NG指令は難しい・アキラさんと息子④ | 野波ツナブログ

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「あの人の行動が変わる言い方・接し方事典」(講談社)
2024年6月27日発売!
どうぞよろしくお願いします。

このテーマは

現在進行形なこともあって、書くのがなかなか難しくて悩んでいます。

 

前回から少し時間が飛びますが、お許しください。

 

 

 

最近ひとつ、新たに気付いたのは

アキラさんは(自他を同一視する特性から)

他者の『その人個人の世界』をたやすく浸食しがちだということです。

 

 

↓これは「旦那さんはアスペルガー」第一巻(無印)のひとコマ。

 

「旦那さんはアスペルガー」コスミック出版 より

 

ここでは

自分のモノと他者のモノを同一視することについて

他者の「持ち物・人間関係・地位・立場」も自分のモノだと捉えると描きましたが、

そこに他者の「趣味嗜好」も付け加えたいと思います。

 

 

趣味嗜好や人間関係は、その人個人の世界を形成する重要なもの。

自分の心から自然に生まれて向かった「好み」と、

自分が取捨選択してきて交流している人たちとの関係。

 

それは「自分の世界」を形成する重要なファクターだと思います。

 

アキラさんの問題点は

そのファクターを共有しようとするのではなく、

自分のモノとして乗っ取ろうとしてしまうことです。

 

もちろん本人にはそんなつもりはなく、

自分と他者の区別がつかないからこそ

ごく自然にやっていることなのですが。

 

 

結婚当初からずっと、ちょくちょく見られた傾向で

私も何度となく困らされてきましたが

ここ数年これが顕著なのは、息子に対してです。

 

アキラさんにとって

息子は自分とニアリーイコールだし、

自分より下位の存在と(無意識で)認識しているので、

いっそう遠慮がなかったのでしょう。

 

例をあげると、

 息子の友人に上から目線でダメ出しをする。とか、

 息子の友人に、息子の知らないところで親しげに接触する。とか、

 息子が好きだと言ったミュージシャンのライブチケットを息子の分も取ってから知らせる。とか、

そういうことがよくありました。

 

2つ目の例は、「そんなに悪いこと?」と思われるかもしれません。

息子か、父親か、息子の友人か、誰の立場になるかで評価は分かれそうです。

 

3つ目の例にしても「良いことじゃない?」と言われるかもしれません。

自分が見つけて大切に感じていた事の主導権を取られる不愉快さというのは

された人にしかわからないことでしょう。

 

こうした時にモヤモヤしてしまう気持ちの正体は

「自分の世界に踏み入れられて我が物顔にされた」

という不快感なんだと思います。

 

 

アキラさんのこれらの行為について、

息子は不快ではあるものの

何が、なぜ、どういうふうに、不快なのか?

自分でもわからなくて、言葉にできず悩んでいました。

 

積み重なってしんどいとはいえ、

一つ一つは些細な事にも思えるからです。

 

だからその都度

「俺に聞かずにライブのチケットを取られても困る」とか

「俺がいない所で友達に接触しないで」とか

何度も伝えてはいたのですが、

アキラさんはNG指令が通りにくい

言葉以上の意味を汲み取れないので

絶妙にスキマをついて別の角度から来るんです。。。

 

 

息子は「父ちゃんは悪気はないからきつく言うと可哀想」と

ハッキリした拒絶は出来ず

アキラさんの行動を止めることができなくて

その結果、一時的にですが、カサンドラ状態になってしまいました。

 

「なんで父ちゃんはいくら言ってもわかってくれないの?」と。

 

さらには、友達からは「いいお父さんじゃん」と言われて

「他人に話してもわかってもらえない」という苦しみを味わってしまったのです。