2024初観能は佐藤陽師と成田寛人師の凱旋公演 | この辺りの見所の者

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2024/1/13

日本全国 能楽キャラバン!in北秋田

喜多流新春特別公演


秋田市の土崎アパートから在来線に乗って1時間強で鷹の巣駅到着。


天気は晴れ。2024初観能に相応しい天気。鷹の巣駅から徒歩5分で北秋田市文化会館到着。


全席自由席で会場で整理券配布。自分は37番と悪くない。

かぶりつきの揚幕寄りの席を確保。



秋田県出身の能楽師は、おそらく現時点は2人。

シテ方喜多流の佐藤陽師と笛方一噌流の成田寛人師。成田寛人師とは自分が東京在住の時に近所でたまに笛の音が聞こえてきた思い出がある。秋田駅小坂町出身だったとは公演終了後の地元紙の記事を読むまで知らなかった。


北鹿新聞1/14日。


シテ方喜多流の佐藤陽師は大館市出身。佐藤陽師と成田寛人師のある意味凱旋公演と言ってもよいだろう。佐藤陽師は一昨年、道成寺披キを観能。

その時の観能記↓




挨拶/佐藤陽師

解説/塩津圭介師


能〈羽衣 舞込〉

シテ/粟谷浩之

ワキ/大日方 寛

笛/成田寛人

小鼓/飯冨孔明

大鼓/佃 良太郎

太鼓/小寺真佐人

地謡/地頭・大村 定/友枝雄人、金子敬一郎、内田成信(後列)大島輝久、友枝真也、谷 友矩、髙林昌司(前列)

後見/友枝昭世、佐々木多門




狂言〈舟ふな〉

シテ/石田幸雄

アド/高野和憲

後見/飯田 豪


休憩


仕舞〈田村キリ〉

シテ/友枝昭世

地謡/地頭・友枝雄人、金子敬一郎、内田成信、友枝真也


能〈土蜘蛛〉

シテ/佐藤陽

シテツレ源頼光・粟谷充雄、/胡蝶・塩津圭介/太刀持・佐藤寛泰

ワキ/大日方 寛

ワキツレ/御厨誠吾、野口琢弘

アイ/飯田 豪

笛/成田寛人

小鼓/飯冨孔明

大鼓/佃 良太郎

太鼓/小寺真佐人

地謡/地頭・狩野了一/友枝雄人、金子敬一郎、内田成信(後列)

佐々木多門、友枝真也、谷 友矩、金子龍晟

後見/大島輝久、狩野祐一


附祝言/高砂キリ


最初に舞台に佐藤陽師が登場して挨拶。


解説は塩津圭介師。能の解説って、ありきたりの話で眠くなるのが大半なんですが、塩津圭介師の解説は、見所(観客席)に対して自由で良い。舞台から感じる空間を絵を描くように観るのがおすすめと仰っている。これは初めて能を観る人にとって敷居をかなり下げてくれる。こう観なければいけないのでなく、自らで舞台の絵を感じて描くように観る。能は、いろんな視点から角度から観ても何かしらは感じれると思う。眠くなって来ても、眠くなってきた絵が描かれているのだから。


土蜘蛛について、土蜘蛛は果たして悪なのだろうか。視点を変えて観ると違ってくるのではと言っていた。東北は昔は蝦夷と言われた。北秋田市で土蜘蛛が上演されるのは深い意味があるのではないかと、観能後少し経ってら思いついた。深読みかもしれないけど。



羽衣のシテは粟谷浩之師。おそらく粟谷浩之師のシテで観能するのは初めて。個人的に羽衣は難曲だと思っている。上演頻度が多い曲であるが、本当に個人的に凄いと思った舞台は、奇しくも喜多流の故 粟谷菊生師が式能ので舞った一番と塩津哲生師の一番だけ。


粟谷浩之師の羽衣は、呼び掛けからワキとの問答の呼吸が合わず、どうなる事やらと思っていたが次第に位を作り上げてはいた。小面の面のクモラス、テラスからの表情はなかなかのもの。初番という事もあって鬘物というよりは、気持ち脇能(神能)に近い感じに自分は受け止めた。序之舞の三段目は、破之舞くらいの軽さ。舞込の小書(特殊演出)で橋掛かりをくるくる廻りながら揚幕前で立ち左袖返して後ずさりするように揚幕に下がる。ワキ留。

悪くは無い。結構でした。それ以上の語彙を探そうとして観能後から一週間経ってしまった。粟谷浩之師が良くなかったわけでは無い。羽衣は難曲であると云う事をあらためて実感した。


狂言の舟ふな。石田幸雄師が良い。去年の年末の定家の間狂言でも感じていたが身体の腰のしっくりきて重心が低め。淡々とアドの高野和憲師とのやりとりからくる、軽みあるおかしみ。今が藝の全盛期を迎えているのではないだろうか。もっと石田幸雄師の狂言が観たい。


休憩後に仕舞〈田村キリ〉

坂上田村麻呂が主人公の曲。キリとは曲の最後の場面。蝦夷の一部であった秋田(出羽國)で舞われた意味は次の土蜘蛛にも繋がっているのではと深読みしている。

友枝昭世師の舞台は4年ぶり。秋田県の雄和にある、唐松能楽殿で〈山姥〉の仕舞を観て以来。

最晩年の能役者の舞台を今までいろいろ観てきた。その中で友枝昭世師程、衰えというものが極めて少ない能役者はいない。もちろん身体の変化の過渡期の時の舞台もあったけれども、身体と会話して使い方を工夫したのだろう。枯淡の部分と身体の密度を上げる部分があり、面を切る様もキレがある。友枝昭世師には、散々舞台の気でしごかれた経験が有るので、必死になって立合したのが今に活きている。もし衰えが見えて自分が忖度して観能してしまったらどうしようと思っていたが杞憂に終った。内心嬉しくてガチ立合が出来た。最晩年様式の友枝昭世師の藝を能で観たくなった。今年は能で友枝昭世師を観なければならない。


能〈土蜘蛛〉シテツレの胡蝶役の塩津圭介師、久しぶりに観たけど身体の体幹がしっかりしていた。道成寺披キの時は体幹無いなと思っていたので時は金なり。また注目したくなる。源頼光役の粟谷充雄師、中々。ワキの大日方 寛師が気合入っていた。良い意味での気の圧があった。先の羽衣でのワキも型を超えた血の通ったものを感じた。


喜多流の土蜘蛛は実は初見。佐藤陽師の前シテは、何処、陰翳のあるもの。地味といえばそれまでだが、スペクタクルショーのイメージがある土蜘蛛ではなく、虐げられた土地の人々を投影したのではないかと思うくらいの暗さと落ち着きがあった気がする。胡蝶、大刀持、頼光は都の人たち。土蜘蛛は、もしかしたら蝦夷の人々を投影した象徴ではないかと思え、出羽國の中の北秋田市での上演は、蝦夷討伐の征夷大将軍としての坂上田村麻呂の田村キリから土蜘蛛の流れは偶然も知れないが、東北民の1人としては深読みしてしまう。アイの飯田 豪師が気合と負けん気の強さを感じる語。


後場の後シテの土蜘蛛の千筋の糸を投げる場面が不発が2回あったのは惜しい。

とワキ、ワキツレとの働キから喜多流は仏倒れ(背中から倒れる)が無く、ワキに退治されてから戸口から去る。他の流儀に比べると地味な感じはする。喜多流だからか、佐藤陽師の藝風なのかはわからないけれども、後シテの土蜘蛛の精の悲しみは、都の人々に征伐された蝦夷の人々の悲しみとリンクして観てしまった自分もいた。スペクタクルショーと云うよりも心理劇、悲劇として受け止めた。


最初の塩津圭介師の解説で、土蜘蛛は果たして悪者なのかと云う問いに対する、一つの答えが土蜘蛛の舞台にあった気がした。見所の人々のそれぞれの答えと絵が描かれていたのだろう。