横浜チャーチサイド ストーリーズ -7ページ目

横浜チャーチサイド ストーリーズ

横浜で見たこと、聞いたこと、考えたこと、、、など、など、

2024年3月18日(月)

 

今日は午前は保険やさんとの電話対応。

少し、休んで、

午後は配車の手続きに駆けずり回った。

 

すべての資料を備えて、

事故車を預かっていてくれているレッカー屋さんを訪ねた。

ネット検索後、バスに乗る。

知らない町で下車するのも、なぜか、スリルを感じた。

家さがしゲームをしている感があった。

それにつけても、今日のこの風の強さはナンだと思えるほどで、

それもゲームの一部だと思えば、それも納得だ。

何度も吹き飛ばされそうになるな中、

レッカー店を見つけた時の喜び。

そこで出会う方々の人の好さそうな趣は、

ありがたい。

 

行き帰りのバスの中で、

しみじみと、

よくぞ、私のような、注意散漫なおっちょこちょいが

この事故に至るまで無事故であったことは、奇跡に近いことであることを

改めて認識した。

雲仙島原を駆け巡ったこと、琵琶湖めぐり、

岡山でも、時間さえあれば、

温泉めぐりをしていた時もあった。

このようにして、夢のように過ぎ去った43年間が、もったいないほど

すばらしい時であったことにも気が付いて、感謝が溢れた。

 

「すべてのことに時がある」

車との夢のような時は過ぎて、

今、現実の中で、足を使うことと、バスに乗ることの新たな時が滑り出しているが、

これもまた、そんなに悪くはないように思えた。

 

「神がなされることは、みな、その時にかなって美しい」

そうなんだ。。 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月17日

 

72才と7ヶ月

迷っていました。

今年も車両保険の更新をするべきかどうか、

どこで、車を手離すべきかを。

昨年のこの時期も迷いに迷って、

「もう一年」と思って継続したのでした。

 

ところが、今年も、もう一年と思っていた矢先、

しかも、今晩、ネット更新予定しようとしていた、

その矢先でした。

私は同乗者2名と共に、

車をガードレールにぶつけてしまったのです。

 

「交通事故」そのものがまだ信じられないのですが、

ここまで、無事故できていたことそのものが、

奇跡以外の何物でもなかったこと、

しかも、現在、免許はゴールドです。

なのに、

ついさっきまでのっていた車はレッカー車で移動され、もう帰ってきません。

一瞬、自分で手離そうとしないから、

神様が取り去られたと思ったのです。

 

ガードレールに車をぶつけた時も、

私とすれば、不思議状態でした。

バイパスへの入り口に向かう道の三叉路を曲がるところで、

お腹の痛みがピークに達し、目かすみはじめ、

カーブが曲がりきれず、

気がついたら、吸い込まれるように、ガードレールにぶつかっていたのです。

同乗者の方に、

「車がガードレールにぶつかっています。」

と言われた気が付きました。

初めての経験です。

お腹の痛み以外は、

私自身は無傷でフロントガラスに頭をぶつけることもなく、

警察の方もエアバックがでていないので、

スピードはでていなかったのがわかります、

と、いうことでした。

 

かなり冷静になってみれば、

何十年と、車は私にとって生活の一部でしたから、

車無き生活と働きは今後成り立つのでしょうか?

想像だに、難し、です。

 

けれども、なぜか、感謝が沸き起こって来るのです。

まずは、対人事故ではなかったこと。

ここに、何らかの神様からのメッセージがあることを今、

汲みとろうとしています。

ただ、

同乗者のお一人が、

おからだを前の座席の後部で打たれたので、

後遺症がとても心配です。

 

更に不思議だったのは、

事故当初から、見ず知らずの方が「大丈夫ですか」と飛んできてくださり、

ズーっと、側にいてくださり、

さいごは、ここまでその方の車で送ってくださったのです。

一人の同乗者の方は救急車で病院に搬送され、手当てを受けられた後は電車でお帰りくださったのですが、もう一人の同乗者の方と私は、その方にお世話になりました。

天使に見守られたような感じです。

 

さらに、さらに、

実は、一緒に車で帰った同乗者の方こそ、

つい最近、心臓の手術をされ、こうした外出も術後初めてでしたから、

一番の心配だったのですが。

なんと、その方は、さいごまで心臓も守られたどころか、

反対に私のお世話をしてくださったのです。

 

わたしは、何だか、とても大切な経験をさせていただいたようです。

30才から車に乗り始め、違反は度々あったものの、

よくもいままで無事故でいられたものだったと、

今さらのようにこの42年間の車生活は、

私にとっては、奇跡だったことに気がついたのです。

神様の眼差しをかんぜずにはおられません。

 

 

 

そうだったんだ!

と、思った。

 

第三者の姿を通して、

そこに、今までの自分の姿が見えたと思う。

 

確かに、

その方の言っていることが間違いだとは言わない。

イエ、

むしろ、その方の言われていることの方が正当性があるのだ。

だけど、

だからと言って、

そこまで、言う必要があるのだろうか。

 

けれど、

ストレスで雁字搦めになった時の私の内なる思いを言葉にすれば、

今目の前にいるその人の姿そのままであることに気が付く。

 

日頃、

人に愛を説く自分が、

無性に虚しく思えた。