↑のつづき。


さて、神の島「浜比嘉島」。

アマミチューの墓の後に向かったのは、
『シルミチューの霊場』。



この小島の右側、森の中にひっそりと存在する。



森の道。


西日が強く差す。








奥に鳥居が見えてきた。



快く迎えてくれているような太陽の光。



アマミチューの墓でも感じたが、思ったより観光客の方々がいらっしゃる。

琉球の歴史や文化に興味を持って頂くのは、有難いことだ。




一の鳥居。


鳥居をくぐる時は、どんな場所であろうと、
一礼はしましょうね。



階段は108段あるのだそうな。

なんとも意味深な数字である。






二の鳥居。

そしてその向こうに…





『シルミチューの霊場』
鎮座地 浜比嘉島比嘉集落の南南東端の森の中。

かつて、ニライカナイからやってきた琉球の始祖
アマミチュー(アマミキヨ)とシルミチュー(シネリキヨ)。
この洞窟はその居住跡。



ノロが浜の小石を拾ってきて洞穴内の壺に入れて拝む…という不思議な風習。

シルミチューという名は琉球の言葉で
「シディーン(生まれる)」と「チュ(人)」を合わせた名だとも言われている。
※ウチナーンチュは沖縄の人って意味ですね。

ここで、沖縄の方言変換をおさらい。

●母音の変換
「オ」⇒「ウ」になります。
「エ」⇒「イ」になります。
他にも、
「キ」⇒「チ」になったり、
色々とコツはある。

つまり、「白」は「シル」になる。
「シルミチュー」が「白い人」とも解釈出来る。

「アマミチュー」は「アマメの人」。
「天女(アマメ)」とも解釈出来るところが面白い。
※沖縄にも天女の羽衣伝説はございます。


その他にも、地域によって方言には多様な特徴があり、一概には言えないが、琉球人には縄文人の血が色濃く残っているという説を考慮すると、
この方言変換は、縄文時代(あるいはもっと昔)から受け継がれる日本神話にも、その片鱗が見られるのである。

例えば…

「ノ(母音はオ)」⇒「ヌ(母音はウ)」になるので、
「角(ツノ)」は「ツヌ」となる。
ツヌガアラシト』や、
『役小角(エンノオヅヌ)』等。


他にも、神話の神々が実は、琉球方言変換されている。

「カモ(賀茂)」⇒「カム(神)」などもそうだろう。


学生時代、後先も考えず、無心で琉球古典音楽を勉強したことが、今になって役に立っている。

どうやら、「ただ好きなことを必死でやる」と、「後々なにかしらの役に立つ」ってのは本当の話らしい。




拍手と礼をしていたら、後ろで外国の方々が不思議そうに見ていた(笑)。

信仰心とかは一旦置いておいて、
人のお家に入るのなら、挨拶するのは基本なのです。



さて、108段の階段を降りましょう。



西暦605年に中国史で初めて「流求」が登場するまで、歴史の表舞台には出て来ていないとも言われる『沖縄』。

しかし、二万年前の港川人の人骨が発見されたりと、本当の歴史はずっと古いはず。

領地を奪ったり、争ったりしていなかったから、目立たなかっただけじゃねぇの❓️
と、思ったりした今日この頃。



事実、沖縄でのワタシの知人は、争いや競争を好まない、優しい人が多い。



アマミチューとシルミチューも、国譲り神話や神武東征のような、土地を奪って統治するようなイメージの神様ではない。

どちらかと言えば、出雲口伝のような、外から入ってきた人達に色々教えてもらって仲良く共存した…という方がしっくり来るのである。


あるいは、やはりイザナギとイザナミか。
この二柱の神名も役職名のようなもの。

可能性はある。



天気にも恵まれ、感謝です。

浜比嘉島、まだまだ見所は沢山あるようだ。

また来ます。


つづく。


ではまた❗


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