↑のつづき。

伊予市の伊豫神社から徒歩で30分。

歩いているうちに夜が明けていく感じが
とても楽しい。

伊予国は『夜(予)の食国』である。


注連縄柱。


一千年祝祭の碑。


鳥居をくぐる時のドキドキは、
何社も巡った今も変わらない。


いや、むしろ増している。




拝殿。


延喜式内名神大社論社
『伊豫神社』

鎮座地 愛媛県伊予郡松前町神崎
創建 不詳
主祭神↓ 
彦狭島命(ひこさしまのみこと)
※第七代孝霊天皇の第三皇子

配神↓
愛比売命(えひめのみこと)
(愛媛県の由来、国生みで2番目の子)
伊予津彦命(いよつひこのみこと)
※後述
伊予津姫命(いよつひめのみこと)
大日本根子彦太瓊命(フトニ帝)
(第七代孝霊天皇のこと)
細姫命(くわしひめのみこと)
(第七代孝霊天皇の后)
速後上命(はやのちあがりのみこと)
(初代伊予国造)


上記のように、
祀られている神々は、
伊予国開拓に深く関わりを持ち、

また、
神社建立には
考霊天皇の一族が関わっていることを
意味している。


第七代考霊天皇と細姫命の子が
第八代孝元天皇である。

欠史八代は、決して「欠史」ではない。

四国には、欠史と言われた
二~九代天皇たちのエピソードが
遺されているのである。

松前町教育委員会より↓
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当社は、第七代孝霊帝の第三皇子で、
伊予国を治め極めて功績の高かった
彦狭島命を主祭神とし、
愛媛の総神愛比売命・伊予・久米両郡の
開拓神伊予津彦命・同妃伊予津姫命、
さらに、主祭神の御父日本根子彦太瓊命
(孝霊天皇)、御母細姫命、
また、第十三代成務天 皇の勅命により
伊予の国造に任ぜられた
速後神命(速後上命)を配神として
祀る延喜式内 名神大社である。

続日本紀、三代実録等の史書にも著述があり、
古来より親王宮大明神として歴代朝廷の 
尊崇をうけ、また、統治神として、
武将・領主等からも崇敬されてきたが、
特に、源義経が社殿を造営し、
伊予の豪族河野家も又、
代々がこれを修理したと伝えられる。

江戸時代においても藩主は、
参勤の上下に必ず奉幣して安全を
祈願したとも伝えられて いる。
なお、当地方の古歌には、
「民草も豊かなりけり国の名の 
 いよよと守る神の誓に」
とあるように、 
古代よりこの地方の氏神として敬られ、
伊予一国を代表する国魂神として
崇拝された旧愛媛県社である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~


また、
愛媛県神社庁HPによると↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神社由緒

伊予の国に古くより祭られてきた
社と伝えられ、延喜式内名神大社とされる。
又、親玉宮とも呼ばれてきた。

平安時代には免田が付され、
河野家の租にかかわる神社として
河野各代の崇敬厚く天正年中には
河野道直が社殿改めて造営したと伝わる。

明治になってから国幣社昇格の気運が昂り
宮内省からも青山という技官が来社し
禁足地の入らずの森の発掘調査をしたが
掘り進んでそれ以上の発掘は自粛したという。

その時の出土物は松前町文化財の
第一号に指定され伝わっている。
別に伊豫親王、藤原吉子桓武天皇夫人、
藤原宗成の三柱が祭られており、
当社との深い関係が伺われ、
当社にとっては重要なことである。
元県社。
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1200年代に火災で社記等が焼失したため、
創建などについては不詳である。

孝霊天皇の皇子彦狭王命は
伊予皇子とも呼ばれ、
越智氏の祖とされている。



見事な龍の彫刻だ。

獅子が戦っているようにも
じゃれているようにも見える。



拝殿の中の様子。


イタズラなのか、
意図的なのか、
絵の中の人の顔が消されている。。


素晴らしい御神木。



横から本殿。

千木は女千木。

あとあと考えてみると、
愛媛の参拝した神社はみな、
極めて女性的な印象だったように感じる。




続いて、境内の様子を。

岩を祀っている。

古代の祭祀は、
ひっそりと遺されていた。



境内社
『猿田比古神社』
『厳島神社』
『竃神社』


境内西北隅の『入らずの森』。


入らずの森には、石が積まれた
『五輪塔』がある。

なぜこの地に五輪塔があるのかは、
由緒含め、史料は残っていないのだそうな。



松前町のホームページによると↓

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明治30年(1897)、
青銅の経筒6個と、
中国宋時代のものと思われる磁器壷2個が
掘り出され、社宝となった。
五輪塔3基は鎌倉時代のもので、
出土品とともに、昭和44年(1969)
松前町有形文化財に指定された。
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この石を積んだ様は、
『タオタオモナ』に通じるように思う。

グアム政府観光局のHPによると、
石を積んだモノを『タオタオモナ』と
呼んでいるのだそうな。

意味は「以前の人々」。

古代チャモロ人にとって、
この世界に生者と暮らしている
祖先の霊を意味している。


国史啓蒙家の小名木善行先生によると、
『タオタオモナ』は
日本語の『尊い者』と同じ意味だと言う。


沖縄の『トートーメー』も
同じ意味なのではなかろうか。

響きも似ている。

トートーメー(尊御前)は、
琉球語で先祖を意味する語。


五輪塔はインド発祥と言われ
主に供養塔・墓とされており、
仏教で言う地水火風空の五大を表すもの。

「インド」に初めて「印度」の字を当てた
玄奘三蔵は、この語をサンスクリット語の
『indu ()』に由来するとしている。


また、仏教の開祖『釈迦』の名の由来は
シャーキヤ族からである。


シャーキヤ族(サカ族)(スキタイ)と
絶妙に絡んでいるのが
イラン系の遊牧氏族とされる
「月氏(げっし)」。

天山山脈の北に移り『大月氏』となった。


オオゲツ(笑)



五輪塔のルーツのルーツ。


古代の海人族の文化は、
こういったカタチを各地に
遺しているのである。


海人族は、月神信仰だった。



さてさて、
この松前町の伊豫神社の配神であり、
「イヨ」の名を冠する
伊予津彦命(イヨツヒコ)と
伊予津姫命(イヨツヒメ)。


そして、伊予市の伊豫神社の祭神の
『月夜見命(ツクヨミ)』。

一昨年ワタシが愛読していた
古文書ホツマツタヱには、
はっきりとその関連性が描かれている。



イザナギの命により、
『夜(予)の食国』つまり
『予ノ国(後の伊予国)』を任されたツクヨミ。


実は、ツクヨミは
イヨツヒコの娘である
『イヨツヒメ』を娶った。

そして、
『モチタカ』という子をもうけたのだ。

月神の子供が『モチタカ』。

(ウサギの餅つきを連想してしまう)。


そんな『モチタカ』こそ、
後の『気吹戸主(イフキドヌシ)』である。

しかも、モチタカの父である
ツクヨミの諱は『モチキネ』である。

餅杵(モチキネ)。


さらにさらに、
イフキドヌシの子には、
●イヨツヒコ(二人目のイヨツヒコ)
●トサツヒコ(土佐)
●ウサツヒコ(宇佐)



古事記でわからないことは、
そのエピソードを深堀りする
ホツマツタヱを読むのが一番(笑)


ツクヨミはやはり、
伊予国にきていた。


ツクヨミの拠点は
四国24県を治める政庁『突ノ宮』。

「トツノミヤ」または「ノミヤ」と読む。


トノミヤに漢字を当て直すとこうなる。





『外宮(トノミヤ)』❗



伊予国の旅は、ワクワクが止まらない。


つづく。


ではまた❗


 
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