ノムラセントラルステーションの -14ページ目

レッサーホースと私。

いよいよイベントまであと3日である。
ついにリストバンドまで届いてしまった。


私とレッサーホースについて今さら言うことなどない。


レッサーホースの経緯について、詳しくはhttp://www.geocities.jp/lesserhorse/profile.html をご覧いただきたい。

どうせなので、今回はレッサーホースの思い出に残るライブを挙げていこうと思う。


●2001.7月
 レッサーホース初ライブ。サークルの合宿の打ち上げライブにて。ガレージファンクバンド、ツーピースバンドとして立ち上げたものの、意外すぎる曲調、メンバーのサークルからの疎外感に襲われ、悲惨な立ち上がりとなる。



●2003.8/10 もちのき広場<Booby TRAP>
w/The Pumpkin Busters、sunset records、サイケデリック☆テレパティ、ヴァジッサ、CHOKO、キャットフラメンコダンサーズ、チビロクジャンボ、非常EXIT、Unlimited Broadcast
これまでは「所詮サークルのバンド」であったレッサーホースが「名古屋のバンド」として活動するようになった頃の思い出のライブ。ノムセンのニンさん、あきちゃんともこの頃から対バンするようになった。この3か月後、ハートランドスタジオにてsniper,meemer,ハネウエルビッチなどと対バンする機会があり、打ち上げの楽しさもやっと知っていった。



●2005.10/2 CLUB ROCK'N'ROLL 「JONNY PRESENTS [HOME PARTY vol.1]」
w/JONNY / 24 / THE VELVET MANTLES(大阪) / 竹内電気 / DJ:JIN-NO
JONNYのイベント。今考えるとすごいよね。しかも出順は竹電1番、24が2番。レッサーはトリ前だったもん。今なら考えられん。でも当時はそんなことどうでもよくて、JONNYとは本当に仲良くなれそうだと思えたライブだったね。



●2006. 3/20  CLUB ROCK'NROLL
w/ママスタジヲ(京都) / 酸素10倍(東京) / THE PYRAMID / Disco Down productions
野村が今の職に就いて初のライブ。職に就いたらライブなんて絶対できないと思っていただけにすごくうれしかったね。初のアンコールをもらえたのもこの日。ちなみにこのライブの2か月前に、コダマセントラルステーションと対バンしている。ノムラセントラルステーションは、グラハムではなく、コダマからパクっているのだ。



●2007.7/28(SAT) 四日市CLUB CHAOS WEENIE RADIO SHOP企画「カゼマチステーションvol.2 」  
     w/WEENIE RADIO SHOP/folt/Low relief/ザ・ブルースタイルバンド/
このライブは本当にひどかった…初のセントラルステーション名義での初ライブ!ニンさんとセージ君とのスリーピース。結果は惨敗。思い出したくないという意味では想い出深い。



●2008. 3/28(FRI) CLUB ROCK'N'ROLL 「レッサーホースのやるぜイベント!ノムラエクスプロージョン#1」
w/つしまみれ / モーモールルギャバン / ボラデラックス/ 明日、照らす
レッサーホース、初のイベント。イベント前まではひたすら緊張であったが、ふたを開けてみれば満員御礼のライブ。今でも親交の深いバンドばかり。本当に良いライブであった。



●2008. 5/24(SAT) CLUB ROCK'N'ROLL 「大宇宙博 7。」
w/ Boogie the マッハモータース / 不完全密室殺人 / カマキリバズノイズ / 懸垂線
楽しいイベントからわずか2カ月後、悲劇は起きた。ライブの3時間前、まさかのドラムから「すいません、今日は風邪で欠席します。」というメール。結局、ベース弾き語りでその場をしのいだ。個人的にはかなり面白かったけどね。



●2009/11/28 大須 OYS GRANCH presents「MUSIC POOL」
w/GRANCH / 帰宅録部 / CRUNCH / テレポテ / パノラマループ
GRANCHのイベント。今、親交の深いGRANCH、テレポテ、パノラマループ、nothingmanなどとのつながりができたのはこのイベントから。うるさいバンドの我々と、素敵なバンドさんたちがはたしてマッチするのか!?と思ったが、イベントが素晴らしすぎたわ。



●2010.10/23 コダマ'10。ゲリラステージにて出演
これは面白かった。ゲリラステージなのをいいことに、ひたすらメインステージをジャックしてやった。しまいにはワイヤレス搭載のベースを抱えて海にダイブ!海難ライブとして一部では伝説に残っている。ライブとは身体を張るもの、という私のスタンスを見せつけた1日。



●3/27 新栄 CLUB ROCK'N'ROLL 「ノムラエクスプロージョン」
w/明日、照らす / ブラウスミーポップ / オーバーテイク / ねこだく
これも忘れられない。プロポーズをする、と決めたものの喧嘩をし、全くその気がなくなったのに時間だけは過ぎていった。そして3.11に遭遇し、心中穏やかでない中でのイベント。終わってみればめでたくプロポーズ成功。



という、思い出深い10本のライブ。
他にもいろいろあるが、詳しくはhttp://www.geocities.jp/lesserhorse/pastlive.html を見て頂けたら幸いである。



それも日曜日で終わり。ぜひよかったら見届けていただきたい。



では。

+1バンドと私。

シークレットバンドはどこなのか。


これについての質問が一切ないのは若干さみしいところである。

情報が漏えいしているのか、それとも興味がないのか。


基本的に、当日のセッティングまで秘密である。

個人的には、セッティングも俺がやり、柴山社長がDJの終わりに「ではお待たせしました。シークレットバンドは…!!」と言ってくれることを期待している。


私の人生に大きく影響を与えたバンドである。

知らない人には「なんだこのバンド!?」となるだろうし、知ってる人には「えええっ!?」となるだろう。


当日をお楽しみに。


では。

柴山さんと私。

ONE BY ONEの柴山さんと知り合ったのは…いつだっただろうか。本当に覚えていない。ただ、気付けば明日、照らすやJONNYのライブのときに「よく見る人」というイメージであった。
たぶん柴山さんを柴山さんと認識し始めたのは、iGO、竹電、24の「僕は24時間電気屋さんに行く」の頃だろう。24や竹電は前々から知っていたが、iGOを知ったのはそこが初めてである。ONE BY ONEという名前を聞いたのもそこが初めてだと思う。それまではONE BY ONEはFOO FIGHTERSのアルバムの名前という認識だったので「フーファイ好きな人なのかなあ」と思っていた。

「人に名前を売るのは、打ち上げかライブで」が信条の私はなかなか柴山さんと話す機会がなかった。よくライブハウスで会うし、共通の知り合いもたくさんいる。でも面と向かって話せない。いわゆる話題がないというやつだ。自分の知り合いや気になるバンドがたくさん所属しているレーベルの人なので、いつか話したいなあと思いながらも話す機会は逃し続けた。

直接的な出会いは2009年だったか。忘れもしない10/4、岐阜のBRAVOでのiGOのレコ発。オーバーテイクの小松君にDJと道徳をやって欲しいと言われたときである。当然DJ機材も持ってなくどうするのかと思ったら、柴山さんも一緒であった。
軽く会釈。お互い、知っているはずなのに妙によそよそしい。
そしてイベント。
私の「道徳」が、珍しく大ヒット。レッサーホースのライブではお客さんの反応など全くないのに、なぜかお客さんが泣いて感動していた。
その後、初めて柴山さんから「よかったよ」と、声をかけてもらった。

うれしかった。

その一年後、
JONNYのレコ発でも道徳を行い、これまた傷痕を残した。その時は小説「塩狩峠」を題材とした話をしたが、そのイベント後柴山さんが「俺、塩狩峠買ったもん」と言ったのはうれしかった。

そうか。俺はこの人に認められたいんだ。

柴山さんという人は、意外に認めない人だと思う。だからこそ、ドライかつ情熱的にレーベル運営ができるのだろう。

だからこそ今回、呼びたかった。

今回、柴山さんにはアポロシアターのDJを担当していただく。

最初から盛り上げていくために素晴らしくてナイスチョイスな曲を聞かせてくれることだろう。

よろしくお願いします!

では。

iGOと私。

iGOを知ったのは意外にも最近である。曲を初めて聞いたのは「僕らは24時間電気屋さんに行く」の時である。


なので、付き合いとしてはそんなに古くない。むしろ、圧倒的に最近の付き合いである。


では、なぜ今回呼ぶことになったのか。




実は昔、私はFAKIE NOISE WATERというスカバンドをやっていた。ドラムとキーボードはEgoistic 4 Leavesの礼一と大揮である(本来なら彼らを呼ぼうと思ったが、結婚式の余興で演奏そうすることになり、大揮の家のスタジオで練習をした際、前日にライブが入っていたのを知ってやめたという経緯もある)。

そのフェイキ―メンバーの一人、見城君が、iGOの茜谷さんの後輩なのである。

見城くんはよく言っていた。「茜谷さんのやっていたバンド、JERK BEITは本当にすごいバンドだったんですよ。」と。




なので、茜谷さんのことを知ったのは、実はかなり古いのである。

そして私がもう一つやっているバンド、マイカー共済のボーカルであるヒゲ社長。この人が経営しているBAR付近にもよく出没するのが茜谷さんであり、私は、会ったことのない茜谷さんという人を妙に意識するようになって来ていた。




実際にはここ2,3年くらいでメンバーとも話すようになってきた。

一番心に打たれたのは舟橋君から聞いた話。詳しく言っていいのかよくわからんし、よく覚えていないのでさっくり言うと、前身バンドが終わって、途方に暮れていた、それでもなんとかiGOという新しいバンドを作り、そして社会人として自立をし、そして立派にCDを全国流通までさせている。という話。


まさに自分が現在置かれている解散という状況と同じだ。そしてあの人はそれを乗り切って今があるんだ。


これを聞き、いつかこの人と一緒にやらねば、と思ったのだ。そしてやれる機会は今回しかない。と思いオファーをした次第である。




先日、初めてiGOと打ち上げで一緒に飲んだ。いや本当に最高の人たちだった。昌吾君は底抜けに面白くて最高だし、フッキーは打ち上げではよく一緒になるが、やはりiGOと一緒だとその破壊力も増す。




iGOはロックンロールのトップを務めていただく。必ずやロックンロールをブチ上げてくれることであろう。




さらに!今回はサポートベーシストにヨウヘイコバヤシ(The キャンプ)が参加してくれる。茜谷さんが「舟橋が2ステージだとしんどいやろ」と気遣いをしてくださったことで決まったことだが、これは面白いことになった。

名古屋若手のバンドの中でも上がっているバンドの一つであるキャンプのベーシストがGOで弾くとは。


ロックンロール側のベーシストは舟橋、三宅、そしてヨウヘイコバヤシ。そこに私である。上がらないわけがない。


楽しみにしていてほしい。




では。

明日、照らすと私。

昔の私のテキストサイト、「nomoon's room」を見返している。ちょうどレッサーホースを始めたくらいから始めているので、古い記事で11年前のものもある。自分の中で噂のtwo fourを初めて見たライブは、2003年の6月のことであった。


そんな日記を見ているとどうやら2004年の10月にスパルタンXというバンドと対バンしているようである。



しかも俺はその日、自分のライブがよくなかったらしく、スパルタンXのライブを見ていないようなのである。

なんと失礼なやつだ。

しかしながら、昔のスパルタンXは青春パンク崩れのイメージ。私のツボとは少なからずズレがあった。


そんなスパルタンXのことが気になりだしたのはいつかのサンセットストリップでのライブの時。

後期ハスキングビーのような雰囲気を出し始めたボーカルのことを「なかなかいい曲作るなあ」と思い始めた。

今思えば、その曲は「浮雲」だったと思う。


そして彼らは改名をした。

「明日、照らす」


最初に聞いた時の率直な感想を言おう。


「変な名前」


某ライブハウスのブッキング、本多さんとも「なんであんな名前にしたんだろ?」

と話していたこともある。


しかし、現実的な話として、明日、照らすはどんどん自分のツボをついてきた。


決定的だったのは、友哉が姉の結婚式のために作ったという新曲を歌ったときである。

しかも、その曲を作ったにも関わらず、姉からのオファーはなかったという。

その曲名が「マリッジブルー」だったことは言うまでもない。


マリッジブルー以降の明日、照らすは本当に好きだ。


私のイベント「ノムラエクスプロージョン」に一番最初に声をかけたのも明日、照らすである。

ついでに言うと、ノムラエクスプロージョンに2回出たバンドは、明日、照らすとモーモールルギャバンだけである。


自分が結婚を意識しだしたときに聞いた「マリッジブルー」で不覚にも大泣きしたのは内緒。



友哉にはよく言っている。

「明日、照らすは金を払っても見に行きたいバンドの一つだ。」と。

それに対し友哉はよく言う。

「のむーんさん、その発言、めっちゃうれしかったんですけど、気づいたらいろんなバンドに所にいるじゃないですか!みんなに言ってるんじゃないですか?」と。


友哉よ、この際だから言っておく。

「お前にしか言っていない!」と。


俺が結婚するとき、絶対に友哉に歌ってほしかった。だから今回、呼んだ。

私自身、ひどいマリッジブルーに陥っていたので、当日もライブで聞きたいんだ。


友哉はいつも過剰なほど俺をたててくれる、いい後輩である。

伴はあまり前に出てこないが、彼とは実は接点が多い。

彼の勤務地が我が地元だったり、一番記憶に残っているのが、1回目のノムラエクスプロージョンのオファーの時、私は虫歯が悪化していてひどく苦しんでいたのだが、ロックンロールの前で伴に「たぶんそれは神経やられていますよ。俺も神経取りましたもん。歯の痛みは本当に最悪ですよね。気持ち分かりますよ。。」と言われたことだ。事実、その3日後に歯医者にて神経を削り取った。


そんな明日、照らすはアポロステージのトリを務めてもらう。

友哉、頼むぜ。


では。