↑のつづき。

さてさて、オシヒト(オシホミミ)という嫡子も無事に産まれたワカヒト(アマテル大御神)。

ハラミの宮から遷都した、イセのイサワの宮も整ってきた。

正面に橘(カグの木)を植えた南殿を『カグの宮』とし、東側に桜の木を植えた大内宮を御寝所とした。

宇宙の根源神である『天御祖神(アメノミヲヤカミ)』を祀る高間殿(タカマ)では、『神議り』が行われ、天御祖神の御前で恥じることがない国政をおこなうよう、参議の重臣たちと共に誓った。

日本はついに、平穏な世を迎えることが出来たのであった。

※「橘(タチバナ)」は国神である『クニトコタチ』の象徴であり、ソレと同様に語られる「桜」も、とても重要な木だったことがうかがえる。





さて、この時期に、ワカヒトの兄弟たちはどうしてたかと言うと…


ワカヒトの弟『ツキヨミ(月読)』は四国地方の混乱を鎮めた後も、引き続き、四国を統治していた。

『イヨツ姫』という妻を娶り、『モチタカ』という子をもうけた。

モチタカとはイミ名で、後の『イフキドヌシ(息吹戸主神)』のことでございます。


そして、もう一柱の弟『ソサノヲ』はというと…

ネ邦のサホコ邦を任されたものの、中々うまくいかず、姉である『ワカ姫ヒルコ』と、ソサノヲの出身地ミクマノ(熊野)の臣たちが、「君」としての資質を身に付けさせようと、日々努力していた。

※やはり、イサナギの子の中でも、ソサノヲだけは異質、一筋縄ではいかなかったようだ。

正史では消されてしまった『ワカ姫ヒルコ』だが、ホツマツタヱでは、その後の活躍も含め、重要な役割を担っている。

その役割は、亡き『トヨケ大神』の存在と重なるように思えるのは、ワタシだけだろうか。。

そんなトヨケ大神関連はこちら↓


兄弟の中でも危うい存在『ソサノヲ』。

実はこの後、「ある事件」に巻き込まれてしまうことになるのです。

それこそが、古事記で語られる『スサノオの高天原追放』の真相なのだが…


それはまた、別のお話。


つづく。

ではまた❗


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