↑のつづき。

さてさて、イサナギイサナミの両神。
統治の旅は続きます。

ソアサ(四国)の次に向かったのは、
ソサ州(紀伊半島)。

そこで造ったお宮を中心に、順調に発展させていき、『常世里(トコヨサト)』と呼ばれるまでになった。

両神にも心にゆとりが出来始め、離れ離れになっていた最初の子『ワカ姫(ヒルコ)』を呼び戻し、家族三人仲良くこのクマノ(熊野)地方を統治したのだそうな。

ワカ姫出産の話は↓をご参照あれ。

熊野は和歌山県。

和歌山はワカ姫が大いに関わっている。


さて、このクマノで、
両神は三人目の男子を授かった。

斎名は『ハナキネ』。

後の『ソサノヲ(スサノオ)』のことです。

「ソサ州」で生まれたので『ソサの男』という意味だと解釈出来る。
※スサノオが「スサの王」って話の方が由来としては好きですけどね。


しかし、このハナキネ(ソサノヲ)。

大層なヤンチャ坊主。

我が強く、気に入らないことがある度に泣いたり暴れたり。

トンでもない悪ガキであったのだそうな。




ハナキネは、民が作ったせっかくの水田を、悪戯でダメにしてしまった。

当時のクマノは海側まで丘の起伏や小山があり、水田が出来る場所は限られており、貴重であった。

元々クマノの人々の生活は苦しかったのだ。

大事な水田の稲をダメにしたハナキネ。

母親であるイサナミは責任を感じていた。

そこで、イサナミは「山焼き」をし、傾斜地には桑を植えて養蚕を始め、平地は水田や農地を増やす事業を始めた。

※養蚕の起源は中国大陸と言われており、推定紀元前2750年の絹が見つかっている。
日本には弥生時代から入ってきたとも言われるが、実際にはさらに昔だったのかもしれない。
日本の水田の歴史が見直されていることも含め、ホツマツタヱのこの話の年代も、より正確にわかる時が来る可能性がある。


さて、イサナミの獅子奮闘の活躍により、絹と農作物の産業はクマノに根付いてきた。

しかし、「山焼き」をしていたイサナミに不幸な出来事が起きる。

急に風向きが変わり、火に囲まれたイサナミは、逃げ場を失って、亡くなってしまう。。


イサナミの亡骸は、「アリマ」に納められ、それからというもの、クマノの人々は毎年、桑の花が咲く春と、稲穂が色付く秋には、イサナミを偲んでお祭りをしているのだそうな。

「アリマ」とは、現在の三重県熊野市有馬町に鎮座する、『花窟神社』のことでございます。

祭神はイザナミとカグツチ。

例祭はもちろん、桑の花の春と稲穂の秋。
●2月2日(春季)
●10月2日(秋季)


ホツマツタヱでのイサナミは、記紀神話のようにカグツチが産まれたせいで亡くなったワケではありませんでした。

また、三貴子もイザナギの禊で産まれたのではなく、ちゃんと、イサナギイサナミの両神から生まれております。

なぜ、記紀神話でそのように記述されたのか。

個人的な解釈では、三貴子の産まれた場所を正確に記述してしまうと、アマテル(天照)の生まれた『ハラミ山(富士山)』をも記述しなければならなくなってしまうからだと思っている。

富士山を登場させてしまうと、ある人物の存在も記さなくてはいけなくなるから。

かつて、3000人の民を引き連れて大陸から渡来し、宮下文書の編纂にも関わった人物。


その人物こそが『徐福』。


実は名前を変えて記紀神話やホツマツタヱにも登場していると思っています。

それはまた、別のお話。


つづく。


ではまた❗



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