そのまんまのご自身に

ありがとう〜と笑顔になれる

四柱推命セラピストの岩﨑 伸子ですニコニコ




今日は上の子の定期演奏会。

先週、土曜日の直前リハの終わりに

泣く子がいたら、親の私達も

もらい泣きしてしまっていた。




本番の今日は、どうなるのかな。

 

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これまでのMy STORYのんこってどんな人?

まとめ記事はこちらです。

 

  My STORY 1〜15

  My STORY 16〜30、番外編1〜2

  My STORY 31〜46

  My STORY 47〜53


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↑詳しくお知りになりたい方は
 こちらをお読みください。



酔っていたとはいっても
帰省で下の子に蹴ろうとしたのを見てからは、
夫を不機嫌にしないように
怒らせないように、と気を遣うようになった。



でもその頃は 下の子も小さいから
私が近くに行かないようにさせられたし
2〜3ヶ月に一度
下の子に怒鳴るぐらいだった。



それよりも
早く幼稚園に行きたい、といって
年少さんから通いだした上の子の
時々起こす 癇癪に手を焼いた。



幼稚園は
バスに乗って通っていたけれど、
行きはニコニコ バスに乗るのに
ナゼか帰りにバスの扉に張り付いて
降りない!とギャーと泣くことがあった。



お迎えの時間は下の子が
寝ている時が多くておんぶで。



上の子をバスのドアからはがして
ヤダヤダ帰らない〜と体をそらしてる所を
抱っこで連れてかえったり。



お母さんが後ろむきで
歩いてくれなきゃダメ〜〜!と
ジタバタするのを 
なだめようと後ろ向きになって歩いたり。



幼稚園で疲れて帰ってきたから
そうなるのは分かるけど、
園バスのバス停から家まで
1分の距離が遠く感じる日が多かった。



入園してからふた月ぐらいは
そんな感じでお迎えの時間が憂鬱だった。



でもある日 熱が出て風邪かな?と
病院に連れて行ったら
聴診器を胸に当てた先生が
「レントゲンを撮ろう。」と。



撮り終わって もう一度診察室に呼ばれたら、
「やっぱり肺炎になってるわ。
うちは個人で入院は無理だから、
大きな総合病院に行って。紹介するから」
と言われた。



下の子をおんぶしたまま、
隣の市の大学病院まで行った。



でも救急車で行った訳じゃないから
受付のあと 何時間も待たされて。



ようやく 呼ばれたら、
検査をいくつかするのに検査ごとに
また待たされて。



でも時間が経つほど 上の子がグッタリしてきて
ハラハラおろおろしていた。



血液、レントゲンなど検査の結果が
出たらやっぱり「肺炎」で、
白血球の数が異様に増えていて
即入院、と言われた。



入院棟に行ったら、下の子は入れないと
看護師さんに預かられて
ベッドで点滴をしながら説明してくれる
先生の横で話を聞いていた。



最後にキッパリと「うちの病院は
完全看護だから 泊まりの看病はできませんので」と
言われた最後の言葉で我に返った。



今まで4年間離れた事がないのに、
こんな弱っている状態で置いて帰るなんて
イヤだった。



それを言いたかったけど、その時病室に来た
看護師さんにも同じことを話されて。



言いたかった言葉は飲み込んだ。



点滴をしたら、グッタリしていた上の子が
少し話せるぐらいになってホッとした。



ただ私が帰るのも
しっかり分かるようになっていて、
病室から出る時、
「行かないで〜、帰っちゃイヤだ〜〜」と
叫びながら泣かれて。



それが身をちぎられるぐらい辛かった。



下の子はおんぶ紐だと
大人しくしてくれる子だったから
看護師さんに大人しくおんぶされていたのが
救いだったなぁ。



この後のことは また次回に。



おつき合い頂いて
ありがとうございました。



今思うと、、


上の子が泣いた時の事を書きながら、
あの時 肺炎になったのは私のせいだ、や
置いて帰るなんてひどい事になったのも、、と
上の子に対して ものすごく罪悪感を感じていた。



家まで帰る時にも泣きながら運転したのも
思い出すと。



その時、家に帰るまで
大人しく眠ってくれていた下の子の存在に
とても救われていたんだなぁ。