この旅は、令和2年2月11日、橿原神宮において、令和になって初めて行われる「紀元祭」に参加するための旅ですが、その前に、いくつかの神社を巡ることにしました。

2月9日は、午後から長めのお昼寝をしておき、夜10時に家を出ました。深夜の徹夜の走行です。山梨は暖かかったのに、諏訪を過ぎて塩尻峠を走っていると、すごい吹雪になってしまいました。しかし峠を降りてくると雪もパラパラ状態になったので、そのまま中津川・米原を経由して日本海側に進みました。琵琶湖の北東側にある長浜からは道路の両側からすごい量の水が噴き出していました。融雪用の散水ですが、1時間ほど、まるで洗車機の中を走っているような状態でした。

最初に行ったのは、敦賀にある金崎宮です。

 

【金崎宮】

金崎宮は、気比神宮から車でわずか1分(700m)ほどの近くにあります。

とはいえ、行ったのは「官幣中社金崎宮」と彫られた石柱がある入り口までで、ここにあるのは金崎寺です。

その駐車場にある石碑を写真に撮ってきただけです。

金崎宮は南朝に関わる神社で、恒良親王、尊良親王が祀られています。昨年、下記リンク著作を読んだので、ここにも立ち寄ることにしました。

『キミノ名ヲ。』 4巻 梅谷百

【阿野廉子】

北朝(足利)側と対抗するために、天筒山と気比神宮の近くに逃れてきたということは、南朝側は、丹生氏、秦氏の系列であることを示してもいます。

 

 

【気比神宮(越前一之宮)

ここには、2年前にも来ていますが、とても重要な神社です。

写真を撮ったこの時は、薄日が差していましたが、鳥居を出るときには、もう吹雪のようになっていました。結局この日は、晴と吹雪を3度も体験することになりました。

 

 

【天橋立神社】

気比から車で2時間ほどで着きました。

駐車場に車を停め、そこから天橋立に見立てられた砂州を進みます。

両側に松林と砂州があります。

与謝野鉄幹・晶子夫妻の句碑がありました。天橋立付近の地名は与謝野といいます。

この付近、夏場は海水浴場になるのでしょう。

駐車場から700mほど進むと、天橋立神社があります。小さな神社ですが、スピリチュアルな視点では重要な神社です。梅の花が咲いていました。

ここから先へ、さらに2400m程進むと、元伊勢・籠神社に行けますが、車いのタコおばちゃんとでは、きつすぎるので駐車場に戻り、車で向かいます。

 

【元伊勢・籠神社】

昨年と同様、檜皮葺の奉納をさせていただき、同じ撤下品をいただきました。

社務所の前には、カエルさんが張り付いているような形の木があります。神社には、たいていこのような変わった形状の樹木があるものです。たいていの神社は特殊なエネルギーの所に立っているという証拠です。

 

【眞名井神社】

眞名井神社は籠神社から歩いて10分ほどの近くにありますが、お母さんと一緒なので、籠神社の駐車場をでて、まじかの駐車場まで行きました。

右側の石碑は、普段使われない漢字ですが「よさのみや大神宮」と読みます。

眞名井神社は、籠神社の奥宮です。

この石碑の裏側には、眞名井の御神水をいただくことができる水道施設があります。ペットボトルを持参するといいでしょう。

階段の上は写真撮影禁止です。拝殿の後ろには、古代の祭祀跡地があります。

まだ完成して間もないようですが、心無い人が古代の祭祀跡地に入って汚すようなことをしていたので、現在は、柵という物理的な結界で囲ってあります。

拝殿の右隣には、古代遺跡と繋がっている鈴紐があ、それを引っ張って願い事をすることができるようになっています。

 

【兵主神社(貴布祢神社)】

急な階段が100段ほどあったので、お母さんは車で待っていることにまりました。

但馬の国(兵庫県豊岡市)にある神社です。

車道から階段があるだけで、参道前に鳥居はありませんが、やや奥に、「延喜式内宮」 という石碑が立っていました。

階段を昇り切った所に、鳥居がありました。

拝殿とその後ろの本殿は、風雪除けの幕が張られていました。

一部修復されてはいましたが、全体的に痛みが激しい状態でした。

拝殿の中の様子です。

境内から見える南方の景色です。

上に三つ巴紋、下に桔梗紋と巴紋。

兵庫県北部(但馬の国)には兵主神社がいくつもあり、ここはそのうちの一つですが、ここだけは、カッコ付けで “貴布祢神社” と並記されています。キフネといえば、京都の鞍馬山の裏にある貴船神社が有名ですが、そこも正式名称は“貴布禰總本宮 貴船神社”というようです。

 

 

【宇倍神社(因幡国一之宮)

鳥取県は、かつて、伯耆(ほうき:西部)と因幡(いなば:東部)に分かれていました。

拝殿前の境内に出て、おもわず口をついて出たのは、「わぁ~、きれい」

夕日が沈む時間帯だったこともありますが、建物の形と装飾が美しく、境内も完璧に掃き清められていて、「わぁ~、いれい」 以外に言葉がありませんでした。

ここの御祭神は、スーパー霊能者の武内宿祢ですし、きわめて清冽な神社でしたから、単なる参拝ではなく、昇殿参拝したい神社でした。

貢一は、いつも、高速道路は極力使わず、食事はお弁当で済まし、宿泊も一番安いホテルにして、浮いたお金は神社に奉納することにしています。しかし、到着時間が5時頃では、昇殿参拝もままなりません。

1日目の神社参拝は、ここまでです。

 

 

【鳥取シティホテル】

昨年泊まったのと同じ、鳥取市内にある鳥取シティホテルに泊まりました。

 

 

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