬ失態を呼んだに違いない。


石けんへと目を移した隙に、娘の顔がお湯の中に!!

片手で支えている腕の中で、ちょこっと横にごろん。

寝返りが自在な娘には、何気ない動きだが、回りにあるのは布団やタオルではなく、お湯である。


あ!


娘をすぐさま持ち上げると、ほへ~とした表情で、何が起きたのか把握できていない。

無事だから良かったが、一歩間違えば、お湯の中へぼぢゃん!と落ちていただろう。

冷や汗ものである。


DIVE INTO 湯 あ! ぼぢゃん

・・・

・・・

・・・

DIVE INTO YOUR BODY(TMN)


あ~

SFショートの巨匠、横田順彌氏を気取ってみようとしたのだが、なかなか上手くはいかないようだ。

御粗末。

娘が歌っている。

完全な親ばかだろう。生後五ヶ月の子が歌うと言った話は、見た事も聞いた事もない。しかし、確かにそう思えるのだ。

車の中で聞いている曲だ。

LOVE COMMUNICATION

バラ色の日々

この2曲である。

もちろん、THE YELLOW MONKEY



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なぜこの2曲なのか、不思議である。自己編集のCDで、他の曲も入っているし、この二つは連続していないにもかかわらず、なぜかこの2曲の時には、「おうおう」と曲に会わせるように声を出すのだ。

吉井氏のファンである妻が、胎教代わりに聞いていた効果が現れてきたのかもしれない。


まだ妊娠が発覚する前。

吉井氏のライブへ行った。

ライブが始まると、妻はなぜか1曲目から「天使様が見える」状態で、どうにも調子がでなかったらしい。

隣にいた私はそんな事も気づかずに、ノリノリであった事は言うまでもない。

その後妊娠している事が分かった。そう、ライブの時には既に娘が宿っていたのだ。


娘のは将来は歌い手か。

そんな、親ばかな自分が好きだ。

ブログを初めて約一月半。

妻からのお下がりデジカメを使って、初めての画像アップである。

ご明察の通り、私はデジカメを所有していない。撮るのはもっぱら妻の役目である。


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写真は、ヒーターで暖をとる我が家のミニチュアダックスの姿。

毎回ヒーターの前で鼻がカピカピになっており、「ダメでしょ!」としかられるので、少々緊張した面持ちである。

もちろん、撮影後は速やかに別の場所へと移されたのは、言うまでもない。


画像が入ると俄然ブログっぽさが出た気がする。

初めての画像アップだったが、やってみると、思っていたより簡単であった。

もちろん、私のまだ知らぬ高度なテクニックは、数多ある事だろう。


先日のペタに続き、画像アップもして、これでワンランクアップ。

ドラクエで言うなら、「たけざお」から「こんぼう」へ装備品を変えた位だろう。

リムルダールで「はがねのつるぎ」を手にするのは、まだまだ先の話である。

のんびりとレベルアップしていくとしよう。

「富士山ってどうして富士山って名前なの?」
先日実家に帰った時に、富士山を実ながら妻が何気なく聞いた一言。
「不死とか、不二だったかな~。富士山資料館に行けば分かるかも知れない」
と答えておいたが、言われると気になる。


因みに、富士山資料館とは、地元小学校なら必ず遠足か社会科見学コースに入っている展示施設だ。周囲には溶岩がゴロゴロしている。

もちろん、小学生の時訪れた富士山資料館の記憶は、遙か彼方。今頃は、土星の輪の辺りに引っかかっているかも知れない。


改めて調べてみると、「ふじさん」と呼ぶ理由としては諸説ある。
斜面や垂れ下がりという古代日本語の「ふじ」が、「ふじ山(さん)」そのものだと思うのだが、他に、火を意味する朝鮮語の「ぷっと」「ぷる」、素晴らしいというマレー語の「ぷし」、アイヌ語で火の山を意味する「ふんち」「ぷし」、さらに、お椀をふせる「ふせ」も、その名の由来とされているらしい。


さて、富士山の呼び名である「ふじ」。

平安時代には既に、山部赤人の短歌で「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」と歌われているので、それ以前に成立したと考えるのが妥当だろう。
そう考えると、奈良時代以前にマレーやアイヌと交流があったとは考えにくいので、それらの言葉が影響したと言う説は、除外しても良いだろう。

それに対し、朝鮮からは仏教と共に、寺院建立の技師達も渡ってきている。言葉の影響を受けるなら、朝鮮の方が有力ではないだろうか。


ところで、当時の日本の中心は奈良・京都。

それをふまえると、富士山を目にするのは、圧倒的に西からである。そう、その姿があらわになるのは、由比以東。東名なら由比PAから富士インターまでの辺りだろう。

そこから目にする富士山の姿は、なだらかで大きな斜面が印象的だ。
それ故、私としては、斜面や垂れ下がりの「ふじ」が、最有力候補ではないかと思うのだ。


次に、「富士」の表記について。

こちらも名の由来と共に様々である。
奈良時代には「福慈」、万葉集には「不尽山」「不士能高嶺」「布二能嶺」とあるようで、「富士」表記は平安時代からだと言う。もちろん、「不死」や「不二」の表記も登場する。

特に「不死」表記については、以下の様な理由がある。


まずは、徐福伝説。

秦の始皇帝に、はるか東の海にある三神山に住む仙人、不老不死の薬を手に入れてくると行って船を出し、平原広沢に着いたという伝説だ。これはに、始皇帝の横暴な治世から、徐福をリーダーとして逃れてきた移民との説もある。

徐福のたどり着いた平原平沢の地は不明とされているが、徐福の子孫が秦(はた)氏となったとする伝説は、日本各地にあるし、徐福が神武天皇だとする逸話がある。


因みに、富士山は日本三霊山の一つだ。


もう一つは竹取物語。

物語中、かぐや姫が帝に残した品の一つに、不死の薬がある。物語ではそれを、駿河の国で一番高い山で焼くという件がある。その時の煙が、富士の噴煙だと。


また、竹取物語の舞台は奈良県広陵町が通説らしいが、富士市にもかぐや姫の伝説がある。富士市のバージョンでは、かぐや姫が帰るのは月でなく富士山頂になっていると言う。

浅間大社の主祭神、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)は富士のご神体と言われているが、江戸時代以前はかぐや姫が富士のご神体だったとも聞く。

さらには、富士からほど近い三保羽衣伝説の天女と、かぐや姫が同種とする見方がある。どちらも天女だと言うのだ。かぐや姫が帝に残した物に羽衣が含まれていた事が、その根拠であろう。


徐福にしろ、かぐや姫にしろ、どちらも(不老)不死の薬が出てくる。

私としては「不死の薬=富を得た者が望む品物」である事から、不死→富士に転じたのではないかと思う。


つまり、徐福一行が日本にたどり着き、不死の薬を持つ仙人の山としての下知識、あるいはかぐや姫が残した不死の薬と、古代日本語の「ふじ」が合わさった結果が「ふじ」ではないだろうか、と。


素人考えだからこそできる、俗説である。

が、そこに歴史物の面白さを感じる。


結局の所「富士山」の由来に未だ定説はない。
徳川埋蔵金みたいな物か。
子供の頃から身近だった富士山だが、意外と謎は多いようだ。

夕べ娘が大きな声で「まんまー」と言った。

それまでも「んまんまー」とは時々言っていたのだが、夕べのようなはっきりした「まんま」は初めてだ。

寝かしつけようとしていた矢先の出来事に、妻と二人大笑いした。


さて、「まんま」。

なぜ「まんま」と言ったのだろうか。私も妻も「まんま」という単語は使わないし、「まんま」が含まれる言葉も思いつかない。

一般的にはご飯の事を赤ちゃん用語で「まんま」と言うが、離乳食もまだの我が家では、「まんま」は使っていないのだ。


そう言えば、友人の子供は気がついたら父親を「パピィ」、母親を「母ちゃん」と呼んでいたと言う。「パパ」「ママ」にする予定だったらしく、どこで覚えたのか不思議がっていた。


ある本には、7ヶ月前後で赤ちゃん独自の呼び名をつけて、お話しすると書いてあった。

もしやその前触れなのだろうか。


赤ちゃんが言葉を獲得していく課程は、不思議である。