JONNYと私。 | ノムラセントラルステーションの

JONNYと私。

私が大学院に通っていたころ、大学の後輩のいくこさんを名古屋は伏見の「劇団四季」に送って行ったことがあった。

いくこさんはライオンキングを見に行くようで、私はようは足として使われていた。


さて、ライオンキングが終わるまでの2時間、何をしようか考えていたら、近くに当時よくお世話になっていたハートランドスタジオがあり、遊びに行くことに。


入ると、知り合いのスタッフが「見ていく?」と言ってくれたので、見ていくことに。なんと、ライブハウスに初めて出た「24-two four-」を見る機会となった。


そして、同じ対バンに、金髪の女の子が歌うバンドがあった・・・





そんなことを書き綴っていた、当時の私のテキストサイト「nomoon's room」。ここにはいろいろな思い出が詰まっていた。

私はスカバンドもやっていたので、そのことも書いていた。

大学のスカバンドに声をかけ、友達になろうと試みるも、失敗した思い出などもつづられている。

その、スカバンドのホームページから私のホームページにたどり着き、ひそかにずっと見続けていた男がいる。

彼の名は、「フナハシ」。






レッサーホースが名古屋のライブハウスに出ることになったのは大学のサークルのおかげであるが、仲良くしてくれたのはハートランドのPA、酒井さんや、ハネウエルビッチの人たちだった。

やっといろんなライブハウスに出ることができるようになってきたとき、東山のBLというところに出ることになった。

そこで出会ったギタリストの少年。


「二流文学」


という名前で活躍している子で、歌もギターも上手であった。

ハネウエルビッチに憧れて名古屋に上京した彼だが、バンドでまだ活動ができず、ソロでギターを弾いているようであった。冗談で

「レッサーホースに入ってよ。」

と言ったら、

「入りたいです!」

と、答えてくれてうれしかった。

彼の本名は、「シノダ」






JONNYとの出会いは、偶然なようで必然であったのだ。

たぶんライブで対バンして仲良くなったのだろうが、出会いも相当古く、全く覚えていない。

しかしながら、JONNY以前にメンバーと出会っていることはまさに運命なのだろう。



みおちゃんはたぶんお互いを尊敬しあい、逆に「あいつがああだから自分も大丈夫だろう」という安心できる関係であろう。

篠田君は本当に天才だ。彼がJUDY AND MARYのTAKUYAと対バンしてから、一気に彼の才能が開花した気がする。

フナハシ君は、あれはすごい後輩であり、尊敬するベーシストであり、ライバルでもある。そして俺は彼のためにも負けるわけにはいかない。



レッサーホースが「旧友」と呼べる、現在でも活動するバンド、JONNY。

かつてPOP STARのコーラスに参加させていただいたり、JONNYのライブの最後では、フナハシ君とベースのバトンリレーからの乱入も数知れず。

野外フェス「KODAMA'10」では、JONNYのステージの最後に乱入し、コダマをゲリラすると高らかに宣言。ゲリラステージでの暴挙は一部では伝説と化しているとかいないとか。


JONNYとの思い出は数えきれない。マジで好きだ。だから今回、出演していただくのだ。


2/19ではレッサーホースの前を務めていただく。


よろしく。である。


では。