そのまんまのご自身に

ありがとう〜と笑顔になれる

四柱推命セラピストの岩﨑 伸子ですニコニコ




昨日の部活の打ち上げで後輩達から、

そしてその後 会ったクラスの友達からも

山ほどお菓子をもらって帰ってきた上の子。




今朝は近所のママ友が子ども経由で

お餞別〜と手作りのプレゼントを

持ってきてくれた。




そのうち書いていくけれど、

別居する時から先生や市の職員さんや友人達に

どれだけ助けてもらってありがたかったか。




彼女の卒業と引っ越しのおかげで

それを思い出しつつ、

その方達と交流する日々になっています照れ


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これまでのMy STORYんこってどんな人?

まとめ記事はこちらです。

 

  My STORY 1〜15

  My STORY 16〜30、番外編1〜2

  My STORY 31〜46


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↑詳しくお知りになりたい方は
My STORY 59をお読みください。



うちの子ども達は
部活がある小学校に通っていた。



だから近所に入部している
年上の遊び友達が何人もいて、
自然にどの部活に行こうかな?と
考えるようになったみたい。



上の子は3年生から
「吹奏楽部」、
下の子は1年生から
プレ「サッカー部」に
入っていた。



部活は放課後だけじゃなく
週3回は朝練もあるので、
幼稚園の時は7時にのんびり
起きられていたけれど。



その時間には学校に
着いていなくちゃ、で
3年生からは2人とも
6時前には起きて
40分には家を出ていた。



近所に吹部の子や
サッカー部の子が割といたので 
その子達と一緒に行っていたなぁ。



吹奏楽の方は親の出番は
コンクールと定期演奏会の
車出しぐらいで
ほとんどなかったけれど。



サッカー部は
3年生で部員になったら、
週末の遠征なら車出しや応援、
ホームならお茶出しや
お弁当など当番があったり。


それがなくても様子を見がてら
グランドに顔を出していた。



そのおかげで
幼稚園が一緒の子は少なかったけど、
他の人と知り合うキッカケになった。



ただ家の中では、
小学生になってから
夫の下の子への風当たりはどんどん
キツくなっていた。



一貫性がなくて彼の気分で、なので
今日は大丈夫な事でも
別の日だと
「なんだコレは!!」となったり。



私がいる時はフォローできるけど、
たまにいない時に起きる事もあった。



帰宅してから子ども達2人が
話してくれるけど、
下の子は大抵ベソベソと泣いていて
聞きながら、そんな目に合わせて
申し訳ないという気持ちで
いっぱいになっていた。



子どもに八つ当たりしないで!
暴力と同じぐらいの酷い言葉を
下の子だけに言わないで!と
頑張って意見した事もあったけれど。



その直後に
下の子への当たりが
キツくなるので、
夫を不機嫌にしないように、
怒らせないように
気を遣うようになっていった。



そしてだんだん
子ども達と夫だけにならないように、
帰宅時間を考えて動くようになった。



下の子は もともと屈託がなくて
お茶目でおおらかな子だったから。



いわれのない酷い事を言われて
グズグズ泣いても、
たまに手を出されて
痛い目に合っても、

翌日にはケロリとしていて
本人も私も 
それに助けられていたと思う。



その後、夫の休日に
留守はできない、と
思うようになった出来事は
また次回に。



おつき合いくださって
ありがとうございました。



いま思うと、、

周りの子達に比べて
小柄な下の子にしていた事は、
元夫を許せた今でも 私には
弱いものイジメのようにしか思えない。



彼は当時、男の子に必要な「しつけ」と
言いきっていたけど。



言い合いになると、彼は自分のは「しつけ」で
私が甘すぎる、と言われていた。



1対1で話していると、キッパリ言われると
「え、私が甘いの⁉️そうなのかな、、」と
混乱したりもした。



そして当時は「ケンカ」していたと
思っていたけれど、
今振り返ると これぐらいなら
大丈夫かな、、と彼の顔色を見ながら
言っていた。



「怒る」に蓋していただけあって
全然イカってなんていなかったガーン



「今」の私なら全力で怒って
ケンカするのになぁ、、。



そうじゃないなら
前に書いたみたいに
自分にとって大切な子どもに
そんな事をされたら 悲しくて辛い、、と気持ちを伝えたら 
違っていたんだろうなぁ〜。