↑のつづき。
伊予市の伊豫神社から徒歩で30分。
歩いているうちに夜が明けていく感じが
とても楽しい。
伊予国は『夜(予)の食国』である。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/50/8b/j/o1080081015397693395.jpg?caw=800)
注連縄柱。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/f1/86/j/o1080081015397693413.jpg?caw=800)
一千年祝祭の碑。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/72/e1/j/o1080081015397693439.jpg?caw=800)
鳥居をくぐる時のドキドキは、
何社も巡った今も変わらない。
いや、むしろ増している。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/21/a5/j/o1080081015397693447.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/16/76/j/o1080081015397693452.jpg?caw=800)
拝殿。
延喜式内名神大社論社
『伊豫神社』
鎮座地 愛媛県伊予郡松前町神崎
創建 不詳
主祭神↓
彦狭島命(ひこさしまのみこと)
※第七代孝霊天皇の第三皇子
配神↓
愛比売命(えひめのみこと)
(愛媛県の由来、国生みで2番目の子)
伊予津彦命(いよつひこのみこと)
※後述
伊予津姫命(いよつひめのみこと)
大日本根子彦太瓊命(フトニ帝)
(第七代孝霊天皇のこと)
細姫命(くわしひめのみこと)
(第七代孝霊天皇の后)
速後上命(はやのちあがりのみこと)
(初代伊予国造)
上記のように、
祀られている神々は、
伊予国開拓に深く関わりを持ち、
また、
神社建立には
考霊天皇の一族が関わっていることを
意味している。
第七代考霊天皇と細姫命の子が
第八代孝元天皇である。
欠史八代は、決して「欠史」ではない。
四国には、欠史と言われた
二~九代天皇たちのエピソードが
遺されているのである。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/1b/7a/j/o1080081015397693460.jpg?caw=800)
松前町教育委員会より↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~
当社は、第七代孝霊帝の第三皇子で、
伊予国を治め極めて功績の高かった
彦狭島命を主祭神とし、
愛媛の総神愛比売命・伊予・久米両郡の
開拓神伊予津彦命・同妃伊予津姫命、
さらに、主祭神の御父日本根子彦太瓊命
(孝霊天皇)、御母細姫命、
また、第十三代成務天 皇の勅命により
伊予の国造に任ぜられた
速後神命(速後上命)を配神として
祀る延喜式内 名神大社である。
続日本紀、三代実録等の史書にも著述があり、
古来より親王宮大明神として歴代朝廷の
尊崇をうけ、また、統治神として、
武将・領主等からも崇敬されてきたが、
特に、源義経が社殿を造営し、
伊予の豪族河野家も又、
代々がこれを修理したと伝えられる。
江戸時代においても藩主は、
参勤の上下に必ず奉幣して安全を
祈願したとも伝えられて いる。
なお、当地方の古歌には、
「民草も豊かなりけり国の名の
いよよと守る神の誓に」
とあるように、
古代よりこの地方の氏神として敬られ、
伊予一国を代表する国魂神として
崇拝された旧愛媛県社である。
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また、
愛媛県神社庁HPによると↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
神社由緒
伊予の国に古くより祭られてきた
社と伝えられ、延喜式内名神大社とされる。
又、親玉宮とも呼ばれてきた。
平安時代には免田が付され、
河野家の租にかかわる神社として
河野各代の崇敬厚く天正年中には
河野道直が社殿改めて造営したと伝わる。
明治になってから国幣社昇格の気運が昂り
宮内省からも青山という技官が来社し
禁足地の入らずの森の発掘調査をしたが
掘り進んでそれ以上の発掘は自粛したという。
その時の出土物は松前町文化財の
第一号に指定され伝わっている。
別に伊豫親王、藤原吉子桓武天皇夫人、
藤原宗成の三柱が祭られており、
当社との深い関係が伺われ、
当社にとっては重要なことである。
元県社。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1200年代に火災で社記等が焼失したため、
創建などについては不詳である。
孝霊天皇の皇子彦狭王命は
伊予皇子とも呼ばれ、
越智氏の祖とされている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/67/ad/j/o1080081015397693465.jpg?caw=800)
千木は女千木。
あとあと考えてみると、
愛媛の参拝した神社はみな、
極めて女性的な印象だったように感じる。
続いて、境内の様子を。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/28/17/j/o0810108015397693857.jpg?caw=800)
岩を祀っている。
古代の祭祀は、
ひっそりと遺されていた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/c6/85/j/o1080081015397693866.jpg?caw=800)
境内社
『猿田比古神社』
『厳島神社』
『竃神社』
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/cd/9b/j/o0810108015397693868.jpg?caw=800)
境内西北隅の『入らずの森』。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/41/cf/j/o0810108015397693872.jpg?caw=800)
松前町のホームページによると↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
明治30年(1897)、
青銅の経筒6個と、
中国宋時代のものと思われる磁器壷2個が
掘り出され、社宝となった。
五輪塔3基は鎌倉時代のもので、
出土品とともに、昭和44年(1969)
松前町有形文化財に指定された。
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/93/2e/j/o0810108015397693879.jpg?caw=800)
この石を積んだ様は、
『タオタオモナ』に通じるように思う。
グアム政府観光局のHPによると、
石を積んだモノを『タオタオモナ』と
呼んでいるのだそうな。
意味は「以前の人々」。
古代チャモロ人にとって、
この世界に生者と暮らしている
祖先の霊を意味している。
国史啓蒙家の小名木善行先生によると、
『タオタオモナ』は
日本語の『尊い者』と同じ意味だと言う。
沖縄の『トートーメー』も
同じ意味なのではなかろうか。
響きも似ている。
トートーメー(尊御前)は、
琉球語で先祖を意味する語。
五輪塔はインド発祥と言われ
主に供養塔・墓とされており、
仏教で言う地水火風空の五大を表すもの。
「インド」に初めて「印度」の字を当てた
玄奘三蔵は、この語をサンスクリット語の
『indu (月)』に由来するとしている。
また、仏教の開祖『釈迦』の名の由来は
シャーキヤ族からである。
シャーキヤ族(サカ族)(スキタイ)と
絶妙に絡んでいるのが
イラン系の遊牧氏族とされる
「月氏(げっし)」。
天山山脈の北に移り『大月氏』となった。
オオゲツ(笑)
五輪塔のルーツのルーツ。
古代の海人族の文化は、
こういったカタチを各地に
遺しているのである。
海人族は、月神信仰だった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/72/2f/j/o1080081015397693882.jpg?caw=800)
さてさて、
この松前町の伊豫神社の配神であり、
「イヨ」の名を冠する
伊予津彦命(イヨツヒコ)と
伊予津姫命(イヨツヒメ)。
そして、伊予市の伊豫神社の祭神の
『月夜見命(ツクヨミ)』。
一昨年ワタシが愛読していた
古文書ホツマツタヱには、
はっきりとその関連性が描かれている。
イザナギの命により、
『夜(予)の食国』つまり
『予ノ国(後の伊予国)』を任されたツクヨミ。
実は、ツクヨミは
イヨツヒコの娘である
『イヨツヒメ』を娶った。
そして、
『モチタカ』という子をもうけたのだ。
月神の子供が『モチタカ』。
(ウサギの餅つきを連想してしまう)。
そんな『モチタカ』こそ、
後の『気吹戸主(イフキドヌシ)』である。
しかも、モチタカの父である
ツクヨミの諱は『モチキネ』である。
餅杵(モチキネ)。
さらにさらに、
イフキドヌシの子には、
●イヨツヒコ(二人目のイヨツヒコ)
●トサツヒコ(土佐)
●ウサツヒコ(宇佐)
古事記でわからないことは、
そのエピソードを深堀りする
ホツマツタヱを読むのが一番(笑)
ツクヨミはやはり、
伊予国にきていた。
ツクヨミの拠点は
四国24県を治める政庁『突ノ宮』。
「トツノミヤ」または「トノミヤ」と読む。
トノミヤに漢字を当て直すとこうなる。
『外宮(トノミヤ)』❗
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/07/noginohi107/31/8f/j/o1080081015397693889.jpg?caw=800)
伊予国の旅は、ワクワクが止まらない。
つづく。
ではまた❗
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