↑のつづき。

さて、徳島の旅三日目のラストは
阿南市から小松島市へと舞台を移した。

八桙神社から北へ、車で約30分。

目指すは標高192mの『日峯山』山頂。

そして、また雪が降ってきた。

山頂付近には『名勝 日峯山』の碑。

小松島市ホームページより↓
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憩いの場として整備された
人気の展望スポット
標高約192mの日峰山は、
中津峰・津乃峰とともに
阿波三峰のひとつに指定されている。
北は紀伊水道や鳴門・淡路方面、
天気の良い日は和歌山地方も
遠望することができる。
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あいにく空は雪雲で覆われていて
見渡すことはできなかった。
あそこの建物が目的地。







ここの地名は小松島市中田(ちゅうでん)町。

わざわざ「ちゅうでん」と呼んでいるが
元々は『中(ナカ)田』だと推測できる。

阿南市同様、この地も長ノ国





頂上付近の鳥居。
扁額は『日峰神社』。

この日峯山は徳島市と小松島市の境に在り、
徳島市大原町側に一ノ鳥居、
そこから山を登ると二ノ鳥居がある。

ということは、ここは三ノ鳥居。

山(さん)の鳥居というワケである。




ついにたどり着いた。

昨年の夏、天香久山をご神体とする
天香山神社に参拝してから約半年。
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倭には 群山(むらやま)あれど
とりよろふ 天の香具山(あめのかぐやま)
登り立ち 国見をすれば
国原は 煙(けぶり)立ち立つ
海原は 鷗(かまめ)立ち立つ
うまし国そ 秋津島 倭の国は
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素晴らしいところだったが、
奈良には海原はなく、
カモメが飛んでいる姿は
山頂からは見えなかった。

そして、
そんな疑問を解決してくれたのが
阿波古代史である。


手水舎。



拝殿。

『日峰(ひのみね)神社』

鎮座地 徳島県小松島市中田町西山
創建 不詳
別名 日峯大権現
主祭神 大日霊貴神(オオヒルメムチ)
相殿神 少彦名神 市杵島比売神

阿波では「天照大御神」ではなく、
『大日霊貴神』として祀られることが
多いと感じる。

※「天照大御神」は後世になって
生まれた呼び名である。



扁額。




境内からの景色。

少し晴れ間が覗いた。


恒例の「狛犬の見る景色」。



横から本殿。

また雪がちらつきはじめる。





由緒によると、
天平勝宝二年(750年)、
「豊野真人篠原」が阿波守に任された翌年
国中に疫病が流行し、人々は苦しんだ。

この日峯山で火焚の神事を行い、
祖神に病気平癒の祈願をおこなうと、
疫病の猛威も治まり、
この有難い御神徳を仰いで、
社を建立して奉斎されたと伝えられている。

また、
第十三代成務天皇の御代、
阿波、長の両国が置かれ
「事代主命」の子孫「韓脊足尼」が、
長国造に任され、
日峯山で火焚神事を行い
国造就任を祖神に報告したとも云われ、
この「火焚の神事」は
「十八山火焚祭」神事として
現在でも毎年、八月十八日の
夜間に行われている。

つまり、
現在の社が建つより遥か昔から
日峯山は長ノ国において
重要な場所であったのだ。


裏手には『船玉神社』。

祭神は船玉大神。

古代から航海を見守ってくれている。



あんなに雪が降っていたのに、
急激に雲が散っていった。




奈良(大和)の天香具山からは、
カモメも海も見えなかった。

そして、大和国風土記には
天香具山のことは記載されていない。


だが…


阿波国風土記には記載されていた。



『阿波国風土記逸文』
-アマノモトヤマ-
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阿波國ノ風土記ノゴトクハ、
天(ソラ)ヨリ降リ下リタル
山ノ大キナルハ、
阿波國ニ降リ下リタルヲ
アマノモト山ト云、
ソノ山ノ砕ケテ、
倭國ニ降リ着キタルヲ、
アマノカグ山トイフトナン申

-和訳-
阿波国の風土記によれば、
天より降ってきたといわれる大いなる山とは、
阿波の国に降り付いた天の元山であり、
その山のかけらがヤマト国に降り付いたのが
天の香具山であると云い伝えられている。
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最近手に入れた高木隆弘氏の書籍
『記・紀の説話は阿波に実在した』
では、こう解説されている↓
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私見では、ソラ(天)、すなわち
剣山(標高1955m)のことで、
ソラとは阿波の方言で山の上方のことである。

「古事記」冒頭の、
天地初めてひらけし時の高天原は
剣山一帯のことである。

記・紀の高天原は剣山から降りてきたもので
別の「天(アマ)」である。

剣山から降ってきた大きな山が
名西郡神山町鬼籠野の元山(モトヤマ)で、
これが記・紀の神代に書かれている
天の香具山のことであり、
その山から砕けて降り付いた天の香具山
倭大国玉神社を祀る
葦原中国のある香具山である。

同時に、阿波三山の一つ、
加語山(現 籠山)と呼ばれた
日の峯山でもある(加語山と香具山は同義)。
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ソラ』とは徳島の西、
吉野川上流域や、
剣山を中心とした山間部を指し、
現代でも『ソラ』と呼ばれている。

モトヤマ』とは現在も地名が残る
名西郡神山町鬼籠野元山(モトヤマ)


カゴヤマ』とは
この日峯山。

剣山(ソラ)⇒神山鬼野(元山)⇒日峯山(籠山)
と山から天降り開拓していった
神々のルートを表しているのである。

実際に、

ちなみに
神代、天岩戸神話に登場する
アメノカゴヤマとは、
神山町鬼籠野の元山のこと。

この地には
天岩戸に比定される
『天岩戸立岩神社』が鎮座している。

また、鬼籠野元山には二ヵ所の
金山があったことが鬼籠野町史に
記されており、銅山であったと伝承される。

※「カグ」とは「銅」の古語。


天岩戸神話の段では、
天の香久山とは高天原にある山。

岩戸に籠った天照大神を招き出すため、
八咫鏡や多くの祭具を調達した
神聖なる山である。

その山からは金(銅)が取れないと
おかしいのだ。





付近には、
』『外籠』が残り、
日峯山も含めて『籠山(カゴヤマ)』と
呼ばれていた。

また、海岸部の
『大神子(オオミコ)』『小神子(コミコ)』
の地名は当て字であり、
『大巫女』『小巫女』が由来とも云われる。

敬愛するawa-otokoさんのブログによると↓
小巫女とは玉依比賣命を指す地名なのです。

栲幡千千姫命とは大宜都比売命の別名。
玉依比賣命は栲幡千千姫命の子に
あたるとありますから、
第二の天照大神(第二の大宜都比売命)こと
「壹予」にあてはまる訳ですが… 
そして小松島・勝浦町で「壹与」は
「豊玉姫」とされ、
こちらが「和多都美豊玉比賣命」であると
考えます。
従って天石門別豊玉比賣命は
大宜都比売命=卑弥呼ですが、
和多都美豊玉比賣命は
伊予から連れてきた養女
「壹与」であると考えます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↑阿波古代史を学ぶ上では、
この説はもっともしっくりくると
個人的には強く感じている。

一方で、
天石門別豊玉比賣命は忌部がルーツ、
和多都美豊玉比賣命は琉球(竜宮)が
ルーツなのでは…と最近思い始めている。


また、伊予国風土記逸文にも
天加具山が登場する。↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天山(アマヤマ)』 

伊予国の風土記に曰ふ。伊与郡。
郡家より東北のかたに天山あり。
天山と名くる由は、天加具山あり。
天より天降りし時、二つに分かれて、
片端は倭国に天降り、
片端は此の土に天降りき。
因りて天山と謂ふ、本なり。
(『釈日本紀』巻七「天香山」)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ちなみに、『倭(ヤマト)』とは
奈良の『大和(オオヤマト)』ではない。

延喜式内社を見ても、
奈良の大和(オオヤマト)坐大国魂神社
阿波の倭(ヤマト)大国魂神社があるように、
大和は明確に区別すべきである。

伊予国風土記の『』とは
イ(倭)の国つまり、阿波国であり、
~~~~~~~~~~~~~~~
天(ソラ)から天降り、
二つに分かれて
阿波(イ国)天加具山
伊予(ヨ国)天山を統治した
~~~~~~~~~~~~~~~
という意味になるのだ。

イザナギイザナミの国生み神話にある
伊予二名島の始まりである。



愛媛県松山市の天山
古くから信仰の対象であり、
天山北古墳からは、
銅鏡・鉄剣・子持付器台等が
発見されているのだそうな。


松山市の淡路ヶ峠からは、
星岡山・土亀山・天山
天山三山と呼ばれる山々を
眺めることができる。

そして、この冬至の日、
太陽は復活した。

『日峯(ヒノミネ)』とは良く言ったものだ。







結果的にめちゃくちゃ晴れた。
雲がサーっとひいて青空が見えた。





せっかくなので、
もう一度写真を撮った。







恒例の「狛犬の見る景色」。











ここが真実のアメノカゴヤマ(籠山)。

丹後国一宮
籠神社の社家海部氏に伝わる国宝
『海部氏勘注系図』では
始祖彦火明命
天香語山命(アメノカゴヤマ)
天村雲命
倭宿禰命 …

アメノカゴヤマの名が系図に見え、
その息子『天村雲命』を祀る
延喜式内社は阿波だけである。↓
倭宿禰命ももちろん阿波の海人族であり、
別名のウヅヒコは鳴門海峡のうず潮から
名付けられた神名である。

神武天皇とウヅヒコ(宇豆比古)が出逢う
速吸門(ハヤスイノト)は、
『阿波志』によると
鳴門海峡である」と記載されている。




日峰神社、最高でした。



日峯山も最高です。







ただひたすら感動した景色。

カモメが飛んでいても不思議はない。



さてさて、阿波徳島編三日目は終わり。


四日目は、
再び吉野川上流域を目指した。



つづく。

ではまた❗










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