石都々古和氣神社

陸奥國一之宮(いわ神社は、福島県石川町にあります。

北須川に沿った道路沿いに、広い駐車場と登拝口があります。

社務所は、ここから左側に道路を20mほど進んだところにある民家でした。

『飛翔獅子』といわれる珍しい石造狛犬さん。

拝殿前の階段下には『勾玉石』があり、その上に『天龍桜』が満開で咲いていました。

拝殿前から見える鳥居と『天龍桜』👇

拝殿 👆 👇

本殿 👇

御祭神は、味鉏高彦根命(あじすきたかひこね)

     大国主命

     誉田別命   の3柱

味鉏高彦根命(大国主の子、あるいは、鹽土老翁の子、とも言われる)の子孫は、陸奥や四国や九州の国造となったそうです。味鉏高彦根命を主祭神としている神社に土佐神社があります。また、味鉏高彦根命は、日本武尊が東征の際に神助を願い祈った神だそうです。大国主命と誉田別命は、京都石清水八幡宮の分霊であると書かれています。

福島県内、白川郡棚倉町棚倉には、2つの『都々古別神社(八槻社と馬場社)』があり、この2社の御祭神も味鉏高彦根命。

 

本殿横にあった『石造龍』👆

神社の横には石川城があったようです。

石川城跡地は、樹木や花々が植えられた庭園として整備されていました。

 

 

磐椅神社

猪苗代湖の北側、磐梯山麓の南側にある磐椅(いわはし)神社に向かいます。

磐椅神社は、会津地方最古といわれる神社です。

 ⇒ 磐椅神社公式サイト

 神社名の「磐椅」について。

 磐梯山はかつて磐椅山と言われていたようです。磐梯山の意は、神の座(磐座:いわくら)にかかる梯子(はしご)、すなわち「いわはし」。椅は「い・いす」としか読まないはずですが、意味を優先して慣用的に「はし」と読んでいるようです。

 

主祭神は、大山祇命 埴山姫命 の2柱。

相殿には、誉田別命(応神天皇)  息長足姫命(神功皇后)

     木花佐久夜毘賣命  磐長姫命 の4柱。

寄付金を奉納させていただき、撤下品(ペン2本とお守り)をいただきました。

雪が多い地方の神社本殿は、たいてい雪囲いの屋根と壁で守られています。👇

なので、せっかく凝った建築であっても本殿はよく見えません。

☆ ご由緒 - 磐椅神社公式サイト ☆ には、以下のように書かれています。

 磐椅神社を信仰したのは徳川二代将軍秀忠の子で会津松平家初代藩主の保科正之。会津藩の礎をつくり、徳川四代将軍家綱の補佐役を務めた名君。その正之公は神道に深い関心を寄せ、神社の保護に力を注いだ。万治2(西暦1659)年、猪苗代湖が一望できる磐梯山のふもと見弥山にある当社に参詣して神事を行った。正之公は「我死せば磐椅神社末社となりて永く奉仕せん」との遺言書を残し、末社として当社西側に土津大明神(土津神社)が造営された。

 

 

土津神社

土津神社は、磐椅神社の西側近くにあります。

 

 

 

 

 

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