「お前はアレだよ。壊れた時計みたいだな」
彼からの最後の言葉を寝る前に思い出してしまった。
歯を磨いて、ミネラルウォーターを飲んでから、いざベッドに潜り込んだら、やっぱり頭の片隅に彼の言葉が張り付いたまま離れてなくて、不覚にも泣いてしまった。
彼は時々よくわからないことを言う人だった。
例えがよくわからない、と言ったらいいのかな。
本人からしてみれば的を射たようなことを言っているつもりらしいが、こっちにはまったく伝わってこないことのほうが多かった。今回もそれだった。
壊れた時計とは一体どういう意味なのだろう。
足りない頭をフル活用して、一巡りして、それでもやっぱり彼の言わんとしていることがわからなかった。でもそんな彼の不完全さが好きだった。完璧そうにあらゆる装備で身を纏った彼の自信満々な雰囲気と、実際は欠落しているところのほうが多い本当の彼の姿。
そのギャップが私からしてみれば魅力的に見えたのかもしれない。
私は、少しだけダメ男を好きになってしまう変な母性愛が人並み以上にあるのかもしれない。ホントに、少しだけ。でも、私が彼を振ったという事実だけは変えようがなかった。

「小林さん、コーヒーこぼれてます」
後輩の川田くんに言われるまで私はコーヒーをこぼしてるいることに気がつかなかった。
カップからは黒くて熱い液体がどぼどぼと溢れ出て、テーブルの上にまで零れている。
「これ、使ってください」
差し出されたのは彼のハンカチだった。
灰色と淡い青色のマーブル模様のどこにでもありそうな、普通のハンカチ。
そう言えば、私の彼もこんな色のハンカチを持っていた気がする。
私が彼の就職祝いにあげたものだ。
もう何年も前のことになるけど。
テーブルを拭き終えるとハンカチは完全にコーヒーでべっとりと濡れてしまった。
乾いた部分など一切見当たらないくらいに浸水したハンカチをそのまま彼に返すことなんて出来るわけもなく、家に持ち帰ってから、明日彼に返すことにした。
「川田くん、これ洗って返すね」
彼のデスクまで行き、耳元でそっと囁くと彼はにこやかに笑みを浮かべて、「はい」とうなずいた。

その日の帰り、私は会社を出たところで背後から駆け寄ってくる川田くんに気がついた。
「どうしたの?」
と訊くと、「これから飯でもどうすか?」と言うので今日のお礼も兼ねて付き合うことにした。
「今日は奢ってあげる」
「マジですか? もしてかしてハンカチのお礼?」
「うん」
「いいのに、そんなことで」
「たまには先輩らしいことさせなさいよ。あなた普段から隙がなさ過ぎて、どっちが先輩だかわからないんだから」
「そういうことなら」

彼と入った店は会社から少し歩いたところにある、行きつけのBarだった。
普段から人の出入りも激しくなくて、その落ち着いた店構えと、マスターの人の良さに一目ぼれした。
「こんなところにあるんですね」
「意外だったでしょ」
「僕も行きつけにしようかな」
「真似っこ禁止」
「どっかで聞いたようなセリフだな」
「あら、わかるのね」
私はいつものようにグラスビールを頼むと彼も同じものを頼んだ。
お酒はそれほど強くないらしい。
ビールも最近ようやく飲めるようになったとのことだ。
「以前はもう辛くて辛くて。一気飲みとか平気でさせられるし。こっちは飲めないってのに」
「男の子だもんね。女の子ならまだ可愛く断れもするけど」
「ホントに、あの時ばかりは女の子になりたくてしょうがなかったです」
「でも今じゃ立派に育って」
「母親ですか、あなたは」
「親戚のお姉さん、みたいな」
あははっ、と乾いた笑いを漏らした。
「もう酔ったんですか?」
僕よりお酒弱いんじゃないですか?
段々と彼の言葉が遠くに聞こえていった。
夢とも現実ともわからない心地よい空気が私の周りを流れていく。
隣にいる彼の声がどうやら眠気でも誘っているらしい。
耐え切れない睡魔に私はあっさりとその身を委ねた。
「好きだったんですよ」
その時、彼が思いがけない言葉を発したので、私は意識を取り戻した。
「今、なんて言った?」
「僕ね」
彼は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、手に持ったグラスを揺らした。
カラカラ、と氷のぶつかり合う音が聞こえる。
「入社した時から小林さんのこと好きだったんですけど」
けど、って何よ。
けど、何なのよ。
「けど、小林さんって何か初め近寄りがたいっていうか、そういうオーラ?みたいなのがあって…」
「そうだった?」
「そうでした」
まさかこのタイミングで告白されるとも思わなかった。
彼は私にとっていい後輩の一人にしか過ぎないのに。
だから、ちょっとショックだった。
私は彼からもいい先輩として見られているとばかり思っていたから。
一人の女として見られていたのが、ちょっとだけショックに感じた。
「あの、今って彼氏とか…いるんですか?」
「いたらどうするの?」
「…それは」
「…」
「諦めます」
「じゃあ、諦めなくてもいいわ」
彼がキョトンとした表情で私を見ていた。
「彼とはもう、別れたから」

その後二人でもう一杯ビールを頼んで、仕事の話とか、これまでの恋愛経験の話とかそんなどうでもいいような話をたくさんした。
大学時代は何人と恋愛して、何人の女の子を泣かせて、逆に私は何人に泣かされてきただとか、そんな今では笑い話になるような話。
川田くんはまだあどけなさの残る言ってみればかわいい弟のような存在で、だからこそ一緒にいて苦にならない分、心の中で変に後悔する自分もいた。
Barを出ると彼は私の部屋へ行きたいと言った。
てっきりホテルか彼の部屋にでも行くものだと思っていたから何とも拍子抜けしてしまった。帰宅する途中、自分の部屋の中の汚さを思い出して、やっぱり今日は止めてもらおうとお願いしたら、
「じゃあ、部屋の前で待ってます」と言うので私も諦めることにした。彼の屈託のない笑顔には勝ち目がなかった。

部屋の前までやってきて、とりあえず彼を待たせることにした。
「10分だけ待ってて」
「もっと待てますから。ごゆっくり」と彼が言うのも聞かずに、私はドアを閉めていた。
床に散らかった服に、溜め込んだ食器、化粧品のビンなんかもそこら中に転がっている。
もう考える間もなく私はその一切を見えないところへと押しやって、表面的な体裁だけを確保することにした。
彼を部屋の中へと通すと、なんだかぎこちない空気が流れたような気がした。
きっと私の心が冷静ではない証拠だ。
「いいな、この感じ」
部屋の中ではベッドランプだけをつけて、オレンジ色で部屋を包んでいた。
部屋の所々に陰影ができて、部屋の中を克明に見せない作戦だ。
どうせもう後は寝るだけだろうから、これで充分なはずだった。
「なんかすげえ、急展開」
彼がぼそっと、でも笑いながら呟いた。
「ホントにね」と私も笑って彼に言った。

それからはもう後はやることは決まっていた。
彼のスーツをかけて、ソファに座らせた。冷蔵庫の中からは飲みかけのワインとグラスを持ってきて飲みなおし、またどうでもいい会話を続けた。
やがてほどよく酔った頃、私は彼の肩に頭を預ける。
彼はそれを受け止めて、私の肩を掴み、自分の胸のほうへと抱き寄せる。
彼は私に顔を近づけ、私は目を瞑り、彼のするがままにその身を委ねた。

隣で寝息を立てる彼に気づいて、私は目を覚ました。
二人とも裸で、私は彼の腕の中にいた。
窓の外を見たら夜の底が広がっていたから、たぶん夜更けだったのだと思う。
朝目覚めたら彼とは時間差でこの部屋を出なければいけないな、とか、会社でまともに喋れるだろうかとか、そんないやに冷めたことを考える自分がいて滑稽だった。
今、隣で眠る彼への愛情が湧かない。なんていうか燃えるような恋っていうか。
って、結局ただ今の私がまだ未練がましいだけなんだろうけど。
新しい恋にむりやり走ってみても、だから何が変わるわけでもなかった。
やっぱりそれでも前の彼のぬくもりが私の身体とか心とかに当たり前のことしか言えないけど、深く染み込みすぎてて、剥がすことができないでいた。
今日の彼で何人目だっけ?
こうやって前の彼のぬくもりが忘れられずに、もう幾度となく新しい恋に走っては、すぐにまた新しい恋に走っている。
「使い捨ても甚だしいな」
自分に投げかける言葉のなんと馬鹿らしいことか。
ベッドから起き上がると洗面台へと行き歯を磨いた。キッチンでミネラルウォーターを一杯飲むと、再びベッドへと舞い戻った。
彼は相変わらずよく眠っている。
朝になって、会社に行ったら、その時もまだ彼に対して今みたいな気持ちでいられるだろうか。まだ愛しい、まだ少しでも頑張って付き合ってみようかな、と思えているだろうか。
ベッドに潜り込むと彼が寝言でなにやら呟いていた。
私の名前にも聞こえるし、そうじゃない気もした。
彼に背を向けながら眠りにつこうとすると、本棚の上の時計が目に入った。
時刻は3時30分を指したまま秒針が行ったり来たりを繰り返している。
彼がいなくなった日からそれはずっとそのまま時が止まっていた。
彼の言葉が脳裏を過ぎる。
「壊れた時計」
進むわけでもなく、戻るわけでもなく、何も変わらないままそこに留まっている。
彼とヨリを戻したいのか、きっぱり彼と決別したいのか。
結局私はどうしたいのだ。
「でっかい謎です」
冗談めかして言ってみてもだから何が変わるわけでもなかった。


                                               <了>
1987年の秋、僕はNYのとあるバーで一人酒を飲んでいた。どうして一人でそんな場所にいたのかというと、正直いって詳しいことはすっかり忘れてしまった。ただ、覚えているのはその時飲んでいたバカルディが凄まじく美味しかったという事実と、僕は初めから最後まで一人っきりで飲んでいたわけではない、ということくらいだ。
店には一人で入った。そしてしばらく一人で飲んでいて、やがて誰かと会話をしながら飲み始めた。そう、記憶している。僕のほかに、確かに誰かが隣にいた。
その誰かは女で、日本人だった。歳は訊かなかったが、30前後に見えた。名は……名は覚えていない。彼女は名を名乗らなかったのだろうか。僕は彼女に教えたはずだ。奈央、と答えた。彼女は笑った。まるで女性のような名前だね、と。僕も一緒になって笑った。よく言われる、と。そして歳は32歳だと答え、NYには友人に会いに来ているのだと付け加えた。時刻は午後の8時で、店内にいた客は僕と彼女を含めて10人にも満たなかった。


時刻は午後の9時を回っている。
グラスにはもう丸みを帯びて、解けかけた氷しか入っていない。カウンターの向こう側にいるはずのマスターの姿がないので、僕は注文をすることも出来ないでいた。
「足りないの?」
彼女の微笑みはその丸みを帯びた氷のように冷たく、そして柔らかかった。
「うん。でも、マスターいないや」
「ここのマスター、Lって呼ばれているのだけど、時々こうして店内からいなくなっちゃうのよ」
「どうして?」
「分からないの。誰にも教えてくれないのよ」
「不思議な人だ」
「でも、店の主としては最低よ」
「かもしれない」
僕は再びグラスを回して、それからコースターの上にそっと置いた。
「良かったら、私の、飲む?」
突然の彼女からの提案に、僕は少し驚いた。NYで、それも雰囲気の良い半地下に佇むバーで、そして偶然出会った日本人の女から追加の注文が出来ないからという理由で自分のグラスの酒を一口飲むか、なんて提案されるとは思ってもみなかったのだ。
「大丈夫。そのうちマスターは戻ってくるだろうし、我慢だって出来る」
「そう」
その時の彼女の表情はわずかに寂しげでもあった。けれどもその瞳は、心のない人形のようにやはり冷たく、そして空虚だった。
「NYはどう?」
彼女は僕らの間にあった空気の変化に敏感に気がついたのか、話題を変えた。
「とても素晴らしいね。日本語で表現するには少しばかり堅苦しいかな。英語で、WONDERFULと言ったほうが相手に十分な伝わり方がするような気がするよ。言葉の響きとか、雰囲気とか、そういうニュアンスを含めてさ」
「なら良かった。歓迎するわ」
「ありがとう」
僕らはお互いの(僕は氷だけの)グラスを互いに掲げた。
「君は、もう長いことこっちに住んでいる?」
「どうかしら。こっちに住み始めて20年以上は経つけれど、それって長いのかしら」
「長いと思う」
僕は正直に答えた。
その瞬間、フワッと彼女の表情から優しさが消え去ったような気がした。
優しさ?
僕は僕自身がその言葉を彼女から感じていたことに驚いた。
話は続く。
「でも、そうね……長いのかもね。けど、NYにはいたくて住んでいたわけではないから」
「どういうこと?」
「交際している男性がいるの。彼、こっちの人で、それで彼と付き合っているうちに自然と20年以上も住むことになってしまった」
「彼とは、結婚をしているんだよね?」
まるでそうであってほしい、というような言い方で尋ねた。
しかし彼女は首を横に振り、それからこう付け加えた。
「彼とは結婚をしなかった。そして、そしてついさっき、別れてきた」
(少なくとも)10年以上(?)は彼と交際して(いたのだと思う。彼女の言葉のニュアンスから)そして別れた。格別、奇妙なことではないと思う。そのような関係性の男女は日本にだっている。(僕は日本人だから、やっぱり無意識に日本を基準に物事を考えてしまう。)
けれども、彼女のこの違和感は何なのだろう。僕は彼女という存在が、その淵を切り取られて剥がされてしまったかのように感じた。目の前にいるのに、今にでもさっといなくなってしまうことの出来る存在。それくらいの曖昧さを孕んでいた。
「今日ね、」彼女は言葉を継いだ。それは、また一段と別の雰囲気を孕んでいた。
「決めたの。今日でNYでの生活も終わり。終わりにしてしまおうって」
「いいんじゃないかな。新しく生まれ変わった気分になれる」
僕はよく考えてから、その言葉を発した。

*新しく生まれ変わった気分になれる?*

ありがとう。と彼女は答えた。それから、足元にあった自分のバッグをカウンターのテーブルに乱暴に置いた。乱暴ざるを得なかった。
「これはね、」
僕は息を呑んだ。その場の歪んだ空気に耐えることだけで精一杯だった。
「彼の部屋から盗んできたものなの」
バッグは黒の光沢が艶やかで、女が普段持ち運ぶにはあまりにも不似合いで、むしろ違和感のある大きさだった。まるで何かの運び屋のようだった。
「なんだと思う?」
僕は答えなかった。それはタブーだと言わんばかりに。
彼女は微笑んだ。さっきの氷の微笑だ。僕のグラスの中の氷は、蒸発して、その半分以上が溶けている。
「教えてあげる」
彼女の言葉を発する口元が妙に艶美で、見惚れてしまう。と同時に激しい不安にも駆られた。僕はここにいていいのか? 彼女の何の迷いもなく会話をしていていいのか?
彼女がバッグの中身から取り出したのは一丁の拳銃と、誰かの右腕、それと左脚だった。
テーブルにその3つを置いたとき、鈍い音が響き渡った。僕の心臓はバクバクと激しい鼓動を抑えきれずに、どんどんと激しさを増していく。
「これは?」
僕は、「これは?」と答えた。
僕は、さも現実を直視できていないと彼女に表示している。恐がっているのだ。
「3つとも本物よ。拳銃に、人間のある部分が二つ」
腕と脚は肌の色が黒かった。引き締まった筋肉と隆々とした雰囲気を漂わせている。恐らく、男性だ。
「もしかして、その彼氏かい?」
口から発せられる声の震えを必死に隠しながら、軽々しい口調で訊いてみた。まるで僕はこんなことくらいでは驚かないよ、と示すように。
「そうよ。やっぱりわかってくれた」
子供のようにはしゃぐ彼女の声が弾んだ。瞳に、ほんの少しだけ柔らかさが見えた。
「これから埋葬しに行くの。彼の好きだった場所に」
マスターはまだ姿を見せない。
僕は空のままのグラスを持て余した。
「あなた、恋人は?」
「いない」
「どれくらい?」
「もう、4、5年になると思う。でも一人のほうが楽で好きだよ」
「同感ね」
「どうして別れ、……消すことにしたの?」
「依存し合うのが嫌だったの」
「し合う? お互いだったの」
「そう。私も彼も、互いなしでは精神がままならなかった。そのくせ、孤独を求めてはその度に相手を傷つけあっていた。よく10年も続いたものだわ」
「でも、消すことはなかったんじゃないのかな」
この言葉は僕としてはとても勇気を出したと思う。なぜなら目の前にいるのは殺人者で僕はただの観光客だったから、いつ消されても不思議ではなかった。
「消さなかったら、私が消されていたわ」
「なるほど」

*消さなかったら、消されていた*

とてもよく分かる。僕も、そうだ。
彼女とはその後、再び小一時間ほど会話をした。マスターは僕らが会話に夢中になっている間にいつのまにか店内に姿を現していた。
僕は再びバカルディを頼んで、彼女はマティーニを頼んでいた。
僕らが交わす言葉はその場でしか意味のない、とりとめのないものばかりだったけれど、彼女と一緒にいた時間や空間や空気みたいなものは一生、思い出深いものになると思う。
最後に、別れ際、彼女に名前を訊いてみた。彼女は口元に人差し指を当てて、ウインクをしてみせた。そして幽霊のようになんの前触れもなく、僕の目の前からパッと消え去ってみせた。
酒を飲みながら交わす会話ほど身勝手なものはないだろうが、その時の彼から感じた情熱は間違いなく本物だった。
「彼女と別れた」
きっぱりと言い切った先の目線にあるものは虚ろさだけだった。
「これから俺はどうして生きて行ったらいい?」答えはない。
「明日には帰るんだよな? 最近独りが寂しくて……」
わかる。俺も同じような経験はしていた。
「今は憎しみしかねえよ。……でも、それだけあいつのこと好きだったんだよな、きっと」
言えてる。わかってんじゃねえか。
「でもさ、俺はあいつに結局振り回されたわけだよな。好いように扱われただけ。結局、俺なんて」
落ち込むな馬鹿。落ちたっていいことないぞ。
言葉にして彼に伝えても、耳に入ってそうもなかった。彼はひどく酔っていて、好きだった相手のことをひたすら語り、そして語る出来事の数々が彼女との思い出話で、しかもそこには「あいつは良い女だった。人間が出来てた。あれほど性格の良いやつもいないだろうな」
全然憎んでなんかいないじゃないか。むしろまだ好きなんだろ。はっきり言えばいいのに。
「くそっ! もう女なんか信じねえ! もう信じらんねえっっ!!」
でも、結局優しくしてしまうくせに。
言葉にはしなかった。心の中で毒づいた。本当に孤独になれるやつなんていやしないんだから。お前だって同じだよ。



「好きなやつが出来た」
一ヶ月後に会った彼はそう言った。
「彼女の顔、見るか?」
答えるまえにケータイの画面を差し出す。満面の笑みをたたえながらそんなこと言われても困る。見たくもない。
彼は僕に彼女とのツーショットプリクラを見せた。僕はプリクラの中で彼女にキスをされて幸せそうな姿の彼を直視できなかった。
「どうだ? ん? かわいいだろ?」
そうだね。
「真美っていうんだ。一個下なんだけど、性格は子供っぽくて、妹みたいに可愛いんだ」
お前の好みは頼りがいのある、母性のある年上の女性だったじゃないか。
「今度、会わせてやろうか? ん? どうだ?」
「そうだね。もし、機会があったら」
「そういうのは遠まわしに拒絶してるんだってこと、わかって言ってんのか?」
「いや、そういう意味じゃ」
「いいからいいから! 妬んでんだろ? 俺がこんな可愛い彼女作っちゃってるからさっ! 大丈夫、お前にもすぐに出来るって。心配すんな、俺にだって出来たんだ。何せ人間の半分は女なんだから」
そういうことじゃないんだけどな。
ボンボンと肩を思いきりよく叩いて、上り調子に浸る彼は、少なくとも一ヶ月前の彼よりは元気そうだった。いや、元気がありすぎかもしれない。でも、それで僕にとっては十分だった。
「そうだ、なんなら女の子紹介してやろうか? 彼女の友達にフリーの子いるぜ。その子もめっちゃ可愛いんだ。そうだっ! ダブルデートしようぜ、ダブルデート! 絶対楽しいってっっ!!」
「いやいやいや、そんな勝手に話すすめないでよ。俺にだって好きなやつの一人や二人、いるんだからさ」
「え? そうなの!?」
「うん」
まだ誰にも言ったことはないんだけどね。僕は彼にむかってにこやかにほほ笑んだ。



────数時間後 東京

「そろそろ時間か」
僕は彼の部屋を後にする。就職活動で東京に来るたびに彼のアパートにお邪魔していた。彼は嫌な顔一つせず、僕を迎え入れてくれていた。今日で何度めだろうか。
「でも、ホントに良かった。元気そうでさ。一ヶ月前はどうなることかと思ってたけど」
「いやー! あん時は悪かったな! でももう元気バリバリ100%!」
あははっ、と乾いた笑いが玄関に響いた。
「じゃ、行くよ」
「おう。元気でな。また来いよ。いつでもいいからな」
「ありがと」
「今度会うときまでに、お前にも彼女が出来てるといいな」
彼はほんの親切心で言ったのかもしれない。でも、そんな親切心なんていらなかった。むしろ、やめてほしかった。心に痛いほど刺さる。
「……うん」
「あ、いや、そんな落ち込むなって」
僕の顔はそんなに落ち込んだ表情だったのか。それほどまでに僕は。
「ほら、すぐ出来るって! なっ!」
肩をポン、と叩かれて、それで僕の箍が一瞬で外れてしまった。
「…………っえ」
「好き」
「…………っ!」
「ずっと好きだった。ずっと、10年前から、ずっと……」
僕は中学生の頃、彼を好きになった。恋愛感情を芽生えさせ、でも彼にその想いを告げることが出来ないまま10年という月日が経ってしまっていた。あまりにも長すぎた。
「好き。ずっと、僕と一緒にいてほしい。幸せにするから」
頼りがいもあるし、面倒見だし、大らかだし、何より君を一番に僕は愛している。その想いは誰にも負けない。君の彼女なんて比にならないほどに。
「・・・…いやっ、ちょっと…・・・おい…っ……ってば」
「離さない」
僕は君を離さないよ、もう。だって君が僕のその勇気のない背中を押しだしてくれたんじゃないか。だったら僕はその期待に応えるべきだと思ったんだ。君の、おかげだ。
「男の楽しみ方、教えてあげる」