横浜チャーチサイド ストーリーズ -8ページ目

横浜チャーチサイド ストーリーズ

横浜で見たこと、聞いたこと、考えたこと、、、など、など、

 

悲しいね、

人は、

 

なぜかな?

正しく、

自分を見ることができない。

 

上手くいくと舞い上がり、自分はすばらしいと、有頂天になり、

恥をかくと、地の底まで落ち込んでゆく、、、

その基準は、

いつも、人との比較、自分のプライド、、

 

ああ、神様、

この連鎖を断ち切れるものは

ないのでしょうか?

 

生きるとは、問われていること、答えること、――自分自身の人生に責任をもつことである。ですから、生はいまや、与えられたものではなく、課せられたものであるように思われます。生きることはいつでも課せられた仕事なのです。このことだけからも、生きることは、困難になればなるほど、意味のあるものになる可能性があるということが明らかです。『それでも人生にイエスと言う』57ページ

 そして、ドイツの叙情詩人・劇作家のヘッベルの言葉を引用しています。「人生はそれ自体がなにかであるのではなく、人生はなにかをする機会である!」苦しいときほど視野や思考は狭くなりがちです。収容所という極限状況の中で見いだされたフランクルの思想は、それを突破するような力強いメッセージを持っているといえるでしょう。

 本書ではさらに病気を扱った「Ⅱ 病いを超えて」、強制収容所での体験に触れた「Ⅲ 人生にイエスと言う」の章もあり、現代社会においても深く関連するこれらのテーマは、時代を超えて、今もなお私たちの心に響くメッセージにあふれています。

 

 

 

時計の針は午前2時19分

ついさっきまで、ウトウトしていたけれど、

完全に目が覚めてしまった。

今日はなぜか寝つかれない。

 

思い出すのは、

旧約聖書に出てくる

イスラエル初代王のサウル。

彼は、王に立てられた直ぐの時は、

まことに初々しく、少し内向的とも思えたほどだったけれど、

いつしか、神様に用いられることに慣れて、

主の祭司しかしてはならない事まで、

してしまう。

それだけでなく、心が緩んだのか、

用いられることに慣れてしまったのか、

高ぶっている自分に注意を払うことを怠り、

神様から退けられてしまう。

 

けれど、

サウロがまだ無名だったころ、

彼に王としての油注ぎをした預言者サムエルは、

サウルを惜しみ、いとおしんだ。

なぜか、今、そのサムエルにも似た思いが、

湧いてきて、吹っ切れない夜を過ごしている。

「ああ、サムエルのあの時の気持はこのようだったか、」

と。

 

 

スッカリ目が覚めてしまったので、

ふと、目の前に置かれていた年賀状に目が止まり、

そう言えば、

まだ、お年玉くじも見ていなかったと、

かたずけてしまっていたものも取り出して、

調べ始めた。

 

面白いことには、

150枚ほど来ていた時には、

3枚ほどしかあたりぐじはなく、悔しい思いをしていたが、

50枚ほどなのに、

な、なんと、4枚も当選ハガキがあった。

なんだか、とても、嬉しい。

さっきのいたたまらない思いが消えてゆく。

 

それだけでなく、

懐しさに包まれて、

改めてカードを一枚一枚めくっていると、

ナーント、

友人二人の年賀状の番号が連なっているのに、

気が付いて、笑ってしまった。

そういえば、

この地域だと、同じ郵便局を使っていてもおかしくない。

もしかすると、

同じ時刻に並んで買ったのかもしれないな。

二人が高校時代の学窓であることに気が付いただろうか?

クラスが違っていたから、

わからなかったかもしれない、

気が付いたとしても、

すっかり、おば(あ)さん化した姿に、

ショックを受けるかもしれない。

 

・・・

今日は、大津時代の知り合いが訪ねて来てくれて、

本当に嬉しかった。

神様は、こうして、寂しいはずの私の老後を

ほゞほゞなごみの時を備えてくださっていて、

本当に優しい。

 

神様に、

心からの「ありがとう」

をお届けしたい。