GRANCHと私。
GRANCHとはロックンロールでの対バンで知り合った。
当時、私の知り合いの女性ミュージシャンはつしまみれなど、がっつり系の人が多かった。初めてGRANCHを見たときは「こんなゆるふわな人たちもバンドやってるんだ」という印象であった。そのときはドラムが今とは違う人で、かわいい女子3人といかつい男子というイメージであった。
その後、フライヤー配りなどでベースの三宅と話すようになった。
運命的な再開は2年前の11/28。GRANCHのイベントにレッサーホースを呼んでいただけたときである。
当時そこまで仲がよいというわけでもなかったのに、イベントに呼んでもらえた。
このイベントはレッサーとGRANCHというだけでなく私が名古屋のバンドとつながっていくための非常に大きな意味を持つイベントであった。このイベントがなければ、仲良くなることがなかったバンドがたくさんいる。
そのときに初対バンしたテレポテ。同じく対バンしたパノラマループ。GRANCHとの交流から知り合った里帰り。そしてGRANCHの後ろでドラムを叩いていたnothingmanの太田君。
本当にたくさんのつながりを作ってくれた。
そしてもう一つGRANCHに教えてもらったのは、社会人バンドとしてのスタンスである。バンドと生活を、彼女たちは実に上手く両立している。仕事をやることでバンド活動が抑制されてしまうとマイナス面ばかりを考えていた私にはとても前向きに見えたのである。
美和子ちゃんはとは去年の夏、舟橋くん、パリ本、なつきちゃんなどと一緒に浜辺で遊んだことは忘れられない思い出。
あっちゃんは会うたびにいつも話しかけてくれる。第一印象はあっちゃん派だったのは秘密。
三宅は大切な存在。友だちとしてもベーシストとしても素晴らしいやつである。
サポートでドラムを叩く太田君。彼がまた良い。控え目な普段の姿勢と、ボーカルを引き立たせるドラムプレイ。しかしながら決めるところではしっかり持っていく抜群のプレイスタイル。
そんなGRANCHはロックンロールの2番目に出演してくれる。i GO、JONNYの間に、一時の安らぎの時間をくれるだろう。
三宅よ。俺は「明け方、窓辺より」が聞きたい。
では。
palitextdestroyと私。
大学院時代、レッサーホースの活動は他大学のバンドとライブをすることが多くなった。その中でも仲良くなったのが、某大学の「よくばり毒いちご」なる女の子3ピースバンド。彼女らに何度かライブに誘っていただきライブをし、レッサーホースの知名度を地道に上げていった。かのように見えたが、現実は甘くなく残念な活動が続いていた。
そして2010年の寒い夜。私は舟橋孝裕とともに大丸ラーメンに行く機会があった。そのとき、我々の後ろに来た男たち。彼らの名は、河本(以下パリ本)と伊藤(以下いとま)。そう、パリテキである。
いとまは、今まで舟橋君の関わるバンドのサポートなどで結構見ていたので、けっこう話す機会もあったのだが、パリ本とはなかなか話す機会がなく、そのときがはじめましてに近い状態であり、初対面に弱い私は若干テンパっていたと思われる。
無事に大丸を食し、帰ろうとすると、二人はどうやら足がないらしい。うむ、ここは年上として送ってやらねば。私は送っていくことにした。
その車内での言葉が忘れられない。
「ぼくら、よくばり毒いちごの後輩で、よくレッサーホースのライブを見ていたんですよ。めちゃくちゃかっこよかったなあ。」
これは素直にうれしかった。今までやってきたことが無駄ではなかったと。
当時、DOPING PANDAのイベントに出たりと盛り上がりつつあるパリテキというバンドのやつらがそんな風に言ってくれるとは。
そんなパリテキであるが、実際にライブを見たのは意外や意外、2011年のクラブロックンロールが初めて。しかしながらドラムが変なゴムホースみたいなのを振りまわしながらライブがスタートするわ、キーボードは狂ってるわ、ギターも狂ってるわ、ラストはギタリストとキーボードが正面衝突するわでクソおもしろかった。しかも曲がかっこいいんだもんな。
パリテキはWノムラエクスプロージョンのアポロステージ、ノムセンの次をやってくれる。ノムセンがおそらく10人くらいにはなると思うので3分の1の人数だが、いつもながらの最高のライブを見せてくれることだろう。
では。
JONNYと私。
私が大学院に通っていたころ、大学の後輩のいくこさんを名古屋は伏見の「劇団四季」に送って行ったことがあった。
いくこさんはライオンキングを見に行くようで、私はようは足として使われていた。
さて、ライオンキングが終わるまでの2時間、何をしようか考えていたら、近くに当時よくお世話になっていたハートランドスタジオがあり、遊びに行くことに。
入ると、知り合いのスタッフが「見ていく?」と言ってくれたので、見ていくことに。なんと、ライブハウスに初めて出た「24-two four-」を見る機会となった。
そして、同じ対バンに、金髪の女の子が歌うバンドがあった・・・
そんなことを書き綴っていた、当時の私のテキストサイト「nomoon's room」。ここにはいろいろな思い出が詰まっていた。
私はスカバンドもやっていたので、そのことも書いていた。
大学のスカバンドに声をかけ、友達になろうと試みるも、失敗した思い出などもつづられている。
その、スカバンドのホームページから私のホームページにたどり着き、ひそかにずっと見続けていた男がいる。
彼の名は、「フナハシ」。
レッサーホースが名古屋のライブハウスに出ることになったのは大学のサークルのおかげであるが、仲良くしてくれたのはハートランドのPA、酒井さんや、ハネウエルビッチの人たちだった。
やっといろんなライブハウスに出ることができるようになってきたとき、東山のBLというところに出ることになった。
そこで出会ったギタリストの少年。
「二流文学」
という名前で活躍している子で、歌もギターも上手であった。
ハネウエルビッチに憧れて名古屋に上京した彼だが、バンドでまだ活動ができず、ソロでギターを弾いているようであった。冗談で
「レッサーホースに入ってよ。」
と言ったら、
「入りたいです!」
と、答えてくれてうれしかった。
彼の本名は、「シノダ」
JONNYとの出会いは、偶然なようで必然であったのだ。
たぶんライブで対バンして仲良くなったのだろうが、出会いも相当古く、全く覚えていない。
しかしながら、JONNY以前にメンバーと出会っていることはまさに運命なのだろう。
みおちゃんはたぶんお互いを尊敬しあい、逆に「あいつがああだから自分も大丈夫だろう」という安心できる関係であろう。
篠田君は本当に天才だ。彼がJUDY AND MARYのTAKUYAと対バンしてから、一気に彼の才能が開花した気がする。
フナハシ君は、あれはすごい後輩であり、尊敬するベーシストであり、ライバルでもある。そして俺は彼のためにも負けるわけにはいかない。
レッサーホースが「旧友」と呼べる、現在でも活動するバンド、JONNY。
かつてPOP STARのコーラスに参加させていただいたり、JONNYのライブの最後では、フナハシ君とベースのバトンリレーからの乱入も数知れず。
野外フェス「KODAMA'10」では、JONNYのステージの最後に乱入し、コダマをゲリラすると高らかに宣言。ゲリラステージでの暴挙は一部では伝説と化しているとかいないとか。
JONNYとの思い出は数えきれない。マジで好きだ。だから今回、出演していただくのだ。
2/19ではレッサーホースの前を務めていただく。
よろしく。である。
では。
レッサーホース、次回がラストライブ。
漫画はたくさんあるし、ファミコンはたくさんあるしで果たしてここはライブバーなのか、店長であるゴウ君の家なのかよくわからないほどである。それほどまでに居心地のよいハコであった。
レッサーホースのライブも残り二回。
どーーーん!
と、やって終わったよ。
対バンはsairaっていう四日市のカフェが似合いそうなバンド。素敵。
そしてさよならパリス。
友哉は相変わらず最高だった。パリス北野はそれに負けず最高だった。ベースで一曲参加させてもらったが、本当に好きだわ。
ということでレッサーホース残りのライブは1回。
レッサーホースとして、通算150回ほどライブをしてきたようだが、いよいよラストか。
なんかレッサーの思い出でもいろいろ思い出したら書こうと思ったが見事に何もなく、とにかく眠いので寝る。また思い出したら書きます。
では。