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豊川稲荷

愛知県豊川市豊川町

ここ豊川稲荷へは年に数回は訪ねます。
個人的ながら枡席の下段 常拝者の部類ではないかと自負。

さて豊川を訪ねたら必ずと言って良いほど寄るのが稲荷前のウナギ料理の藤井食堂さんです。
ウナギの表面がパリッとして中は軟らかく旨い。
最近では顔なじみとなり温かく迎えてくれるのが嬉しい。
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豊川稲荷は正式には妙厳寺と言います。
およそ700年前の室町時代に開創され、今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、大岡越前守忠相、渡辺崋山などの武人、文人達の信仰を集めました。すますまスマロンのブログ-090718_1335~01.JPG
さらに、江戸時代には、庶民の間で商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として全国に信仰が広まりました。

お稲荷さんを祀った本殿は、間口18m、奥行38m、高さ30mの総欅(けやき)造りで、昭和5年の完成まで20数年の歳月がかかりました。
その豪壮な建築美は、全国無比の木造建築といわれ、大きく覆い被さるような偉容に思わず手を合わせてしまいます。

京都の伏見稲荷、佐賀の祐徳稲荷とともに日本三大稲荷とされ、年間数百万人の参拝者が訪れます。

富山県 国宝 瑞龍寺

本日の巡りルートは高岡大仏→前田利長墓所→国宝 瑞龍寺へと巡ります。
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さて高岡大仏は、奈良大仏(752年)、鎌倉大仏(1246年)と並んで日本三大仏に数えられる?
との事…
これは、あくまで自己申告な訳で(笑
他にも三大仏は全国で数十ヶ所以上 立候補してる様です。すますまスマロンのブログ-090705_1237~02.JPG
次は二代藩主 前田利長公墓所へ…
墓所は国、県指定文化財。
往時は外郭は輪郭型に内郭を取り囲み三面堀を備え有事時には高岡城防衛も考慮されていたようです。
現在は墓所内濠のみ遺るが一大名としては日本最大級の古墳状敷地であり厳粛なる空気が漂ってました。
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さて国宝 瑞龍寺は
墓所から約900mの位置にあり前田利長公の菩提寺で三代藩主前田利常公が建立した古刹です。
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総門、山門、仏殿、法堂が一直線に並ぶ典型的な禅宗の伽藍配置が特徴で当時寺域は3万6千坪、周囲に濠を巡らし城郭造りだったようです。
また山門、仏殿、法堂が建造物としては法隆寺以来の国宝指定、総門、禅堂、大庫裏、大茶堂、回廊は国重文財に指定されるなど日本を代表する堂々たる威風と素晴らしい遺産観に久しぶりに興奮。

特に瑞龍寺のボランティア案内は超一級品です。
知識も豊富で素晴らしい。

富山県 高岡城址(日本100名城)

富山県高岡市古城
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1609年 前田家二代 藩主 前田利長の居城、富山城が焼失、同年、高岡城を築き居城した。
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1615年 大坂夏の陣後、元和の一国一城令により高岡城は廃城となる。

廃城後は加賀 前田藩 町奉行の管理化に置かれ藩の米蔵や火薬庫等が設けられていた。

また往時の高岡城は本丸 二の丸 三の丸 明丸 鍛治丸などを配し内堀と外堀を周囲に巡らせていた。
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さて現在の高岡城跡は21万平方mもの広大な古城公園として整備され市民の憩いの場とされている。すますまスマロンのブログ-090704_1651~01.JPG
独り言
富山県では唯一の100名城だが高札案内も極めて少い。

濠や庭園等 公園的な人工整備は満点ながら世界遺産を目指す史跡としては個人的には、やや不満が残った。