牛の如く〜佐藤陽師の道成寺 | この辺りの見所の者

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佐藤陽師の道成寺観能から一週間が過ぎた。令和4年10月30日に東京目黒の喜多能楽堂で道成寺の披き(初演)を観た。


道成寺の披きは出典は不明だけど能役者の卒業試験だといわれているらしい。喜多流の道成寺披きの観能は、友枝真也師、大島輝久師、塩津圭介師に続いて佐藤陽師で4人目となる。先の3人と佐藤陽師とは明確な違いがある。


当日のパンフレットにも佐藤陽師の言葉が記載されていたが、自らをイレギュラーと言っているのだ。喜多流の能役者は家の子が殆どであり、佐藤陽師は家の子でない大学能楽部出身である。

自分と同じ秋田県出身ということもあり、勝手に好感を持っている。


小鼓の田邊恭資師も勝手に縁があると思っている。

田邊師も国立能楽堂の養成所出身で研修生時代に国立能楽堂図書閲覧室で幾度かお見かけしたことがある。能や狂言は家の子でなくとも本人の実力があれば舞台に出る機会は少なくない。


この二人の組み合わせの乱拍子を観たい。

だから券を購入した。


能〈道成寺〉

シテ/佐藤陽

ワキ/森常好

ワキツレ/館田善博、梅村昌功

アイ/山本泰太郎休演→山本則孝、山本凛太郎

笛/藤田貴寛

小鼓/田邊恭資

大鼓/佃 良太郎

太鼓/小寺真佐人

地頭・出雲康雅

地謡/粟谷明生、中村邦生、長島茂(後列)

  粟谷充雄、内田成信、粟谷浩之、友枝真也(前例)

後見/友枝昭世、狩野了一、佐々木多門

鏡後見/金子敬一郎、大島輝久、佐藤寛泰、塩津圭介、谷 友矩



振り返ると脳内再生ですぐ思い浮かぶのは佐藤陽師の乱拍子でじっくりと背を曲げて鐘を見込む所であり、田邊恭輔師の小鼓の掛け声である。

佐藤陽師の乱拍子の歩みは、落ち着きのあるじっくりとした歩み。一歩一歩噛み締めるような歩み。その乱拍子の歩みが忘れられないでいる。




夏目漱石が大正5年8月24日付けに芥川龍之介・久米正雄へ連名で宛てた書簡がある。


「無闇にあせってはいけません。

ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です。」

「牛になることはどうしても必要です。われわれはとかく馬にはなりたがるが、牛にはなかなかなり切れないです。あせってはいけません。頭を悪くしてはいけません。」


『夏目漱石の人生を、切り拓く言葉』齊藤孝著より参照。



佐藤陽師の乱拍子の歩みは自分には鈍牛に感じていた。夏目漱石の言葉になんかあったなと調べて思い出した。


華やかな感じではない。面は増女?かなと自分は思った。装束も落ち着きを感じる。若い女という感じではない。


佐藤陽師自身の積み重ねと乱拍子の白拍子の歩みが自分の中でリンクする。牛の如く一歩一歩噛み締めながら歩んでいる。


小鼓の田邊恭資師。小鼓大倉流は乱拍子の掛け声は長い。田邊恭資師の乱拍子の掛け声は、やや細めに息を長く伸ばして地を這い語尾は調子が上がる。笛の唱歌みたいにも感じた。この掛け声が良い。ここまで息の長い乱拍子の掛け声を自分は知らない。


乱拍子はシテと小鼓の一騎討ちのイメージも無くはないが、互いにじっくりと一歩一歩歩んでいる乱拍子のようにも思えて仕方がない。分厚さのある乱拍子といえば良いだろうか。



すべて良かったわけではなく課題もなくは無い。乱拍子からの急之舞では体操のようにカクカクとしていたのと、鐘入りは鏡後見との呼吸が微妙にズレてしまい鐘に吸い込まれなかった。先に足が着いてしまったのは惜しい。


鐘入り後からのスタミナ切れはあまり感じなかった。キリの重厚なスピード感も悪くない。


言い忘れたが、謡は悪くない。ウエイトの乗った謡は決して重ったくれではない。スタイリッシュでは無い、華やかさでもない、牛の如く地に足がついた能役者として、これからも歩んで行くのだろう。


出雲康雅師地頭の地謡が、かなり良かった。キリの地謡のテンポとノリとグルーヴは聴いていて痺れた。

三役も佐藤陽師の道成寺披きを盛り上げてくれていた。


白拍子の表現としては幕離れから、かなりささっと現れてからピタッっ止まり白拍子のハコビになる所は工夫が感じられる。蛇体になってから切れ味はまだまだ鈍く、ずんぐりむっくりだけど、体幹がしっかりした身体の密度は乱拍子でも気を使わないで観ることが出来た。


歳を重ねて熟したときの佐藤陽師の舞台が楽しみでならない。