わたしは、ウェブマガジン「どうする?Over40」というのもやっているんですが、メンバーのひとり・ミカスさんが記事のなかで、自身に起こった座骨神経痛やバネ指などの不調についてこんなふうに書いています。

 

 

「ひとつが治まるとまたひとつが始まり、もしくは、ひとつひとつが治まることなく幾重にも重なっていき、こうして私の身体は老いていくのかもしれません。改めてそう考えると怖くなったりもします。これから先、私はどんな痛みや不自由さを手に入れていくのだろうと。でも、こればかりは天の神様の言う通り。せいぜい私は、体にいいものを食べて、体を動かして、笑って、喋って、神様に抵抗をしてみます」

 

 

名文だな。

 

 

そうなんですよね。40代が「容姿の衰え」を知る年代なら、50代は「肉体の衰え」を知る年代です。

 

 

人生100年時代なんていうわりに、わたしたちは、とても早い段階から「老い」を意識しはじめます。なかには、「気にしなくていい。年齢なんて記号だ」と主張する人もいますが、それは大抵、すでに若くない人たち。つまり、「年齢なんて単なる記号説」も「年齢に抗うための方策」のひとつであり、十分に「老い」を意識してこそ生まれる「運命に抵抗するための気合」なのです。

 

 

多くの人が、30代ですでに「若くない」と感じはじめます。昔ほどではないにしろ、30代になると就職では「実績や専門性」が求められ、恋愛では「結婚を意識する」ことになったりして自由度が減ってくる。「若さゆえの可能性に満ちた未来」から「何をしてきたかが物を言う過去」に評価が移るという大逆転に直面し、世の中の冷酷さを身をもって味わう時期でもあります。40代になると、閉経を迎える人が多く、女性ホルモンの急激な現象によってツヤやハリが失われ「容姿の老い」を自覚し、生殖可能期間の驚くほどの短さに愕然とする。そしていよいよ、ひざや腰が痛くなったり、視力が衰えたり、どこか調子が悪くなるというかたちで「肉体の老い」を突き付けられる50代へ…。

 

 

そうか。わたしたちは、それぞれの年代で微妙に種類の異なる「老い」を意識しながら、生きてきたんだな。

 

 

人生とは、「老い」の自覚とともに歩むことなり。「老い」こそが、長い友だちか。

 

 

成長って、すくすく元気なイメージをもちがちですが、本当は、一抹の寂しさとともに感じる「もう若くないな」「年をとったな」という感慨として表れるのかも。時間の有限性を知らせてくれるアラームに気づいたともいえますね。

 

 

さあ、今日もぼちぼちいきますか。そして明日も。