「富士山ってどうして富士山って名前なの?」
先日実家に帰った時に、富士山を実ながら妻が何気なく聞いた一言。
「不死とか、不二だったかな~。富士山資料館に行けば分かるかも知れない」
と答えておいたが、言われると気になる。
因みに、富士山資料館とは、地元小学校なら必ず遠足か社会科見学コースに入っている展示施設だ。周囲には溶岩がゴロゴロしている。
もちろん、小学生の時訪れた富士山資料館の記憶は、遙か彼方。今頃は、土星の輪の辺りに引っかかっているかも知れない。
改めて調べてみると、「ふじさん」と呼ぶ理由としては諸説ある。
斜面や垂れ下がりという古代日本語の「ふじ」が、「ふじ山(さん)」そのものだと思うのだが、他に、火を意味する朝鮮語の「ぷっと」「ぷる」、素晴らしいというマレー語の「ぷし」、アイヌ語で火の山を意味する「ふんち」「ぷし」、さらに、お椀をふせる「ふせ」も、その名の由来とされているらしい。
さて、富士山の呼び名である「ふじ」。
平安時代には既に、山部赤人の短歌で「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」と歌われているので、それ以前に成立したと考えるのが妥当だろう。
そう考えると、奈良時代以前にマレーやアイヌと交流があったとは考えにくいので、それらの言葉が影響したと言う説は、除外しても良いだろう。
それに対し、朝鮮からは仏教と共に、寺院建立の技師達も渡ってきている。言葉の影響を受けるなら、朝鮮の方が有力ではないだろうか。
ところで、当時の日本の中心は奈良・京都。
それをふまえると、富士山を目にするのは、圧倒的に西からである。そう、その姿があらわになるのは、由比以東。東名なら由比PAから富士インターまでの辺りだろう。
そこから目にする富士山の姿は、なだらかで大きな斜面が印象的だ。
それ故、私としては、斜面や垂れ下がりの「ふじ」が、最有力候補ではないかと思うのだ。
次に、「富士」の表記について。
こちらも名の由来と共に様々である。
奈良時代には「福慈」、万葉集には「不尽山」「不士能高嶺」「布二能嶺」とあるようで、「富士」表記は平安時代からだと言う。もちろん、「不死」や「不二」の表記も登場する。
特に「不死」表記については、以下の様な理由がある。
まずは、徐福伝説。
秦の始皇帝に、はるか東の海にある三神山に住む仙人、不老不死の薬を手に入れてくると行って船を出し、平原広沢に着いたという伝説だ。これはに、始皇帝の横暴な治世から、徐福をリーダーとして逃れてきた移民との説もある。
徐福のたどり着いた平原平沢の地は不明とされているが、徐福の子孫が秦(はた)氏となったとする伝説は、日本各地にあるし、徐福が神武天皇だとする逸話がある。
因みに、富士山は日本三霊山の一つだ。
もう一つは竹取物語。
物語中、かぐや姫が帝に残した品の一つに、不死の薬がある。物語ではそれを、駿河の国で一番高い山で焼くという件がある。その時の煙が、富士の噴煙だと。
また、竹取物語の舞台は奈良県広陵町が通説らしいが、富士市にもかぐや姫の伝説がある。富士市のバージョンでは、かぐや姫が帰るのは月でなく富士山頂になっていると言う。
浅間大社の主祭神、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)は富士のご神体と言われているが、江戸時代以前はかぐや姫が富士のご神体だったとも聞く。
さらには、富士からほど近い三保羽衣伝説の天女と、かぐや姫が同種とする見方がある。どちらも天女だと言うのだ。かぐや姫が帝に残した物に羽衣が含まれていた事が、その根拠であろう。
徐福にしろ、かぐや姫にしろ、どちらも(不老)不死の薬が出てくる。
私としては「不死の薬=富を得た者が望む品物」である事から、不死→富士に転じたのではないかと思う。
つまり、徐福一行が日本にたどり着き、不死の薬を持つ仙人の山としての下知識、あるいはかぐや姫が残した不死の薬と、古代日本語の「ふじ」が合わさった結果が「ふじ」ではないだろうか、と。
素人考えだからこそできる、俗説である。
が、そこに歴史物の面白さを感じる。
結局の所「富士山」の由来に未だ定説はない。
徳川埋蔵金みたいな物か。
子供の頃から身近だった富士山だが、意外と謎は多いようだ。