金毘羅/サムハラ神社・中山神社・三鏡神社・伊和神社 より

 

 

【橿原神宮(紀元祭)】

令和2年2月11日は、令和になって始めての紀元祭ですから、参加することにしました。

式典開始の2時間前に橿原神宮の駐車場に着きましたが、受付を終えて会場内に入るまで、およそ1時間かかりました。

ここは、橿原神宮の東側の鳥居なので静かですが、南側の正面鳥居は超混雑状態です。

外拝殿と畝傍山

内拝殿

「式典中は撮影はご遠慮ください」とアナウンスがあったのに、タコでアウトローな貢一は、チャッカリ写真を撮ってしまいました。ごめんなさいネ。

式典が進み、君が代斉唱を終え、天皇の勅使が出るのに合わせて、席を立ち外拝殿の外に出てしまいました。この日晴れていたのですが、テントの下は陽射しがなく冷えてしまい、これ以上は無理だったのです。

1月に届いていた招待状(左)

式典受付時にいただいた赤い参列ステッカーは、家の門柱に貼りました。

交換券で頂いた直会のお弁当。

金鵄のおみくじを買うとき、若い巫女さんに「おみくじは要らなくて、金鵄だけほしいんですけど・・」と言ったら、困り果てた顔で、「それは・・・」といったので、「えぇ~、サンマちゃんの国の人は、冗談が通じないんだぁ~」と言ったら、笑いながらもさらに顔を赤らめていました。

勝ち守りは、金鵄が飛び立つ日の丸です。

 

紀元祭の式典がおわり、午後1時ころ駐車場に戻ってきました。

奈良や大阪には、天皇ゆかりの神社がテンコ盛りあるので、午後からは、それらのいくつかを巡ることにしました。

 

【龍田大社】

龍田大社は、法隆寺からそれほど遠くない所にある神社です。

『これが無限の[光フリーエネルギー]発生の原理だ』

【龍田神社と法隆寺】

広く風通しのいい拝殿です。拝殿の奥に、3つの本殿が見えます。

龍田大社の昇殿参拝は、太鼓を打ち鳴らすという変わったお取次ぎでした。

瓦の奉納をしてきました。お母さんが書くとえらく時間がかかりすぎるので、貢一が連名で書いてしまいました。

 

ここからは、

三種の神器に関わる神社( 「若江鏡」 「石切劔箭」 「玉祖」 )を巡ります。

 

 

【若江鏡神社】

住宅街にある大きくはない神社です。

この神社でいただいたパンフレットには、

  当社の創建はは不明ですが、「延喜式」や「日本三大実録」などの古書に

  その名がみえる古く由緒ある神社です。

 祭神

  ・大雷火明大神(おおいかずちほのあけのおおかみ)

  ・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)

  ・神功皇后(じんぐうこうごう)

神社名の中にある「鏡」については、

  本殿の北側に「鏡塚」と呼ばれる塚があります。

  当社ご祭神であります神功皇后が朝鮮半島への出征の折、鏡を埋めて塚を築き

  必勝を祈願したとされる。鏡神社と呼ばれる前に「塚本大明神」ともよばれていた

  記述もあり、大変重要な場所であると考えられます。

と書かれているのみです。

 

 

 

【石切劔箭神社】

石切劔箭神社の最前線にある絵馬殿の屋根には、1本の劔と6本の箭が立っています。

三の鳥居と本殿

本殿の御祭神は、饒速日尊とその御子、可美真手命(うましまでのみこと)の二柱。

摂社には、罔象女神と天水分神。

『セオリツ姫・シ♭』 山水治夫 (ナチュラルスピリット)

【ファ:罔象女神(ミズハノメ)】

さらに、恵比須、大国主、住吉、稲荷、八幡、を祀る「五社明神社」

それに、神武天皇を祀る「神武社」ですから、

この神社は尋常ではありません。

 

 

【枚岡神社(河内国一之宮)

枚岡(ひらおか)神社と読みます。

第二大鳥居から千代の古道を行くと、注連縄神事を行う石柱があります。

階段の下には、両側に鹿さん像がありました。

鹿と言えば奈良の春日大社ですが、ここは、藤原時代に祭神4柱を春日大社に奉遷したことから、元春日の社・河内国一之宮として『延喜式』に記されているそうです。

石段を登ると、拝殿があります。

拝殿の後方にある中庭を経て、4つの神殿が並んでいますが、修復工事中だったので4つの神殿はよく見えませんでした。

御祭神は、天児屋根大神、比売大神、斎主大神または経津主大神、武甕槌大神です。

社務所のシャッターが閉まってしまったので、御朱印は間にあいませんでした。

 

 

【玉祖神社】

玉祖(たまのおや)神社と読みます。

大阪府八尾市にあるこの神社には、「郷社 玉祖神社」と彫られた石柱が立っています。

境内にあった看板には、

  和銅3年(710年)に周防の国から御祭神を迎えたのがはじまりで、

  祭神は「櫛明玉命」

と書かれているのみです。

ちなみに、周防一之宮である玉祖神社の祭神である「玉祖命」は、天孫・邇邇芸命が降臨された際、同行した五柱(天児屋根命、天宇受売命、太玉命、石凝姥命、玉祖命)の一人で、玉祖命は天照大御神が天岩戸にお隠れになった時、八坂瓊曲玉を作って大御神の関心を引く努力をされた神とされています。

拝殿と本殿。

4本の竹に注連縄が張られた中に立ち、山側に向かって両手を広げて願い事をするようにと、書かれていました。ここに立つと、本当に山側から涼やかな気が流れてきました。

摂社には、八王子神社(国狭槌命)、思智神社(大計都彦命、大計都姫命)、住吉神社(上筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帯比売命)、吉野権現(木花開屋姫命)、蛭子神社(蛭子命)、山口神社(猿田彦命)、八幡神社(誉田別命)、稲荷神社(倉稲魂命)、菅原神社(菅原道真公)、そして、罔象女神社(罔象女神)がありました。すごいラインナップです。

 

 

玉祖神社の境内からは、夕日に照らされた大阪市内が見渡せましたし、八尾十三峠線を東に走って大阪から奈良方面に向かう途中、十三峠の頂上付近では日没後の青い綺麗な空を見ることができました。

天理駅付近で、豚トロ丼を食べて、7時半ころ出発し、そのまま一般道のみを走って、3時半には山梨まで帰ってきました。高速道路を使わなかったにもかかわらず、天理から山梨まで、わずか8時間で帰ってきました。天理から四日市までの25号線も、四日市から豊橋までの23号線も、静岡までの1号線も、走行車線の車でさえ100キロ程度で走っていたので、このように早く着くことができました。

 

これにて、

橿原神宮で行われた紀元祭参加を中心とした今回の旅の神社参拝は、

すべて終わりです。

 

 

この旅の最初の 気比神宮 へ。

 

 

みやのお母さんの《旅の記録》